第八十九席 現実が地獄と言うのなら
『見渡していること、あなたたちにとても感謝する』
港の一角。さほど大きくはない船向けの区画で、利康は揃いのバンダナを身につけた青年たちに頭を下げる。
『なに良いってことよ。陸に上がるのを、あったかい飯で迎えてやりたいってのはよくいるしな』
『やる前に申告してくれるってだけでありがたいって。黙ってやってボヤ起こす奴が多くてさ。そうなると火消しが大変なんだ、これが』
利康のヘッタクソな東方語に朗らかに応える青年たちは、港の自警団である。
物々しい名前ではあるが、やっていることは港の細々としたトラブルの予防と解決。
消防もその一つであるため、事前申告によって予防に協力したことは大変に好意的に受け取られていた。
おまけに火事対策の見張りとして着いてもらった礼として、酒やら何やらを。物品ではあるが支払っているのだからなおのこと。
『ほんじゃ、後はきっちり後始末しといてくれな』
『でかいゴミとかほったらかしにされたりすると、また面倒なんだな、これが』
『分かりました』
余計な手間をかけないようにと念押しして、自警団な若者たちは背を向ける。
その背中を会釈で見送った利康は、音もなく振り返る。
向き直った先には錨を下ろしたピラニオ団の船。その傍らには樽をテーブルに、木箱を椅子として設えた席と、そこに着いたセシルと数名の傍仕えたちの姿がある。
その中でも、特に負傷を重ねていた護衛のアルベルトの傍にはエルネストが。
『うつろうさまを愛でるレンボルテオラスよ……この者の体を有るべき形に変えたまえ……』
変革神へ向けた癒しを求めての祈り。
それを受けて、赤毛の神官の手から広がった光は、アルベルトの身に染み込んでいく。
やがて光が収まると、アルベルトは左腕を吊り布から外して動かしてみる。
そして恐々とした様子見を終えて、消え失せた痛みに驚きの声を。
『さて、他に怪我をしてる人は? ただ、我が神の世話には断じてならぬと言うのであれば、それは自由ですがね』
冗談めかして言いながら辺りを見回すエルネスト。すると近習たちの中から、ひとりふたりと手を上げる者が。
対する赤毛の神官は任されたとうなづいて、神聖魔法を唱えて負傷者の治療に入る。
そうして亡命の旅路で負った傷の手当てを終えると、利康は用意していた物を仮設テーブルとそこに重ねたクロスにのせる。
それは大振りの鍋と、人数分の皿である。
「ここまでの旅でさぞお疲れでしょう。ささやかながら、食事を用意させていただきました」
利康が日本語で告げる口上。それをエルネストが訳す間に、利康は鍋をふさぐ蓋を上げる。
溢れ出す湯気。
蓋のみならず、分厚い蒸気の幕に秘されてあったもの。
それは種々の具材も色鮮やかな、艶やかな炊き込み飯であった。
葉野菜の緑に、根菜の橙色。そこに赤く小さな輪がぽつぽつと混じって。
エビに似た甲殻類のむき身は、ピンクと白も鮮やかにぷりぷりと。
『麦? と見えましたけど、これは違いますよね』
そして具材の味が染みている飯の粒を見て、護衛のひとりがつぶやく。
『そうなの?』
『確かです。湿地帯に生える、麦もどきの野菜がこのようなものだったかと』
問いかけるセシルに、つぶやいた護衛はうなづき応える。
そう、そのとおり。この炊き込みに使った品は麦ではない。
これを港市場で見つけた時には、利康も思わず詰め寄るほどに驚いたものであった。
米である。
はぐれ者の村から程近く。一日歩いて着けるような所に、米が交易に出されていたのである。
脱穀も浅い、玄米の状態。それも淡く赤みや黒色を帯びたものの混合ではあった。
だが米と呼べる存在とこの世界、このレナンジェイス大陸で巡り会えたのである。
当然驚きに伸ばした手をそのまま、即コガ家の蔵の分を使って交換。
そうして浮わついた気持ちをステップに出しながら荷車へ。
この利康の喜びように、エルネストは引いた。
どん引きであった。
そんな友人の反応に、利康は妻には見られなくてよかった。と、省みて思う。
しかし、半年近く米を断たれて、いざ食べられるとなったら、日本人なら大なり小なり浮かれるものだろう。
手に入ったものがたとえそれ「らしい」程度のもので、味も日本で育てられているモノには遠く及ばないだろうことが分かっていたとしてもである。
日本人としてはごく自然なこと。仕方がないことなのだ。
そう米を前にして抑えきれなかった自分の滾りを正当化して、頭を切り替える。
「ええその通りです。遠く、私の故郷で主食として扱われていた穀物とそっくりなのですよ」
言いながら利康は、出汁と具の味が染みた飯を器によそっていく。
そうして炊き込み飯を人数分よそったならば、続いて飯炊きに使ったものと同じ出汁を用いたスープも。
それも済んだのならば最後の仕上げ。
小ぶりな花をそれぞれ一輪、飯を盛った器に添えて。白く艶やかな石を枕に匙を置く。
「貴人の食卓の形式に整えられず申し訳ありません。ささやかな膳ではありますが、お口に合いましたら何よりです」
盛りつけが仕上がったとの宣言。それに続いて利康は余らせた飯の少しばかりをすくって一口。
これは毒など入れていない。そう伝えて安心してもらうためのこと。毒見のパフォーマンスである。
しかしその一方。最終確認の味見では物足りなかった、お米分の追加補充も兼ねてもいる。
昆布風の海藻。それにエビ殻から煮出したものを合わせた出汁。
その風味に混ぜて炊いた野菜のうま味。それを生米から吸い込んでふっくらとした米の食感。
日本で慣れ親しんだ米には及ばないながら、米の味には紛れもなく。
利康はやや歯ごたえの強いそれを噛みしめて、胸に沁みるような気持ちに、堪らず目頭を抑える。
「トシ? 大丈夫か?」
「え? ああ、すみません、大丈夫です」
様子を窺うエルネストに、利康は平気だと。何でもないとごまかして。
一年と断っていたわけでもなく。さらに先に出来上がりの味見は済ませているというのに、いまだに目頭に来るほどに懐かしくうれしい。
米に対してこうも感じ入るあたり、自分はどこまでも日本人なのだと、利康は改めて実感する。
そんな思いはさておき、恥ずかしいところを見せてしまったセシル一行にもごまかしの笑みを。
『いえ。旅の中では、こんな風に洒落た盛り付けをする余裕もありませんでしたから。しばらくぶりの美しい食事に和めています』
するとセシルは気にしていないと。むしろ花を添えて盛りつけられた料理にちらちらと輝く目を送りつつ。
しかし期待に輝く青の瞳が向けられた料理は、その間にも毒見役のアルベルトに削られていっている。
作り手が先に食べて見せて無毒であると主張はした。だがそれでもセシルの皿には念を入れてと行われる毒見。
それ自体は無礼とは言えない。むしろ慎重さを褒めるべきである。
食べて見せた利康は無事である。が、仕込まれた先が皿やスプーンである可能性もある。
さらに利康が毒を予防する薬をあらかじめ服用していることも、考えられない話ではない。
ましてや利康が気づかれずに仕込まれていることも充分にありうるのだ。
命を狙われ、国を追われてきた貴人の一行としては、当たり前だと言っていい対応である。
『……なんと! こんな味がこの世に!? シュリーンの味が身を食べなくてもこれほどまでにくっきりと!?』
しかし、強面を険しくして感動を口にするアルベルトを見る限り、毒見の役目はすっかり吹き飛んでしまっているようであるが。
『し、失礼しました、で……セシル様。食べても問題ないようです』
『そう。ありがとう、アル』
セシルのみならず周囲からのじとりとした視線。
それにアルベルトがようやく気がつくと、彼は気まずげに毒の心配はないと身を引く。
しかしセシルは護衛が安全を保証した料理に手を付けずにうつむいて。
そこへ利康の他まわりの者が声をかけようと。だがその瞬間、セシルは意を決したように顔を上げる。
『あの……貴方は、遠く離れた故郷と言っていましたが、貴方も国を離れてこちらに?』
突然の質問に利康は目を瞬かせて。しかしすぐに首を縦に肯定の返事を。
「ええ。私は異界より、このレナンジェイス大陸へと飛ばされてきた者です」
『異界? ですか?』
「はい。私の故郷では、すべての大陸の存在が知られておりましたが、レナンジェイス大陸という陸地は存在しておりませんでした」
エルネストの訳を受けて面食らうセシルに対して、利康は自分が異なる世界の生まれであることを重ねて告げる。
いきなりに見知らぬ土地に飛ばされ、帰る術を持たずにいること。しかし良き出会いに巡り合えたおかげで、不自由なく道楽を楽しむ余裕がある暮らしが出来ていること。そのような現状を簡潔に。
『それで、どうして……そんなにも晴れ晴れとしていられるのです? ここは貴方の生きてきた土地とはまるで違うのでしょう? 故郷を懐かしむ思いもあるでしょうに、どうして?』
「楽しめているから、ですね」
セシルの問いに、利康はまたも簡潔に。
しかし一言だけでは理解も納得もできるはずもなく、セシルは困惑に瞬きつつ首を傾げる。
「故郷にはこんな話があります」
そこで利康はそう一言前置いて、話を続ける。
地獄と極楽。
相反する死後の世界であるが、この二つの世界ではどちらも同じく食事にはとんでもなく長い箸を用いるのだという。
地獄にいる者たちはあまりの箸の長さのために食事ができずに常に飢えて。
しかし極楽にいるものたちは長い箸の先を自分の口に持っていこうとするのではなく他人のところへ。
そして自分の口には、別の者が食事を差し出してくれるので飢えず満たされているのだという。
奪い合うことの愚かしさ。また反して分かち合うことの尊さを解く話である。が、ここで重要なのはもう一点。
地獄にも極楽にも同じものがあるということである。
同じ道具、同じ食事であるのに、人が違えば雲泥の差。
ならば場所は重要ではない。
いま生きる時と場所。現実にあるものをどう活かし、どう楽しむか。自分がどう受け止めてどうするのか。それが肝心要なのである。
便利で発達した文明から投げ出されたという現実。
それを地獄だと嘆いて腐ったところで、いまの暮らし向きが良くなるわけがない。
ならば逆に考えて、凝り固まったイメージのないこの世界で自由な茶数寄を追求、普及に苦心するほうが充実した生を送れるというわけである。
『そういうもの……ですか』
「そちらと私では、国に帰れないということはともかく、それ以外で置かれた状況がまるで違います。なので同じようにはいかないのは当然かと」
命からがら逃げてきた幼子が、物の見方次第だなどと言われても切り替えが利くはずもなく。無理もないことだと利康は理解を示す。
「ですが、ここはひとつ料理に手を付けてみてはくれませんか? 少しでも美味しく味わっていただきたいのです」
『は、はい!』
さておきと利康は食事を促して。
それにセシルは慌ててうなづくと、食前の祈りも手早く、出された料理に手を付ける。
そして一匙含んで固まってしまう。
「……いかがですか?」
『美味しいです! すごく!』
利康がそこへおずおずと問いかければ、返ってくるのは笑顔。
重なった辛苦の為にぎこちなく、しかし心からの笑み。それに利康とエルネストも、そしてアルベルトたち近習もまた安堵で口元を綻ばせるのであった。
今回もありがとうございました。
次回の更新日時はやはり例のごとく未定です。どうか気長にお待ちください。
今後とも拙作にお付き合いいただけましたら何よりです。よろしくお願いします。




