正体③
「あんた、まさか..そシオン会長の意識を乗っ取った、別の『何か』なの!?」
零の声が、ひび割れた遺跡の壁に鋭く反響した。
問いかけを受けたシオン(?)は、ゆっくりと鏡を頬の横へ掲げる。
そこに映るのは、気品ある令嬢ではない。
底の見えない悪意を湛えた、歪んだ笑みだった。
「さあ、どうかしらね?」
くすり、と喉を鳴らす。
「この器は公爵家仕込み。魔力回路も神経伝達も一級品。少し中身を入れ替えて、丁寧に再調整するだけで、こんなにも素晴らしい兵器になるのよ」
次の瞬間。
シオンは、あまりにも無造作に胸元のボタンを外した。
布がはらりと開く。
白い肌。
その右上に刻まれた、禍々しく蠢くムカデの刺青。
そして中央に浮かぶ、不吉な数字。
「8」
淡く、妖しく光っている。
「ほんとはセレナの絶望する顔を見てから殺したかったのよねー。残念だわ」
「数字持ち!? 幹部クラスってこと!?」
数字を冠する者。
それは組織の中枢——化け物の証。
いま目の前にいるのは、シオンではない。
その身体を借りた、8位だ。
「お前……どこまでセレナ様をバカにすれば気が済むんだ!!」
カズトの怒号が炸裂する。
それに呼応するように、遺跡の空気がびりびりと震えた。
石床の砂塵が、微かに浮き上がる。
「さあ、お喋りは終わり」
8位は退屈そうに肩を竦める。
「安心しなさい。この器が壊れるのと、あなたの命が尽きるの——どちらが先でも、絶望には変わりないわ」
そして。
「こんな風にね」
――バキィッ!!
骨の砕ける音。
シオンは自らの左手で、右腕の肘から先を——
ありえない方向へへし折った。
「なっ!?」
「あああああああああああああッ!!」
絶叫が響き渡り、さきほどまでの醜悪な微笑は消え失せ床へ崩れ落ちる。
「痛い、痛い痛い痛い痛いッ!!」
その瞳に宿るのは、恐怖と混乱、そして本物の激痛。
——これは演技じゃない。
「意識を戻したの!? 丁寧に、痛覚まで繋ぎ直して!」
零が震える声で叫ぶ。
「あははは!」
同じ喉から、愉悦に満ちた笑いが溢れる。
「最高の悲鳴でしょう?お望み通り、意識だけを本来のシオンに戻してあげたわよ」
甘く囁く。
「自分の意思と無関係に体を壊される絶望。逃げ場のない激痛。これこそが最高の愉悦だと思わない?」
シオンは折れた右腕を抱え、がたがたと震えながらカズトを見上げる。
「カズトさん……助け……て……」
「痛い……お願い……もう、いや……」
涙が溢れる。
唇が震える。
「……殺して……」
それは、紛れもなく本物のシオンの声だった。
だが。
その身体は、彼女の意思に逆らうようにゆっくりと立ち上がる。
折れた腕をぶら下げたまま。
「さあ、彼女は殺してって言っているわよ?
楽にしてあげなさいな」
8位が楽しげに囁きながら、一歩にじり寄る。
「あなたが躊躇するたびに、私はこの器をもっと、もっと壊していく」
「お前……」
怒りは、もはや爆発寸前だった。
だがカズトは、殴らない。
目の前にいるのは——
セレナが誰よりも慕った姉だ。
震える拳を握り締める。
雷光が指先で弾け、消える。
「……セレナ様がこの場にいなくて良かった」
声は低い。
だがその奥に、底なしの憤怒が沈んでいる。
「お前は……あまりにも、醜悪すぎる」
「お褒めに預かり光栄だわ」
8位の笑みが、三日月のように吊り上がる。
「それじゃあ——死んで頂戴!」
本人の絶叫など露ほども気に留めず、だらりと垂れ下がった折れた右腕を鞭のようにしならせ、強引に振り回した。
骨が砕けているはずの腕が、不自然な軌道で空気を裂く。
「いやぁぁぁ! 痛い、痛い、やめてぇぇ!!」
メキメキと肉を擦る生々しい音を伴い、折れた腕がカズトへと襲いかかる。
カズトは回避しなかった。
避けることはできる。
だが、自分が避ければ、その分だけ彼女の身体は無理やり引き回される。
全身を巡る魔力を腕に凝縮し、真正面から受け止めた。
衝撃が腕を貫く。
しかし、それ以上に耳を打つのは、シオンの悲鳴だった。
判断力が、確実に削られていく。
「ぐっ、どうすればいい。 折れても無理やり動かしてくるんだ。殺さずに止める方法なんて。」
受けても、避けても、その度に彼女の肉体は傷つき、次第に流す血は増えていった。
自分の選択が、彼女を追い詰めている。
「くっ、零! 何かいい方法はないのか!?」
焦燥に滲む声が響く。
「苦肉の策だけど……骨じゃなくて、足の腱を切るしか」
零は苦い表情で返した。
「腱を断てば、脳がどれだけ命令しても物理的に動けなくなる。でも……激痛は免れない。それに、動けなくなったからって、あいつが大人しくする保証もないわ」
一瞬、視線がシオンの口元へと向けられる。
「嫌がらせで、舌を噛み切らせるかもしれない」
「あははは!」
愉悦に満ちた笑いが、同じ喉から響く。
「優しいのねぇ。そうだわ、あなたが抵抗をやめてここで死ねば、この子は助けてあげてもいいわよ?」
(そんな気なんて無いくせにっ!)
状況は最悪だ。
攻めれば壊れる。守れば削られる。殺せば終わるが、それは選べない。
(こいつを追い出して、なおかつシオン会長を死なせない方法...何か、何かないのか!)
「いいことを教えてあげましょうか?」
8位の声が、わずかに低くなる。
「たとえこの子が死んだとしても、わたしは身体を操れるのよ。ムカデの幹部を甘く見ないことね。この子の身体は灰になるまで使ってあげるわ。その方が、セレナの悲しみも深くなるでしょう?」
「お前ぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
怒りが爆ぜる。
零もすでに周囲を掃討していたが、この残酷な“人質”の前では決定打を放てない。
重苦しい沈黙が祠を支配する。
その時——
静まり返った空間に、場違いなほど切実な叫び声が響き渡った。




