第七十九席 やってもいいということと、実際出来るかは別問題
やぐらの根元にて、香を焚いて整えられた祭壇。
豊穣の女神イオグラシアはもちろん。その兄弟姉妹たる始源の大神たちを中心に、数多の神々の像やシンボルを並べて設えられたそれ。
イオグラシアが催す神々の宴。
そのような印象を受ける祭壇へ、村の収穫物が次々と。
野菜や麦を山盛りにした籠。燻製の肉。
そして果実酒を封じた小樽の数々。
森とそれを育てる大地。それがもたらした豊かな実りと、それを人の技にて加工した品々。
それらが運ばれ捧げられる様は、祭壇の趣きもあって宴の料理が絶えないように運び続けているようにも。
ルタの乱入騒動から仕切り直し、改めて始まったはぐれ者の村の収穫祭。
騒ぎになったときはどうなることかと思ったが、村人たちも皆気を切り替えられたらしく、いまはつつがなく進んでいる。
次々とくる捧げものを、祭壇の前に構えたエルネストが捧げ上げていく様を見ながら、利康は安堵の息を。
しかしそれもすぐさま冷や汗交じりに強張ったものへ。
その原因は利康の隣から発せられる冷ややかな気。
言うまでもないかもしれないが、冷ややかなとは言っても、もちろん実際に冷気が吹きつけられているわけではない。
精神的な圧力からくるものである。
「お? あの壷と蓋つきの筒はなにか面白そうな匂いがするよ!? 運んでるカワロちゃんからして、あれがトシさんのってことかな?」
「ええ、そうです。ヒラトワさんが運んでるのは、コガの木から取れる種の油と、葉を加工した抹茶。いずれこの村の名産品の一つとなるものです」
利康の右隣に陣取ったルタが好奇に三眼を輝かせての質問に、左隣のフミニアがにこやかに答える。
「へぇーそうなんだ! 油搾ったり、草や葉っぱの加工って結構手間だよね。そういうのも力になれると思うよ、トシさん!」
「まあ。それは頼もしいです」
朗らかな声の主張と、それに返す穏やかな声。
声音にも内容にも剣呑なものは何一つない女同士の受け答え。
しかし間に挟まれた利康は、柔らかな綿で、しかし万力のような力で左右から押し潰されているかのような錯覚さえ感じている。
なぜこのようなことになったのか。
利康のこととは知らず、この世界に異世界の知識を伝え、実現してきた者に興味を持っていたルタ。
そんな彼女の出現を、フミニアは常ならぬほどに警戒。
だが、それが逆にルタの直感に触れた。
村長夫人が隠そうとする利康こそが、異界知識の伝道者その人。ルタが仕事仲間として興味を抱いていた存在であると知られてしまったのだ。フミニアの警戒は、完全に裏目に出てしまった形になる。
ルタは興味を持っていた利康が、フミニアと夫婦の間柄であったという事実を聞いて、わずかに驚きを見せた。だがかっさらわれまいと、尖り耳を立てて威嚇するハーフエルフに、興味はあったがそれ以上の存在では無いと笑って。
そんな彼女へ、利康は今日のところは祭を楽しんで欲しいと、新たな仲間を歓迎しての握手を求めた。
するとルタは、満面の笑みで利康の差し出した腕を絡めとり、抱き込んだのだ。
背丈に反して豊かな胸。
柔らかなその間に利康の腕を捕まえたのだ。
フミニアの心配を、無用の長物だと笑い飛ばしたそのくせに。舌の根も乾かぬうちに起こした行いに、フミニアの眦と耳は逆立った。
そして収めようとしかけていた警戒心を再び。ルタが捕まえたのとは逆の腕を抱きしめた。
右手で楽しげに三眼を綻ばすルタと、左手からそれを威嚇する妻。
それを利康はよろしくないとして、ルタをこういうからかい方は良くないと、やんわりとたしなめた。
「たしかにルタさんはまだ興味だけの段階だけど、トシさんが思った以上に面白いものを見せてくれたなら、それだけで無くなるかもね?」
しかしルタはそう言って、三つの眼での上目づかいを添えて艶っぽく。
堂々と夫への誘惑と、それを続けるとの宣言に、フミニアの腕を抱く力が強くなる。
「いけません。僕は妻を、フミニアを愛しています。応えられないのに、興味本位で誘われても困ります」
フミニアの怒りと不安を鎮めるべく。そしてなにより、不義という自身にとって美しくない行為への誘惑を拒絶するべく。利康は柔らかな口調で、しかしはっきりと拒否の意思を口に出す。
だがそれにルタはキョトンと、三つの目を瞬かせて首傾げ。
「別にそっちの奥さんとお別れする必要無いよね? ウチがマジに落ちちゃったとしても、お妾さん枠はありっしょ?」
そして不思議そうにそう言ってのける。
そうなのだ。
このレナンジェイス大陸において、重婚はありふれたものなのである。
ただし、抱えても充分に養える能力のあるものに限った話であるが。
この百年ほど大きな戦いは無く、いま大陸は比較的平穏な時代にある。
しかしそれ以前の時代も含めて、どうしても女の方が余る事情がある。
危険に臨んで死ぬのはまずほとんどが男からだからである。
これはなにも、女が戦う力に劣るなどという話ではない。勇猛な女傑の物語はレナンジェイス大陸にもいくつもある。
次代の命を産めるものを守る。生命としての「当たり前」に根差した、ただそれだけの、効率的な順序づけに過ぎない。
そして生き残った、甲斐性のある男が、女たちを背負って子どもと合わせて養ってきたのである。
これは秩序の神も、きちんと契約を交わした上のものであれば認めている。
そうした経緯があり、男にとって既婚者であるということは、アプローチをはねのける絶対の防壁とはならないのである。
利康もそれは理解できる。が、個人の感性がそれを拒む。
地元と、または外との結びつきを強めるために、名士と縁戚関係を結ぶといった具合に。
いわゆる政略結婚である。
こう言うと国レベルの縁談話をイメージするだろうが、単に規模が違うだけの話でしかない。
地球でも時代、地域で異なる話ではあるが、ありふれた事例である。
これがこの土地、この時代の文化であるというなら理解はする。多数の妻を抱えた男と知り合っても、そこを非難したりはするまい。
しかし利康自身が多妻の形を取るかどうかは別問題である。
男女は一対一。死別の時が訪れるまで寄り添いあうこと。それを最上の形として育まれた美意識からすると、どうしても抵抗が先に立つ。
今後仕事仲間、友人として付き合いを続ければ情も湧くのだろう。
見目も魅力的であるから、情に重ねて欲望を刺激される可能性も否定はできない。
だが仮にそうなったとしても、やはりそれ以上の後ろめたさが勝つことになるだろう。
付け加えて、利康は現実問題として自身に複数の女性を妻と養える甲斐性は無いと思っている。
はぐれ者の村の村長役を任されている人間が何を、という意見もあるかもしれない。が、村の蔵は村のもの。コガ家の財産とは別である。
村人たちが出してくれる交易用の物品は、すべて村人を食べさせて、村を豊かにするために使わなければならない。
コガ家一つの上げる収益では、妻とこれからできるだろう子どもたち。そしてさらに奉公してくれているカッペとヒラトワの二人を養うのがせいぜい。
後は数寄心を満たすために、個人的にお仕事を依頼するくらいか。
しかしそれも、これからカワロ二人に連れ合いの世話をするとなれば、今のままでは茶数寄方面にかける財を切り詰める必要も。もし世話は必要ないとしても、奉公人に食い扶持が増えることも考えれば、どちらにせよまだ財布事情に安心はできない。
見方によっては自分から財力を制限した上で、わざわざ余計なところまで背負いこんでいるように見えるかもしれない。
だが利康は、本気でここまでが家庭を持ち、奉公人を抱えた村長の責任であると考えている。
もっとも、この責任感と志を貫ききった者はレナンジェイス大陸史上に存在しないのであるが。
しかし利康はそんな感覚から己が身の丈を測り、やはり自分にはそれだけの甲斐性は無いと首を横に。
いくら教え伝えるように望まれているとはいえ、個人の趣味に傾ける財のことを家計の秤に出す段階で多くを抱えるには向いていない。
「これより、数多の恵みの中から最も新しき恵みを捧げます。お納めください」
内心でそう結論付ける利康へ、祭壇のエルネストから出番を告げる声が。
「では、行きましょうか」
「はい」
それを受けて利康は傍らの妻とうなづき合い、神々への捧げものを差し上げるために立ち上がる。
今回もありがとうございました。
次回の更新はやはり例のごとく日時未定でございます。
気長にお待ちいただけましたら何よりです。
今後とも拙作をよろしくお願い申し上げます。




