第九十六席 聖地アミエ
大人が数十人で腕を回しても囲いきれないほどの巨木のそびえる森。
その大樹の幹半ば。明かりが点々と灯る中、木と木の間に渡された板。
絵文字であるエルフ文字の刻まれた板の表面には、樹脂を塗っているのか、光にほのかな光沢を跳ね返している。
また灯る明かりも火のそれとは違う、しかしほんのりと温もりを帯びたもの。
周りが樹木であるのだから火を使わないのは自然なこと。だがそのために自然の火とは異なるものを用いることになっている。
そう、点々と灯されたこれらは、いわゆる魔法燈。それも光の精霊の力を借りて、太陽の力のほんの断片を本来届かぬところに輝かせるものである。
この魔法技術、地面に近いところでも使われているらしい。
具体的にはどうかと言えば、塔じみた幹と豊かな葉が為に、本来光が届かず暗くじめじめとしたものになりがちな根元。そこにも光と温もりを届けて過剰によどんだ湿気を押し返しているのだ。
それらしい光を眼下に、利康は塗り板の道を、風呂敷包みの木箱を抱えて歩いている。
「広く作ってある道だけれど、足元のさらにその下だけでなく、ちゃんと足元を見てくれよ?」
「すみません、お義父さん。気を付けます」
「そうしておくれ。孫もまだ生まれていないから娘ともどもにもちろん。我々もまだまだ君の力が必要なんだ。早々に冥界に去られてしまっては困るよ」
そう言いながらすぐ前を先導するミッテウルを始めとして、利康の前後には数多くのエルフが。
そのうちの数人は利康が持つのと似たような、大小さまざまな風呂敷包の箱をそれぞれに。
この弟子たちと共に運んでいるモノの中身は、言うまでもなく風炉を含めた茶道具の数々である。
利康ら一行は今、茶席を催すためにイオグラシアの化身たるアミエノミンハスラの根元へ向かう途中なのである。
だがこの中に、利康の一番弟子にして妻であるフミニアと、その姉であるアイアノの姿は無い。
利康と入れ替わる形で、姉がフミニアと共に村に留守番として残ってくれているのだ。
事の起こりは半月と少し前。フミニアの懐妊を祝う席に持ち込まれた、祝福の言葉とそれに添えられた頼み事のメッセージである。
その頼み事も先に言った通り、一言で言ってしまえばアミエノミンハスラ、つまりはイオグラシアに捧げる茶席を取り仕切ってほしいというもの。
もちろん村に学びに来ている弟子たちやアイアノを通じた伝道のおかげで、エルフたちも抹茶を飲んで楽しむには問題が無いくらいのことは出来る。
実際これまでにアイアノが点てた茶を聖地に捧げ、奉納したこともあった。
だが実り豊かな時季を過ぎて、冬を前にしての大きな奉納儀式ともなれば話は別。
種族全体の師匠を呼び寄せて、しっかりとした一席を催したいものだろう。
そこで利康から、豊穣神へのイァド一族の娘の懐妊報告を。加えて、ご加護乞いも兼ねて茶席をひとつ。と言う話なのである。
フミニアのお腹の子には、すでに変革神様からの御加護が下されているのに。
そう心配した利康であったが、話によれば、さらに豊穣神の加護を重ねても、かち合い打ち消し合うようなことにはならないのだと。
仮に。グロレオウスからのものまで願ってしまっては、加護のケンカ状態に陥るだろう。だが豊穣神であれば、妊婦とその子を護るためのものならば、イオグラシアはどの御柱とも絶対に手を携えて加護を下さるのだ。
むろんそれは、かつて破壊神であったレンボルテオラス相手であっても例外はない。
もっとも、豊穣神と変革神の相性は元々悪いものではないのだが。
加えてエルフはその神話に語られるように、豊穣神の化身である世界樹が落とした種子から産まれたもの。その血を引いたフミニアであれば、豊穣神の力と馴染みやすく、受け入れやすいだろう。
そういう訳で、利康は何の憂いもなく茶を点て、妻と子への御加護をねだりに行けるのである。
実は、フミニアもまだお腹が重くないということもあり同行したがった。であるが、アイアノがそれに強硬に反対。利康の代わりに共に村に残ることで、留守番をさせているのである。
「聖地に入った、と言われてからもうずいぶん歩きましたけど、世界樹の根元はまだ先なんですか?」
さておき、利康は荷物を持つ手をそっと入れ換えつつ、傍らの義父にそう尋ねる。
エルフが定める聖域の中心地である聖地アミエ。
そこに入ってすでに二泊。屋根と壁を備えた簡素な中継点を宿として、塗り板の道を歩き続けているのである。
遠くを見通そうにも、いくら明かりがあるとはいえ、大樹の密した森の中。太い幹が壁となり、また木と木の間を渡す道の構造上、一直線に目的地に通せるわけもない。
頭上にはまた密度の濃い枝が屋根となり、朽葉が落ちて多少透けたところで頭抜けて高いという世界樹の姿を眺めることもかなわない。
つまるところ、どれほど近づいているのか、真っ直ぐに見てどの方角にあるのかそれすらうかがい知れないまま、利康は歩き続けているのである。
「ああ。そろそろ地面に降りることになるよ。実はもうすでに下り坂には入っているんだよ。ほら」
そうミッテウルが指し示すとおり、よくよく見れば道を照らしている明かりは先に進むごとにその高度を下げている。それどころか、振り返って見るにこれまで通ってきた道は明かりを数えるごとに高くに登っているのである。
確かにささやかな、緩やかな傾斜である。だがそれでもまるで気づかないなどと言うことがあろうか。
実はこれまでの板道にも、わずかな上り下りの傾きが度々に挟まれており、そのために傾斜に対する感覚を麻痺させられていたのだ。
「地面に降り立てばもうすぐだよ。今日中には到着して奉納をできるはずだ。そのまま夜は根元祭壇の近くで明かすことになるだろうけどね」
「なるほど。分かりました」
ミッテウルの見立てを信じて板坂を下り続ける利康。
そのまましばらく歩けば、塗り板の道は地面に接する。
巨木を支える太い根がために、ひどく隆起した地面。
その合間を縫うような形で、比較的凹凸の少ないところが道となって奥へ続いている。
太陽の欠片ともいえる魔法燈たち。道の両端を固めるように、根元の濃ゆい暗影を押し返すその明かりたちは、まさに地上の天の川。
そうして形作られた光の道筋をたどって、一行は先へ先へ。
道を照らすばかりか、よどみがちな湿気まで晴らす光は、夏の日差しのように強くはない。それは時季のためか、魔法の加減か。とにかく温もりの心地よいもの。
こうした明かりは目にも楽しく。利康は歩きながら、高さも間隔も様々に並ぶ光を眺める。
それからどれほど歩いただろうか。
休憩を挟みながら、しかし長時間長距離の歩みは、いくら面白い光景があったとしても、体力には容赦なく響いてくる。
背すじを丸めることなく、しかしあえぐような息を挟みながら、利康は遅れるまいと足を進める。
「ほら、見えてきたよ。もう少しだ」
そう言ってミッテウルが指さした先には、ひと際大きな光の塊が。
その大きな輝きを灯すのは、太く見上げるほどに高い大樹に囲まれてなお二回り以上は太い幹の根元。
辺りを囲むものがほんの若木に錯覚するようなその威容は、まさに天地の御柱。世界樹と呼ぶにふさわしい。
「ようこそおいで下さいました。茶の湯の伝道師よ」
その迫力に呑まれていた利康に投げかけられる声。
その声に視線を落とせば、アミエノミンハスラの方角から近づいてくる人影が。
「おお。クウスの祭司殿自ら迎えに出て下さったか」
声の主に気づき、片膝をつき首を垂れるミッテウルと供のエルフたち。
それに倣って利康もまたその場に正座。手をついての礼で応じる。
「どうか楽にしてください。祭儀の中で行う茶席をと願ったのは我らからなのですから」
ややかすれた低い声。柔和なそれに従って利康が面を上げれば、長い白髪を蓄えた男のエルフの姿が正面にあった。
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