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正体⑤

「お姉ちゃん! しっかりして! 嫌だよ!」


 カズトが振り返ると、血の海の中でかろうじて意識を繋ぎ止めているシオンと、泣きながら回復魔法を注ぎ続けるセレナの姿があった。


 だが、呪いに近い闇魔法の影響で回復の効力は著しく削がれている。


 さらに魔力と肉体の双方を極限まで酷使した反動で、シオンの身体はすでに限界を越え、手遅れ寸前の状態だった。


「セレナ…ちゃん。もう、いいの。情けないお姉ちゃんで、ごめんね。……助けてくれて……ありがとう。あなたが無事で……本当に、よかったわ……」


「なんで! 魔法が効かない!どうして!? お姉ちゃん、目を開けて!!」


「大好きよ……セレナ……」


 頬に添えられていた手が、するりと力を失って落ちる。


 時間が凍りついたような静寂の中、次の瞬間、祠を引き裂くような絶叫が響いた。


 その時だった。


「まだよ! まだ終わらせないわ!!」


 背後で零が触媒を床へ叩きつけるように広げた。


 手持ちの素材をすべて投入し、アルケミストの術式に残る魔力を一滴残らず注ぎ込む。


 閃光のあとに錬成されたのは、回復ではなく維持のための装置――魔力で心肺を強制駆動させ、魂の離脱を食い止める生命維持機構。


「カズト、魔力を! わたしはもう空っぽよなの!」


(頼む……繋がってくれ!)


 カズトは躊躇なく魔力を流し込んだ。


 吸い上げられる量は異常で、装置は脈打つように震え、止まりかけていたシオンの胸が微かに上下する。


 やがて――弱く、かすかに、それでも確かに鼓動が戻った。


「零! とんでもない勢いで持っていかれるぞこれ!?」


「黙って流し続けなさい! 急造なんだから効率なんて期待しないで。心臓を動かしてるだけでも奇跡よ」


 短く息を整え、零はセレナへ視線を向けた。


「セレナ様。泣くのは後です。この装置は心臓を止めないだけで、治すのはあなたの役目です。回復薬と魔法で、一箇所ずつ――丁寧に。あなたがシオン会長を連れ戻すの」


 セレナは唇を噛み、涙を拭った。


 震える指先で魔力を編み、壊れた肉体を一つ一つ繋ぎ止めていく。


 永遠にも思える時間が流れた。


 やがて、祠の入口から差し込んだ朝日が床を照らす頃――

 シオンの頬に、かすかな血色が戻った。


 命の危機は辛うじて越えた。


 だが目覚めたとき、彼女の心にどんな傷が残るのか、それだけは誰にも分からない。


 その後、シオンはセレナの献身的な治療によって最悪の事態を免れ、軽い怪我をしていたマリーと共に王立病院へ搬送された。


 命は取り留めたものの、肉体の損傷と精神的消耗は深刻で、今後は魔導医師による長期治療が必要になる見込みだ。


 彼女が運ばれたあと、祠に残ったカズトたちは朝日に照らされながら重い沈黙に包まれていた。


 安堵と反動が同時に押し寄せ、セレナは魔力切れで気を失い、マリアに抱えられている。


「俺の魔力もほとんど空だ。ほんと規格外だな、零のアルケミストは」


「この世界に存在しない概念を無理やり形にしてるんだもの。燃費が最悪なのよ。でも、間に合って良かった……後遺症が残らなきゃいいけど」


「いくら魔法があっても、しばらくはまともに歩けないだろうな」


 シオンの容体を思い浮かべながら、カズトは足元に転がっていた『黎明の照鑑』を拾い上げた。


 不気味な輝きはすでに消え、古びた鏡にしか見えない。

  だが、その奥には8位を実体化させた力が確かに眠っている。


「これがある限り、またムカデは来る。あいつらがたそこまでして欲しがった力だ」


 鏡に映る自分の疲れた顔を見つめ、拳を強く握る。


「今回は……結果的にセレナ様が来てくれて本当に助かった」


 感謝と、自身の無力さへの苦味が滲む声だった。


「あの時、シオン会長は自分を殺せって言った。俺も……倒すにはそれしかないって、ほんの一瞬でも思ったんだ。でも諦めなかったのはセレナ様だ。あの光の魔力と血が鏡を動かした。シオンさんを救ったのは、間違いなくセレナ様だ」


 マリアは静かに鏡へ視線を落とす。


「今回の件で、ムカデの狙いがこの鏡であること、そして王族の血が起動条件であることは明白になりました。保管は学園か王家の宝物庫が妥当でしょう。彼らは、必ずまたセレナ様を狙ってきます」


 カズトは鏡を握り直した。


「いえ、鏡は俺が持ちます。来るなら正面から迎え撃つ。二度と、あんなことはさせない」


 誰かの管理下に置けば、また犠牲が出るかもしれない。

 ならば自分が囮になる――その覚悟が言葉の奥に滲んでいた。


 その決意に応えるように、目を覚ましたセレナがゆっくり立ち上がる。


 涙を拭った瞳に、もう迷いはない。


「わたしも逃げません。脅威は分かっていたのに、覚悟が足りませんでした。お姉ちゃんを守れなかったまま、守られているだけなんて嫌です。」


 純粋な願いが、確かな戦意へと形を変える。


「もちろんわたしも協力しますよ。これでも元5位ですからね。それに、決着をつけない限り安心なんてできませんから。」


「承知しました。セレナ様が進むと決められた以上、私も全力でお支えします。ただし、鏡を持つということは、常にムカデの幹部に命を狙われるということ。8位を失った今、次はより上位が動くでしょう」


 カズトの声に、静かな殺気が宿る。


「逃げた10位と、まだ見えない9位もいる。先は長いだろうけど――必ず全部潰す」


 シオンの血と、セレナの絶望。

 それらを叩き返す日まで、カズトが止まることはない。


「ええ。8位みたいに、戦闘力以外の方向で異常な幹部はまだいるはずよ。さて、ひとまず撤収しましょう。このままじゃ後処理も進まないしね」


 朝日に伸びた影が重なり合う。

 それは、彼らがこれから踏み込むより深い戦いの始まりを静かに示していた。

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