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婿入り③

その夜・城の奴隷部屋


 嵐のような一日がようやく終わりを告げ、カズトが自室の扉を開けた瞬間。


 そこには、部屋の空気を塗り替えるような鋭い気配を纏った零が待っていた。


 壁に背を預けて腕を組み、帰宅したカズトを真っ向から射抜くような視線で見つめている。


「『好きな人』、ねぇ」


 静かだが、隠しきれない棘を含んだ声が部屋に響く。


「公爵令嬢の誘いをあんな風に一蹴するなんて、相当な覚悟じゃない。それで、その……意中の相手とやらは、一体誰のことかしら?」


 零の瞳はいつもの皮肉げな光を宿してはいるが、その奥には微かな揺らぎが潜んでいる。


 面白がっているようでいて、同時に、投げかけられる答えを恐れているような――そんな危うい声だ。


 カズトは扉を閉め、小さく息を吐き出した。


「誰が好きかって……。そんなの、今さら口に出さなくても分かるだろ」


「甘いわね」


 零が壁から背を離し、一歩、間詰めを寄せてくる。


「女の子はね、こういう局面ではちゃんと声にしてほしいものなの。言葉にしなければ、決して届かない想いだってあるんだから」


 急激に縮まった距離に、カズトの胸の鼓動がわずかに跳ねる。


「……はっ、絶対言わねーよ!」


 照れ隠しの混じった軽口を投げると、零の唇の端が、呆れと安堵の混ざった絶妙な角度で緩んだ。


戦友としての信頼を越えた、どこかくすぐったい沈黙が二人の間に流れる。


 だが、その静寂を切り裂くように勢いよく扉が跳ね上がった。


「ちょっと!! 二人だけで納得しないでくださいっ!」


 肩で息を切らしながら、セレナが部屋へと割り込んでくる。


 彼女は二人の間にずかずかと割って入ると、カズトを指差して詰め寄った。


「カズト! さっき言っていた好きな人って、誰なんですか!? わたし、お姉ちゃんを振るほどの相手が誰なのか、主人として聞き届ける権利があると思います! わたしだって……わたしだって、カズトのことは、その!」


 顔を林檎のように真っ赤に染め、セレナが言葉を詰まらせる。


 その様子を横目に、零は視線を天井へと投げ、この状況の収拾のつかなさに頭を振った。


「あーあ。また面倒事が増えたわね。カズト、あんたの不器用な誠実さのせいで、事態が余計にこじれてるじゃない」


「俺のせいかよ!?」


 左右からの圧力に、カズトは逃げ場を失って頭を抱えるしかなかった。


 深夜――


 詰め寄るセレナをどうにか宥めて帰した後。


 カズトは部屋の明かりを落とし、泥のようにベッドへと横たわった。


 ようやく静寂が戻ったかと思った次の瞬間、背中に吸い付くような柔らかな温もりが触れた。


 鼻腔をくすぐる、微かな石鹸の香り。


 零が、後ろからそっと腕を回してきていた。


「……ねえ、カズト。まだ起きてるわよね?」


 耳元に落ちる声は、昼間の鋭い響きとはまるで違う。


 低く、甘く、それでいて逃げ場を許さないような確かな熱を帯びている。


「それで? 結局、あんたの言っていた好きな人って誰なのかしら。ここにはもう、セレナ様もシオン会長もいない。私とあんた、二人きりよ」


「……っ。またその話かよ。もういいだろ……」


「よくないわよ」


 カズトの腹に回された腕に、わずかに力がこもる。


「あんたがあんな公衆の面前で宣言しちゃうから……私はずっと気になって、何も手につかなかったんだから」


 小さく漏れた笑い声。


 その奥に、ほんの少しの震えが混じっているのをカズトは聞き逃さなかった。


「ねえ、言いなさいよ。それとも、やっぱり自分の気持ちを認めるのが怖いの?」


「しつこいな、お前は」


 カズトは重い溜息を一つ吐き出し、観念したように呟いた。


「言わなくても分かるって言っただろ」


「さっきも言ったでしょ?」


 零の指先が、カズトの肩にそっと触れる。


「女の子は、ちゃんと言葉にしてほしいものなの。……カズト、こっちを向いて?」


 促されるままに、カズトはゆっくりと寝返りを打った。


 そこにいたのは、いつもの不敵で自信に満ちた零ではない。


 潤んだ瞳で答えを待ち続ける、ただ一人の少女だった。


 その真っ直ぐな視線を見た瞬間、カズトの胸の中にあった迷いは霧散した。


「…………」


 言葉を紡ぐ代わりに、カズトは自ら距離を詰める。


 そして――重なるようにして、零の唇を塞いだ。


 一瞬、零の体が硬直するように跳ねたが、やがてその力は抜け、緩やかに瞼が閉じられていく。


 彼女の手がカズトの首に回され、その温もりを離すまいと強く引き寄せられた。


 密やかな時間が流れ、やがて唇が離れる。


 カズトは顔に集まる熱を隠すように、ぶっきらぼうな声を絞り出した。


「……お前以外にいるわけないだろ。言わせんな……バカ」


 言い終えると同時に、カズトは零の細い体を力いっぱい抱きしめた。


 腕の中で、零の肩が小さく上下する。


「……ふふ、あはは……っ」


 震える笑い声が、カズトの胸元に響く。


「……そうよね。知ってたわよ。でも……」


 彼女はカズトの背中にしがみつくように腕を回し、その存在を確かめるように抱き返した。


「……意地悪ね。そんなのズルいわ。……でも、嬉しい。やっと、聞けた」


 暗闇の中、零の頬を一筋の涙が伝い、シーツへと吸い込まれていく。


 それは戦いの緊張でも孤独でもない。


 長い逃亡と死線の果てに、ようやく辿り着いた「帰るべき場所」を噛み締めるような、安堵の滴だった。

エンダァァァァアアアア!!

さてなんか最終回みたいな空気だけどまだ全然終わらないです。

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