異変⑥
城に到着し、マリアに簡単な事情を説明しながらセレナをベッドへ寝かせた、その直後だった。
彼女は浅く息を吸い込み、はっと目を見開く。
次の瞬間、跳ね起きるように上体を起こし、カズトの腕を強く掴んだ。
「カズト! あの遺跡へ行くつもりなのでしょう!?
わたしも!わたしも行きます!」
指先に、必死さが滲む。
「お姉様が関わっているなんて、そんなはずありませんもの。わたしが、この目で真実を確かめなくては!」
「ダメですよ、セレナ様」
カズトは即座に首を振った。
「さっきのような過呼吸を、また起こすかもしれません。それに、あそこが罠だった場合、今のセレナ様を連れて行くわけにはいきません」
「いいえ! 放っておけるはずがありません!」
セレナは声を震わせ、必死に言葉を繋ぐ。
「でも、思い返せば確かに少し前から、お姉様の雰囲気が、どこか変わってしまったような気配を感じることがありました。でも、それはお忙しいせいだと、そう思っていて!」
自分に言い聞かせるような口調。
冷静さを失い、今にも泣き出しそうなその姿は、王女の気高さよりも、傷ついた一人の少女そのものだった。
そのとき、部屋の隅で静かに控えていたマリアが、一歩前へ出た。
「セレナ様。これ以上は、御心が持ちません。
今はお休みになるべきです」
「どいてください、マリア!これは命令です!」
振り払うように叫ぶ。
「わたしは……わたしは行かなくてはならないのです!
お姉様の無実を、この手で――!」
感情が爆発し、無理やり部屋を飛び出そうとした、その瞬間。
マリアの姿が、陽炎のように揺れた。
「……お許しください」
「えっ?」
次の刹那。
鋭く、それでいて羽毛のように軽い手刀が、正確にセレナの首筋を捉えた。
言葉を失い、糸の切れた人形のように、セレナはカズトの胸へと崩れ落ちる。
「流石ね」
零が小さく息を吐いた。
「加減一つとっても、わたしじゃこうはいかないわ」
マリアは静かに一礼する。
「カズトさん、零さん。
詳しい事情は分かりませんが
セレナ様は、わたしが責任を持ってお守りいたしま す」
一拍置いて、はっきりと。
「ここから先は、お二人の判断にお任せいたします。セレナ様を気絶させた件については、私が責任を取ります。どうぞ、お気をつけて」
その落ち着いた声に背中を押されるように、カズトと零はマリーを連れ、遺跡へ向かう決意を固めた。
城から少し離れた、人影のまばらな街道。
しばらく無言で歩いていたマリーが、俯いたまま、かすれた声で口を開く。
「あの、カズトさん、零さん。
本当に、申し訳ありません」
立ち止まり、深く頭を下げる。
その小さな肩は、壊れそうなほど震えていた。
「わたしが、わたしのような者が、こんな不気味なペンダントなど持っていたばかりに。
皆さんをこんな危険な目に遭わせて、その上、セレナ様まで……」
大粒の涙が、ぽとりと地面に落ちる。
「全部、わたしのせいです」
「ちょっと、やめなさいよ」
零が、ぶっきらぼうに言った。
「誰も、あんたが悪いなんて言ってないでしょ。
悪いのは、あんたを狙った依頼主と、それに乗っかったバカな上級生たちよ」
「そうだよ、マリーさん」
カズトは少し腰を落とし、目線を合わせる。
「俺たちは執行委員だ。生徒を守るのが仕事なんだよ。
それに、俺たちがこの事件に関わったのは、マリーさんを助けたいって思ったからだ」
柔らかく、しかし迷いのない声。
「謝る必要なんて、どこにもない。
むしろ、正直に話してくれて助かった」
マリーの胸元に視線を移す。
「このペンダントの謎は、俺たちが責任を持って解く。
マリーさんの家を守るためにも、必ず」
「……はい」
涙を拭い、マリーは小さく頷いた。
「怖いですけど、、精一杯、皆さんの後をついていきます」
「それでいいのよ」
零は前を向いたまま言う。
「第一、巻き込まれた、なんて今さらなのよ。
あんたが持ってようが持ってなかろうが、遅かれ早かれ、わたしたちは『ムカデ』とぶつかってたわ」
街道の先、深い森を見据える。
「むしろ、このタイミングで覚悟が決まっただけ。
だから、そんな顔して謝るのはおしまい。生き残ることに集中しなさい」
「あぁ」
カズトも頷く。
「俺たちがいる限り、誰も『ムカデ』の好きにはさせない」
マリーは一瞬驚いたように目を見開き、やがて強く頷いた。
「よろしくお願いします」
⸻
森へ入ると、空気は一変した。
冷たく湿った気配が肌を撫で、どこからか「チチチ」と、虫が這いずるような不快な音が響く。
やがて開けた場所に、苔むした石造りの遺跡が姿を現した。
「ここか?」
壁には古い探索の痕跡。
だが、奥へ進むほど、人の手が入った形跡は消えていく。
道中の魔物も、もはや敵ではない。
カズトの帯電した一撃で、霧のように霧散していった。
「冒険者ってのも現金なものね」
零が肩をすくめる。
「お宝の可能性が消えた途端、誰も寄りつかない。
そのおかげで、この祠だけが残ったってわけ」
最奥。
行き止まりに見える祠の前で、マリーが足を止めた。
「あれだと思います。曾祖父様が、ペンダントを見つけた場所」
その瞬間。
マリーの胸元のペンダントが、かつてないほど強く輝いた。
呼応するように、ズズズ……と重苦しい音を立て、祠の中の石扉が動き出す。
「……開いた」
溢れ出す魔力は、禍々しさとは異なる。
もっと根源的で、巨大で、そして――どこか懐かしい。
カズトは一歩前へ出て、マリーを背に庇う。
完全に開いた祠の中。
そこにあったのは、宝箱でも、武器でもなかった。
埃一つない空間の中央に、静かに置かれていたのは――
たった一枚の、古びた手鏡だった。




