スパイの確保
授業が終わり、再び中等部の生徒に頭を下げて壁の補修を終えたカズト。
夕闇に包まれた王宮へと帰宅した三人は、学園でのドタバタ劇による心地よい疲れを感じていた。
カズトは泥を落としたばかりの手を眺めながら、「面倒ごとは多いけど、なんだかんだ最近は平和だよなぁ」と、少し前までの殺伐とした空気を忘れそうになっていた。
しかし、玄関ホールで出迎えたマリアが一枚の書状を差し出した瞬間、セレナが目を細めた。
「そうですか、思ったよりも時間がかかりましたね。ご苦労様、マリア」
報告を受けたセレナの顔から、先ほどまでの穏やかな笑みが消える。
「この王宮に紛れ込んでいた、ムカデのスパイを捕まえました。零、以前にあなたから貰った内部情報が、見事に役に立ちました」
「えっ? 私が教えた、組織の潜伏パターンのこと?」
零はハッとして表情を引き締めた。
彼女は元ムカデの幹部・序列五位。
組織のやり口を知り尽くした彼女の情報は、王宮にとってこれ以上ない武器だった。
「ええ。いくつかの偽の情報で泳がせてみたところ、見事に釣れました。さて、リストは……給仕に、メイド、そして……近衛騎士!?」
書状に並んだ名前に、セレナの眉が鋭く跳ねた。
「この騎士は最近近衛に配属された者ですね。王宮では5年近い実績がありますが、まさかそんなに前から準備を進めて、わたしの喉元である近衛にまで入り込んでいたなんて。さすがはムカデ、恐ろしい執念ですね」
「近衛騎士まで。それって、一歩間違えればセレナ様の命が危なかったってことじゃないか」
カズトは、隣にいる少女がかつてそんな恐ろしい組織の頂点近くにいたことを思い出し、背筋に寒いものが走る。
「ムカデは一度狙いを定めたら、何年かけてでも『脚』を伸ばすわ。王宮の浸食は彼らにとっても必須任務のはずよ。多分スパイはまだいるわね。」
「この調子だと近衛兵を選定できる要職者も怪しいですね。まずは捕らえたスパイの尋問に行きましょう。さて、零。元上司として、彼らから効率よく情報を引き出すコツをご教授いただけますか? もちろん、カズトもついてきてもらいます。あなたも、一応は元ムカデの構成員なのですから」
平和な学園生活の裏側で、血生臭い組織との抗争が再び始まろうとしていた。
冷たく湿った空気が漂う王宮の地下牢。
鉄格子の向こうには、拘束された三人のスパイが並んでいた。
そのうちの一人、メイド姿の女性と目が合った瞬間、カズトの心臓がどきりと跳ねた。
「えっ。アンナさん?」
彼女はカズトがセレナの護衛について間もない頃、「困った事があればいつでも声を掛けて下さいね」と優しく声をかけてくれたり、余ったお菓子をこっそりくれたりした、奴隷の自分にも気のいいメイドだった。
(そうか。あの優しさも、世間話も、全部俺から情報を引き出すための、スパイ活動の一環だったのかよ……)
自分の甘さを突きつけられたような気がして、カズトは目に見えて肩を落とし、地面を見つめて落ち込む。
そんなカズトの様子をジト目で見ていた零が、無言で彼の背後に回り込んだ。
そして、迷うことなくカズトのお尻を全力でつねり上げた。
「いっっっだぁぁぁぁぁ!!!!! な、何すんだよ零!」
「あんたのその情けない顔を見てれば、何を考えてるかくらい丸わかりよ。『優しくしてくれたお姉さんがスパイだったなんてショックだー』とか、そんな安い感傷に浸ってるんでしょ?」
「そ、それは……」
「ムカデのやり方の基本中の基本よ、ハニートラップの真似事なんて。あんたみたいなチョロい男を落とすのなんて、あの子たちからすれば朝飯前なんだから。しゃきっとしなさい。他の女に騙されて落ち込んでるとか、ムカつくのよ」
零はふんっと鼻を鳴らし、カズトを物理的に現実に引き戻した。
「騙してごめんなさい。そんなに悲しい顔をしないで下さい。 あなたと話していた時間は、組織の任務とはいえ、本当に楽しかったんです。」
アンナと呼ばれたスパイは少し悲しげな顔をしながらも、カズトを傷つけないようにと言わんばかりに、これまでと同じような笑みを浮かべてカズトを見つめている。
その目は以前と変わらず優しい侍女のままなのが、余計に不気味だった。
「挨拶はそれくらいにしておきなさい。情けは無用です。この者たちが知っているムカデの次なる計画、すべて吐き出させてやりましょう」
セレナの合図で、尋問の幕が上がった。
アンナはカズトが自分に対して抱いている未練と優しさを敏感に感じ取り、最期の手段に出た。
「カズトさん、お願い、助けて。私、本当はスパイなんてしたくなかったの。あなたと話している時だって本当に楽しくて、その分心苦しくて。でも家族を人質に取られていて仕方なくて……少しだけでいいんです。情けをいただければ、私はあなたに何でも差し上げます。あなたが望むなら、この身体だって、、」
涙を浮かべながら語るアンナは、手足を魔力拘束具で縛られ、床に跪いた状態でありながら、上目遣いでカズトに訴えかける。
さらに、拘束を逆手に取るように身を捩り、器用にスカートを捲り上げて、その白く柔らかな太腿を露わにした。
「えっ、ちょ、アンナさん!? 何してっ」
あまりに露骨な色仕掛けに、カズトは顔を真っ赤にして動揺し、思わず視線を逸らしてしまう。
その隙を突いて、アンナの瞳に「チョロい」という嘲りの光が走った――その瞬間だった。
――ドォォォォォンッ!!!!!
地下牢の石壁が、轟音と共に激しく震えた。
アンナのすぐ横の壁に、零の拳がめり込んでいる。
「…………あんた、今すぐ死にたいの?」
零から放たれる殺気は、これまでみたことが無いレベルだった。
元幹部としての、本物の重圧が地下牢を支配する。
「カズトに変な色目使って、身体で釣ろうなんて.........下っ端風情が私のものに触れようだなんて、最早存在が汚らわしいわ。」
零はアンナの胸ぐらを片手で掴み上げ、壁に叩きつけた。
「いい? 吐きなさい。あんたたちの隠れ蓑、連絡経路、次の暗殺対象。一分以内に話し始めないと、その自慢の身体、二度と使い物にならなくしてあげるから」
「ひっ……あ、あが…………」
零のあまりの気迫に、アンナは恐怖でガチガチと歯を鳴らし、先ほどまでの余裕を完全に失った。
「ふふっ、零。少しばかり嫉妬が混じっていませんか? でも、その方が話が早そうですね。カズト、あなたは後ろに下がっていなさい。次はお尻をつねられるだけでは済みませんよ?」
セレナは楽しげに手で口元を隠し、カズトを移動させた。
カズトは、零の凄まじい殺気とアンナの豹変ぶりに挟まれ、深いため息をつきながら壁際まで下がった。
「はぁ……俺って、スパイの尋問とか本当向いてないな。あんな風に泣きつかれると、どうしても一瞬『えっ』ってなっちゃうし」
「ええ、本当に。カズトはすぐにお情けや色仕掛けに絆されそうになりますものね。女性を相手にする仕事は、この先任せられないかもしれません」
「うっ、セレナ様までそんなに辛辣に言わなくても……」
「事実を言ったまでですよ。それとも、あのメイドの身体に、少しでも興味を惹かれたのですか? もしそうなら、わたしも別の形であなたを教育し直さなければなりませんけれど」
セレナの言葉は丁寧だが、その声には謎の圧がこもっている。
彼女はカズトの腕をぎゅっと、痛いくらいに抱きしめる。
「せ、セレナ様!? 近い、近いですって!」
「離しませんよ。あなたがまた変な女に騙されないよう、わたしが監視しておかなければ。」
前方では零がアンナの顔のすぐ横の石壁を、ベキベキッと素手で握り潰していた。
「ちょっと、二人でイチャイチャしてないでこっち見なさいよ! で、アンナ。あんた、今助けてくれたら身体をあげるって言ったわね? 私の目の前で。その根性だけは認めてあげるわ。だから、そのあげる身体が使えなくなるまで、じっくり可愛がってあげる!」
「ひぃぃっ! や、やめて! 喋る! 全部喋るから!!」
零による非常に効率的な尋問の結果、他のスパイたちもボロボロになりながら全ての連絡経路を白状した。
カズトたちが今夜、その連絡先を物理的に潰しに行くことが決まったが、それは巨大な組織にとってトカゲの尻尾切りに過ぎない。
地下牢を出ようとした時、カズトは後ろ髪を引かれる思いでセレナに尋ねた。
「セレナ様。あの三人、これからどうなるんですか?」
「そうですね。情報はあらかた引き出しましたし、彼らは零さんのように組織の重要人物というわけでもありません。王族暗殺未遂のスパイとして、今夜中には斬首という形になるでしょうね」
セレナは、まるで明日の天気でも話すかのような淡々とした口調で答えた。
「ざ、斬首。そう、だよな。やっぱり、そうなっちゃうのか……」
「カズト、あなたは優しすぎます。彼らは慈悲を乞いながらも、隙あらばあなたを騙そうとした者たちですよ? 国家反逆罪は死罪です。あなたたちが特殊なケースであることを忘れてはいけません」
セレナはカズトの頬に優しく手を添え、諭すように見つめる。
「でも、もし本当に身内を人質に取られてたら...俺だって零を守りたくてセレナ様を暗殺しようとしたわけで...」
「カズト...」
セレナはカズトの優しさに、愛おしさと同時に危うさも感じていた。
その後ろで零は何も言わず、ただ自分の拳についた石粉を払っていた。
彼女自身、運良くセレナに救われただけで、かつては同じ場所にいた人間だ。
アンナたちが辿る運命は、ムカデにいた頃から嫌というほど見てきた景色だった。
「カズト。情をかけたって、失敗した時点で大した力もないあの子たちは死ぬ運命よ。それより、さっさと連絡先を潰しに行きましょう。私たちが動くのが遅れれば、その分逃げられる可能性が高まるわ」
零は努めてぶっきらぼうに言い、歩き出した。
カズトは重い足取りで一度だけ地下牢を振り返り、それから二人についていった。




