第九十席 夕日に弾ける赤い雫
『輝けるグロレオウスよ。影に逃れる者に光の縄を打たせたまえ』
厳かな祈りの声。女性の喉による唄うような声に続いて、斜に注ぐ赤い夕日がうねり歪む。
獲物を定めた蛇の如く光が襲いかかるのは十人に満たない小さな集団。
利康とエルネストの案内で村への道を進む半ば、野営の準備を整えていたセシル一行である。
『うつろいゆく様を愛ずるレンボルテオラスよ! あるがままを縛り止めようとする力を退けたまえ!』
捕らえようと降り注ぐ光の縄に対して、エルネストの祈りの声も鋭く。
それに応じた変革神の力が、グロレオウスの拘束を弾いてかき消す。
『走れ! 捕まえられるぞ!?』
しかし真っ向から打ち消したにもかかわらず、エルネストはすかさず同行者たちに逃げるように急かす。
そうしてエルネストをしんがりに残す形で、野営地から逃げ出す一行。それを追いかけるのは白い光輝神の法衣を身にまとった女。
淡い青に金糸の刺繍を施したゆったりとした衣。それと長い金髪をなびかせて歩く細面の美女。
しかし逃げる者たちを見るその笑みは冷ややかである。
『小手調べとはいえ、我が神の拘束を打ち破るとは、さすがは破壊神の神官といったところかしら? それもかなりの高位神官のようね!』
『変革神だ! 間違えんな! あとたかだか田舎村の神官をムダに高く見んじゃねっつうのッ!!』
挑みがいのある壁を見つけて、手ごたえを期待するような弾み声に続いての拘束神術。
対するエルネストは女の言葉を怒鳴り訂正しつつ、対抗の神術で再び迎撃。再びかき消す。
『うつろいゆくような曖昧な神の変化などどうでもいいのよ!』
『良いわけがあるか!』
そして三たび放たれた光の縄を、エルネストは切り裂いて見せる。
『やるやる。つまらぬ謙遜でごまかしたところで、私の目はあざむけないわよ破壊神官!』
『こンの時代錯誤女が!』
叫びと共に繰り返される神聖魔法の応酬。
それは各々の使徒を介して繰り広げられる、変革神と光輝の神との格闘である。
「どうしてこんなことになってしまったんだ!」
そんな神々を背負った魔法合戦を振り返って、利康が声を上げる。
港でセシル一行を迎えた利康たちは、一晩休んでからの出発を提案した。
だが護衛の者たちは、少しでも早く村に着きたいと主張。セシルもまたそれに賛成した。
この港も小なりとはいえ、河口に沿った交易の拠点。何者が潜り込んでも不自然でない状況を嫌ってのことである。
案内する相手に望まれては否も無く。ほんのひと時の、食事が終わるまでのわずかな休息を挟んでからすぐに発つことに。
ただ、船着き場から移動を始める前に、迎えに出した炊き込み飯とシュリーンのスープを分けてほしいと頼まれ、そこからレシピも教えてほしいと引き留められる羽目に。
この世界、出汁の概念が未熟であり、煮込むことで味や香りを出すことのできる食材についていくつか知られている程度でしかない。
例外はエルフ料理で、干しキノコや野菜を用いた出汁を一般的に用いている。もちろんフミニアが日頃から出している品もその流れを汲んでいるのだ。
そのため、出汁を狙って出した利康の料理は、この世界で新鮮な驚きをもって迎えられたというわけである。
セシル一行のみならず、味を好評で迎えられたことは良い。
それはいい。
しかしそれがために、ずるずると出発までの時間は引き延ばされて、結局頂点に達する前であった太陽が、軽く西に傾くほどの刻限になってしまった。
それでもなお、セシル一行は出発を強行。
どちらにせよ目的地が一日程歩いた先にあるということもあり、どちらにせよ一度か二度の野営は避けられない。そう考えての決断であった。
こうなれば今日中に客人の移動時間が減ったのは、逆に良かったとするべきか。
良かったと思うしかない。
そうして荷車を牽き牽き、一行は森にある村を目指して進んでいた。
荷車に乗った、村の蓄えと交換した塩と、コガ家の蔵の中身と引き換えに手に入れた品、そしてセシル。
引き手はアルベルトたちが代わる代わるに引き受けてくれはしたものの、その重みで鈍くなった歩みはいかんともしがたく。
結局は港を出てすぐに一度目の野営の仕度に入らなければならなくなった。
そうして、鈍くなった足でどれだけ道が延びるかを確認しながら火の仕度をしていたところで、港から追いかけてきていたらしい女神官に、問答無用に襲われたというわけである。
まさにどうしてこうなった。と、ステップを踏むしかない状況である。
『港で貴様が暗黒魔法を行使するのを見てもしやと思ってつけていたが、破壊神の神官がそのように愛らしい少年を連れ去り何をするつもりかッ! いいや言わずとも良い! むごたらしい奉げモノにするつもりなのだろう? 物語のように! 物語のようにッ!』
『言わせろよ!? 聞いたんならよぉ!? あと暗黒魔法じゃねえんだってのッ!!』
一方的な言い分と、偏見への訂正を挟みながらの応酬は続いている。
漫才めいたやり取りではあるが、少なくともエルネストは必死でこちらを縛り付けようとする女神官に抗っている。
その言い合いの内容からするに、どうにも港でのレンボルテオラス神の神聖魔法を使ったあたりから目をつけられていたらしい。
しかも本当にひどい偏見と言うべきか、狭量と評するべきか。百年経っても未だに破壊神時代の感覚を引きずっているのだということが言葉端からでもわかる。
『見るからに穢れない愛らしい少年を破壊神に捧げるなどもっての他! 至宝を打ち砕くがごとき愚行! そのようなことは私が断じて許さない! というか贄にするくらいなら私によこ……ゲフンゲフンッ! 預けなさいッ!!』
その上どうやら、異性の好みが少しばかり歪であるようで。
『そこの君、もう心配いらないわ! お姉さんがすぐに助けてあげるからね! 怖い夢を見ないように、毎晩一緒に寝て……ウヒヒ』
セシルのような幼い男の子が、嗜好のド真ん中に当たるようだ。いかがわしい意味で。
そこを理解した瞬間、利康はこの女神官を手ごわい相手だとの認識を新たに。
こういう手合いは、興味をそそるものを手に入れるのに、まるでなりふり構わないからだ。
趣味人としての感覚を持ち合わせる利康にとって、その有り様は馴染み深いものとして、否応なしに共感できてしまうある。
ある意味でグロレオウスの神官らしいと言うべきか。
どこぞの雷神じみた光輝神の評判。それを知れば、仕える神に似たのだろう、と思うのも自然というもの。
もしかしたら、女として生まれた分霊化身の類いか、父の血が魂にまで染みて生まれた半神人なのかもしれない。
しかし狙われている当人は、女神官な叫びの意味が分からず首を傾げるばかり。
だが落ち延びてきた護衛たちは、御稚児趣味の女から逃すべく、幼い主君を抱えに。
『させないわよ!』
『ぐおッ!?』
しかし真っ先にセシルを抱えに手を出したアルベルトの腕が、光の縄に絡めとられる。
さらに後に続く護衛たちも同じく、グロレオウスの神聖魔法に縄を打たれる。
真正面からしんがりと魔法合戦を繰り広げていたのはあくまでも陽動。本命はその間に進路上に忍ばせていたようだ。
『アル? そんな!?』
『なんだと!? 我が神レンボルテオラスよ!』
背後から上がる声に、エルネストはあわてて振り返り、戒めを解くように祈りの言葉を。
『甘いわ』
『ムグゥ!?』
しかしその言葉は、間髪入れずに伸びた光縄に口を縛られ、遮られてしまう。
『フフン。この“ランシェルフの明星”レティシアを相手によく粘ったものだけれど、しょせんは破壊神官とその一味。正義の輝きの前に屈する運命なのだわ!』
光の縛鎖を受けて地に伏すエルネストを見下ろし、勝ち誇るレティシア。
『誤解! あなたにとても誤解があります!』
『何を珍妙な言葉づかいを!?』
そんな一方的な決めつけだけで話を進めるレティシアに、利康は誤解であると重ねて主張。
しかし利康のヘタクソな東方語での必死な訴えに、女神官はただ不快げに顔を歪めて。
そしてレティシアが、利康に向けても拘束の魔法を使おうとしたその刹那、彼女の腰に小さなものがぶつかる。
『あ、あら? キミ?』
レティシアの腰に抱きついたのは、果たしてセシルであった。
好みの男の子が飛び込んで来たことに、レティシアの顔はみるみる緩んで。
『怖かったのね? でももう大丈夫よ。これからはお姉さんが、いつでも寝るときでも傍にいて……』
『どうしてこんなヒドイことするんですか!?』
『え?』
しかし抱き返そうと手を伸ばしたところでぶつけられた言葉に、女神官は固まる。
そう。セシルが抱きついたのは、レティシアが思うような理由からではない。
アルベルトたちを、そして自分たちを受け入れる者たちを守るために、その小さな体全部で立ち向かっているのだ。
レティシアをここから一歩も通すまいと引き留めるセシルは、そのまま顔を上げ、涙ぐんだ目で女神官を睨み付ける。
『これ以上ヒドイことするなら、許しません!』
『ぶふぉあッ!?』
そしてセシルが叩きつけた言葉に、レティシアは額を撃たれたように仰け反って。
その軌跡をなぞるように夕日に散った雫。
鼻から溢れたそれは、朱色の光の中にあって、なお鮮やかに赤かった。
今回もありがとうございました。
次回の更新予定は例のごとく未定です。どうか気長にお待ちいただけましたらと思います。
今後とも拙作をどうぞよろしくお願い申し上げます。




