第七十六席 祭に訪れるもの
涼しい秋風の流れる中、賑わうはぐれ者の村。
吹くごとに冬を運んでくるような風を浴びながらしかし、村人たちの活気は負けることなく熱を上げている。
駆け合いはしゃぐ子どもたち。
それらを眺めて笑みを浮かべる親たち。
そしてある組は気安く、また別の者たちは慎ましくむつみ合う若者たち。
そんな弾む足取りの向かう先は村の中央。
やぐらが建ち、華やかな飾りつけの為された広場である。
そんな祭りのために整えられた場に向かう者たちの中には、村長役を担うコガ夫妻が。
「いやあ、晴れて良かったすね」
「ええ、本当に。神様も楽しみにしていてくれたおかげでしょうか」
雲少なく青々と晴れやかな空。
皿を守る葉帽子を抑えて天を仰ぎながら、姉貴分と並び歩くカッペ。そんな前を行く彼の言葉に、利康はフミニアと目配せしながらうなづきあう。
経緯はどうあれ神々の、特にレンボルテオラスの今年この村の収穫祭に対する期待を大きくあおった形になったのは間違いない。
なので今日この日の天候を晴れる方向にご加護を下さったのは間違いないだろう。
かつては混沌に属する者たちの、あらゆる祈りに応じてきた実績は伊達ではないのだ。
「おら、よそ見すんじゃないさ。また足まであさって向いてんだよ」
「おぅわ、ひでえよヒラ姉!?」
でたらめを向きかけた弟分の足への手荒い軌道修正と、対するやりすぎだとの抗議の声。
そんな普段通りのカワロ二人組のやり取りに、コガ夫妻は思わず顔を見合わせて笑みを交わす。
そうして目の前の光景に和みつつ進んでいた利康たち。であったが、ふと頭に蘇った事柄にその表情に陰りが。
「レンボルテオラス様が人材を寄越してくださるって話でしたが、もう来てるんでしょうか」
「それは、どうなんでしょう? 近いうちにとのお言葉でしたけれど」
麦の束や野菜籠。獣の皮に肉など。
それら奉納の品を抱えて進む村人たち。
その中に見知らぬ人がいないかを探す二人の頭には、夢の茶室で神々から告げられた「お話」のことが。
しばらく前に夢を介して三柱の御前に呼び出された二人。
そこで変革神は、カラ揚げの試作品に対する褒美に何かを、と。
欲しいモノはないかと聞くレンボルテオラス。希望を尋ねるその問いに、利康はちょうど必要としていた錬金術師という人材を。
それを聞いた変革の神は、ニンマリとその顔を緩めて首を縦に振った。
「それはいいんですけれど、どうにもあの時の笑顔が気になって」
「姉さんや伯母様がやるのと良く似た感じのでしたからね」
同感だと相づちをうつ妻に、利康は苦笑をまじえてうなづき返す。
願いを聞き届けてもらえたこと。それ自体はありがたい。だがトリックスター気質を備えた神のこと。どんな人材が送られてくるのか分かったものではない。
そこに想像が届いて、利康は人材を希望したことに少しばかり後悔していた。
しかし厄介な人材を寄越して、面白おかしく引っ掻き回そうという魂胆があるのならば、どんな理由をつけてでも村に送り込んできたことだろう。
―だったらちょうどいいのがいるから、上手く手綱をさばいてまた面白イイもの見せてみろ―
そんな変革神の渡りに船だと言わんばかりの笑みを思い出すに、間違いない。
ということは、いま思い浮かんだ後悔に引っ張られて思い悩む無駄な事でしかないのだろう。
それよりも頭を切り替えて、どんな相手が来てもいいように前向きに腰を落ちつけて迎えるように考えるべきか。
それはそれで、レンボルテオラスの掌の上で意のままに転がされている気がして反骨心を刺激される。
だが、地球にはお釈迦さまにかかれば孫悟空でさえ掌で弄べるという話もある。
神々からしてみれば、人間一人が意図に乗るも反るも、最終的な結果に大きな違いはないのだろう。
それが運命というものならば、重要なのはその中でどう生きるか、納得出来るかどうかということ。人間それ自身の、心の持ちようだけが問題だと言うことになる。
つまりは自由だ。
己の心に恥じぬよう赴くままに生きて、その果てに死すべき時を迎えて世は全て事もなし。
だと言うならばやはり前を向いて、押し寄せるものを乗り越えていくしかない。
待ち受けるだろうものに、利康はそう気持ちの整理をつける。
「なぁーになにー? 面白そーな話? なーらおねーちゃんも混ーぜてよー」
「姉さん!?」
そこへ横から飛んできたアイアノがフミニアの肩を捕まえて。
「アイアノ。もう少し落ちつきなさい。豊穣のイオグラシア神に感謝を捧げる祭ということは、アミエノミンハスラを御祀りするものでもある。眷属の末裔として恥ずかしくない態度でいるべきだ」
「もぉー……父ーさんまでかったいこと言うー」
「ああ、お義父さん」
「やあ、しばらく。招待ありがとう義息子よ」
アイアノに続いて合流したミッテウルは、収穫祭へ招いた利康へウインクを添えた礼を。
彼が言う豊穣神に捧げる祭りが世界樹アミエノミンハスラに通じるとはどういうことか。
そしてエルフ種族がその眷属とは?
こうもったいつけたがしかし、さほど複雑な話でもない。
世界樹は豊穣神の化身なのだ。
そしてこの世界においてエルフは、アミエノミンハスラから産み出された人類種族なのである。
数多の動植物をこの世界にもたらした大地母神であるイオグラシア。
その創造の最後に彼女が大地に身を横たえると、そこから一本の樹が天へ向けてみるみると延びる。
そして瞬く間に天地を支える柱となった大樹のつけた実りから、始源のエルフたちが生まれたのだという。
これがエルフたちに語り継がれる、同種族の起源神話。アミエノミンハスラとその周辺を自分たちの聖地と定めて守り続ける理由である。
この話はイオグラシア教団にも伝わっており、そのためこの大森林近辺では、イオグラシアを奉ずる者たちの勢力が特に強い。
しかしこれは同時に、聖地を共にする異なる種族が存在するということでもある。
それも一方は聖地守護の名目で居座り、もう一方は外に置かれた形でだ。
このような状態で何が起こるかは、地球で山盛りに悲劇の例がいまなお積まれ続けている通り。
戦争である。
しかしこのレナンジェイス大陸。アミエノミンハスラを奉ずるエルフたちとイオグラシア教団との間ではそれは避けられた。
エルフはイオグラシア教団にとって、祀る神の化身が産み出した、御使いに準ずる聖地を守る神聖なる種族。
そしてエルフたちもまたイオグラシアの信徒は、アミエノミンハスラを敬愛する仲間であると認めたからである。
このような形に両者を取り持ち、いさかいを事前に治めたのは、もちろんイオグラシアの骨折りである。
これはイオグラシアには当然のこと。
自分の聖地を巡り、自分の信徒たちが争おうというのだ。
ひどい例えになるが、マザコン兄弟が母親をかけて刃傷沙汰を起こすようなものか。
それは間に入ってまとめようともいうものである。
ともあれ、エルフとイオグラシア教団の間は、聖地を共有する者たちとしては奇跡的に穏やかに落ち着いた関係に治まっているのだ。
もたらされた実りと糧に感謝を捧げるということで、豊穣神が主役となる収穫祭。
広場に建てられたやぐらは、いわばアミエノミンハスラであり、つまりはイオグラシアであるということ。
豊かな実りをもたらした神を象ったものなのである。
そのやぐらを目指して歩く村長家と縁者たち一行。
しかし広場に近づくにつれて、村人たちのざわめきに戸惑いの色が混ざるように。
村中の困惑。その答えは中心である、高く組まれたやぐらの頂上に。
世界樹を象り、豊穣神にも通じるその上に何者かが仁王立ちになっているのだ。
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