第四十六席 軒先貸してと言われたら中へ招かざるをえない
雨の注ぐ森。
青々とした草葉。
潤った土。
それらにぶつかった雨粒が弾けて、辺りの輪郭を霞ませる。
そんな雨にけぶる森の村にある一軒の平屋、コガ家。
雨を跳ね返しての音に混じって、ショリショリと堅い何かを削る音が中から。
そのコガ夫妻の家の中では、ナイフを片手に木を削る利康の姿が。
細く、短く、本当に小さな、片手に悠々と収まる木材。
それを利康は先端が軽く弧を描いた杓の形にと、より細くしていく。
しかし削り作業を行う利康の顔は、没頭できているという感じではない。
癒し、落ち着かせてくれる音色の中。にも関わらず、その顔はむしろにじみ出た不安に染まっている。
不安顔と同じく、おぼつかない手つきで木材を削り進めていく利康。
「あ」
しかしそのために手元が狂い、削り途中の茶杓に刃が深く食い込み、その勢いのまま切り飛ばしてしまう。
「あーあ……やってしまったなぁ……」
半ばから切れて台無しになってしまった茶杓に、利康はがっくりとうなだれる。
そうして失敗にため息を吐いて、利康は削りカスともども半端な長さになってしまった木片を片付ける。
「そんなこともありますよ。気を落とさないで」
「いや、落ち着かない時に無理にやったのがそもそもの間違いでしたよ。手を切らなかっただけよかったですよ」
励ましの言葉とともに水を一杯差し出してくれたフミニアに、利康は苦笑を返す。
そして受け取った水を一口。深く息を一つ。
「ええ、まあ……どうにかしのげはしましたけど、にらみ合いをしてしまいましたからね」
気持ちの乱れの元凶を訪ねる妻。その柔らかな声に利康は困り笑いを深めてうなづく。
先日あった帝国使者団のもてなし。
あの後アンシェルズ子爵はフミニアに声をかけることなく、森の中心部に向けて旅立っていった。
しかし原因はアンシェルズ子爵の独善性にあるとはいえ、確執を生み、そのまま放置することになってしまっていた。
そして十日ほどをかけてエルフの都を訪ねたアンシェルズ使者団は、はぐれ者の村を避けて帝国への帰路に。
それは帰り道に数日の時間を余分に付け加えてまでのことである。
ミッテウルやアイアノは大丈夫だと言っていたが、こうまであからさまに避けられては不安にもなる。
その不安とは、エルフの森林と帝国との関係に緊張を呼ぶ原因となってしまうこと。
アンシェルズは高位の貴族では無いようであるし、帝国に森を出たエルフが暮らしているので、こんなつまらない理由で即きな臭い空気を呼ぶようなことにはならないだろう。
義父と義姉からは「でかした」と褒められたことであるし、責任を取ろうにも利康には出来ることは無い。
しかし重すぎる責任を思うとどうにもひるんでしまうのは、小市民の利康としては仕方のないところ。
帝国使者団が渡河し、エルフの領域から離れてからすでに十日以上。
しかし時が経てば経つほどに不安は募り、今や茶杓を削るのにさえ失敗する有様である。
ともかく利康はいま一度雨の音に耳を傾けて、フミニアがくれた水をゆっくりと飲み干していく。
そうして気を落ち着けた利康は、まとめた木くずをきちんと片付けにかかる。
「……もし、もし?」
そこでふいに戸を叩きつつ声がかけられる。
「ど、どちらさまでしょう?」
雨の降る家の外。そこからの聞き覚えのない女性の声。
それにコガ夫妻は戸惑い上擦った声を返す。
「里帰りにと旅をしている者です。ですが、このような天気でして。ご迷惑とは思いますが、しばし雨宿りをさせていただけませんか?」
返事も兼ねた誰何の声。それに戸の向こうの女性は、今身の上に降りかかっている困りごとについて語る。
「それはいけない! すぐに開けます!」
それを聞き終えるが早いか、利康とフミニアの二人は急いで戸を開けにかかる。
「さあどうぞ。お入りください」
支えを取って戸を引くと、分厚いフード付きコート姿の旅人を家の中へと招く。
「ああ、そんな申し訳ないです。屋根の端をお貸しいただければそれで……」
「いえいえ。勢いがそう激しくないとはいえ、雨の中に放っておくなどあまりにも……片付けの途中なので散らかっていますが、どうぞお入りください」
旅装の女の遠慮を退け、中へ中へと招くふたり。
「では、ありがたく……」
その招きを受けて遠慮をひっこめた旅の女は、分厚いレザーコートの表面を濡らす水を払ってからコガ家の敷居をまたぐ。
「だいぶ暑くなってきたとはいえ、雨に打たれ続けていては冷えたでしょう。濡れた上着を預かります」
「どうも。ありがとう」
そう申し出て手を出すフミニアに、旅の女は礼を一言。雨よけに被っていたフードを外す。
押さえが外れて流れる銀髪。
金属質な輝きを放つ長いそれ。
そんな艶めいた髪に飾られた、豊かな知性の香る美貌。
そして長い髪を分けて頭の両脇から伸びるものが。
「え? エルフ?」
「はい。エルフのウテア・ミカノと申します」
驚き目を瞬かせるコガ夫婦に対し、銀髪の女は微笑みうなづく。
そう。ウテアの顔の両脇から伸びるもの。それは細く長いエルフの耳であった。
そうして呆ける夫妻をよそに、ウテアは羽織っている革のコートを脱ぐ。
するとフミニアはハッとなってウテアのコートを受け取る。
続けて利康も気を取り直すと、板間で片付け途中になっている木くずをきちんと始末する。
「足は冷えていませんか? すぐに湯も沸かしますので、こちらにお座りください」
「そんな、こんなに良くしてもらったら申し訳ないですわ」
預かった革のコートを吊るすフミニアに、板間の縁に厚い草織の座布団を用意する利康。
それにウテアが恐縮しつつも腰かける。
『起きて、火精よ』
と、同時にフミニアはかまどに黒く小さなものを入れて呼びかける。
石を砕いた破片にも見えるそれは、フミニアの波動を伴った声に従い赤熱。火種である木くずなどを熱して火をつける。
フミニアがかまどに入れた石片のようなものは、実は木炭の破片である。
端材であるそれは先に使った通り、中に宿った火精霊の力を解き放って着火作業を助けるために使っているのである。
もっとも精霊に呼びかけられない利康には使えないので、この着火剤としての用法はフミニアら精霊使いの素養の持ち主限定である。
「へぇ……火の精霊を宿したものを……」
「あぁ。やはり分かりますか」
「ええ、精霊には多少は通じているつもりですもの」
その着火の様子を興味深げに眺めるウテア。それに利康はやはりとうなづく。
そこはさすがに見るからに純粋なエルフ。精霊の力の動きは見るだけでもよく分かるようである。
そうして話しているうちに、フミニアはかまどの中に薪を入れて火勢を強めていく。
そして鍋を火にかけると、水がめから柄杓を介して沸かすための水を汲み渡す。
一方利康は板間の奥から茶道具を取り出す。
「どうぞ。足を温めてください」
そうして利康が準備を進めている間に、フミニアは湯を張った木桶をウテアの足元へ。
ほど良く温度を含んだ湯に、ウテアは一言礼を言ってブーツから抜いた足を手拭いで拭く。
「ああ。話には聞いていたけれど、これは嬉しいわね……」
沁みる温もりに心地よさげに目を細め、息を吐くウテア。
そうしてウテアは足の汗を拭き取り、疲れをほぐしして板間へ上がる。
クッション強めの草織座布団の位置を動かし、ウテアは改めて板間の奥に腰を落ち着ける。
その間にフミニアは台所で料理に手を。
山菜を刻み、灰汁を抜き。
芋を刻み、豆を練りこんで捏ねていく。
また次の食事にと、麦を中心とした複数の穀物をたっぷりの水に浸しておいたものを炊き始める。
そうして手際よく料理を進めていくフミニア。
利康はそんな妻の姿にたれがちの目を細めて、用意した風炉に炭を並べていく。
コガ夫妻による雨に困った旅のエルフへのもてなしは、着々と整っていくのであった。
今回もありがとうございました。
次回の更新も未定ですが、待っていてくださるとうれしいです。




