第四十五席 人の嫁に粉かけようとは不届きな
『冗談は、拒否』
『なにも恐れることはない。祖国にはエルフの大英雄がいらっしゃる。もちろん私もハーフエルフに偏見など持っていない。このような森よりも豊かで居心地の良い暮らしを約束しよう』
突然に手を捕まえて侍女にと乞う帝国貴族。
対するフミニアは、少ない単語を並べた、簡潔な拒絶の言葉と共に身を引く。
しかしアンシェルズは逃げようとするフミニアの腕を離さず、さらに重ねて誘いの文句を。
それを聞いた瞬間、困って両の端の下がっていたフミニアの眉が跳ね上がる。
今の状況を知らぬとはいえ、この男は、ハーフエルフが迫害されて当たり前だという前提で話を進めようとしている。
それはフミニアにとって、父と姉、そして夫の骨折りをまるで無いものとして扱われるようなものである。
『不要。エルフの尊敬を受ける夫のおかげで肩身の狭い思いはない』
しかし現状を知るはずがないということで、湧きあがった反感を堪えて抑えた声で返す。
独り身ではない。そういう内容も含ませての拒絶の言葉。
『夫? このようなつまはじき者の集まる村に住む男に、良き作法を身に着けている貴女にふさわしい者がいるとは思えないが?』
しかしアンシェルズは、フミニアの態度をまるで気にした様子もなく、肩をすくめて鼻で笑う。
その瞬間、フミニアの眉間がギュッと絞られる。
よく知りもしない利康のことを、知ろうともせぬままに見下すこの男の態度。
それにフミニアの抑え込んでいた反感が心を一気に埋め尽くす。
そもそもフミニアが茶の作法を身に着けたのも利康の指導があってこそ。
師であり夫である利康を詰まらぬ男と扱うこの男に、フミニアの心は怒り一色に。
心を染めた怒りのまま、フミニアは自分を捕まえ続ける男へ向けて力ある言葉をぶつけようと息を吸い込む。
だが肺にため、魔力と混ぜた空気を放つよりも早く、一枚の扇子がその前を遮る。
その扇子を持つのはもちろん利康。
「人の妻に随分と気安いのではないですか?」
フミニアが精霊に助けを呼ぶ声を遮り、かつ男から妻を隠しながら、利康はアンシェルズの不躾をエルフ語で諫める。
帝国貴族へ向けたその目は決して険しいものではない。逆ににこやかですらある。しかし和やかに緩められたその下には、有無を言わさぬ気が巡っている。
「トシヤスさん!」
それにアンシェルズが怯んだ隙に、フミニアは手首を捕まえる手を払って夫の背中へ。
「遅くなってすみません。大丈夫でしたか?」
「いえ。いえ! いいんです」
背中に隠れた妻を振り返る利康。それにフミニアは額を夫の肩に押しつけて頭を振る。
「そんなことより私……いくらトシヤスさんや姉さん、父さんをバカにされたからって、あんな……カッとなって、精霊の力を……」
そして安心感に冷えた頭に、自身のやろうとしたことがよみがえり、その恐ろしさに震える。
もちろん、いくら衝動的に魔法を発動させかけたとはいっても、死なせるような魔法を使うつもりなどなかった。
せいぜいが強めに突き飛ばす程度。それくらいの突風をぶつけるだけの魔法である。
だが問題はそこではない。
嫌悪感と自分のより所への侮辱。そこからくる怒りからとはいえ、暴力を振るいかけたというその一点。それだけなのだ。
たしかに実際には魔法は発動することなく、未遂で終わった。
しかしそれはギリギリとはいえ利康が割って入ったからこそ。
利康が間に合わなければ、アンシェルズは確実に宙を舞っていたことだろう。
ましてや今フミニアは子爵をもてなす案内役。
帝国側にとっては、利康がエルフに伝え広めている茶の湯文化の顔役と言っていい。
そんな大役を任されながら、理由はあれど衝動任せにすべてをぶち壊しにしかけた。
そのすべてとは、利康がこれから広く敷いて行こうという茶の道の未来のみではない。これまでにエルフとの間に行き渡らせたものさえもである。
その恐ろしさに、フミニアは顔を夫の背から離せず、押し当てたままに嗚咽をもらす。
「大丈夫。もう大丈夫ですよ」
利康はそうして震え続ける妻の頭に手を置いて、やわらかな声をかける。
そうしてそのまま、悪夢に飛び起きた幼子をあやすように、妻の頭をその艶やかな金髪ごしに撫で続ける。
妻を落ち着かせる手を止めることなく。その一方で利康の内心は憤りに煮えていた。
利康には交わされた話の極一部しか把握できていない。
しかし妻が激しく怒り、またそのために怯えているのはよく分かる。
だが利康の憤りがあぶっているのは、帝国貴族などではない。
理解できぬ言語でのやり取りに戸惑う子爵様など、もとより眼中にない。
このようなことになる前に妻を助けに入れなかった利康自身である。
フミニアが手を掴まれたのを見て飛び出しはした。しかし視界に入らぬよう隠れていたことが仇となり、事は枝葉に袖や裾を捕られている間にあれよあれよと。
ようやく駆けつけたもののフミニアは魔法を放つ直前。本当に最悪のところに間に合いはしたものの、ギリギリの崖っぷち。フミニアにはずいぶんと嫌な思いをさせた後のことだ。
「遅くなって、ごめん。ごめんよ」
そんな不甲斐ない自分に対する嫌悪と怒りを隠して、利康はただ妻に詫び、その心を落ち着かせようとするしかない。
「……いいんです、いいんですよ。あなたがあやまる事なんて、なにも……」
「いや、そもそもが僕も一緒に前に出ていればよかったことなんだ」
「いえ、そんな……」
「いや……」
しかしフミニアは涙を含んだ声で利康のせいではないと。
それに利康がまた首を左右にふり、またフミニアが違うと。
そうして責任の取り合いを始めるコガ夫婦。
しかしそうなると面白くないのはアンシェルズ子爵である。
訳の分からないエルフ語での仲睦まじいやり取り。そんなものを目の前で見せつけられて、子爵は不快げに眉をひそめる。
一応彼の名誉のために断っておくが、子爵は別に悪意があってフミニアをしつこく誘ったワケではない。
ただ彼女の辞退する言葉を徹頭徹尾信じずに、無視しただけだ。
そこにあったのは、フミニアを取り巻いているはずの不憫な境遇から引き上げようという心。
あとはつけ加えて、あわよくば手をつけたいという下心も。
しかし、下世話な思惑を含んでいたことはたしかながら、フミニアを傷つけるつもりはなかったし、手もとに迎えることで彼女を今より幸せにできると微塵も疑っていなかった。
だがそれは結局、フミニア自身のことを考えての誘いではなかった。
子爵が声をかけたのは、不遇な身の上ながら、未知の心地よい作法を身に付けたハーフエルフの女であった、ということ。つまるところ、フミニア個人のことはどうでもよかったとさえ言える。
相手の実際の境遇も、望みもまるで考えていない独り善がり。
だがアンシェルズにその自覚はない。
あるのはただ、自分の慈悲を突っぱねた女が、粗末な格好をした黄色人にすりよっている事実への不快感である。
そうなれば続いて湧いてくるのが怒りである。
平たい顔に黄色い肌の亜人の若造。帝国貴族であるアンシェルズ子爵を無視して、そんなどう見てもつまらない相手を選ぶハーフエルフに対する苛立ちである。
アンシェルズはしかめっ面のまま一歩前に、自分たち二人の世界に浸る男女へ言葉をぶつけようと口を開く。
『止めておいた方が賢明ですよ子爵様』
だがそれよりも早く、エルネストが割って入りアンシェルズに東方語で制止を。
対する子爵の不快感と疑問の目。
しかしエルネストは動じた様子もなく警鐘を鳴らし続ける。
『彼はあるエルフの長老を中心とした多数派から実に丁重に扱われています。で、その上また別の派閥からも敬意を払われているわけで。それはもう、知恵をもたらしたプロメルシの天使の如くね。彼らに何かしかければ、この森のエルフ全体を敵に回すと思っていいでしょう』
同郷の誼での警告です。と締めくくって、エルネストは木々の密度の濃い方角へその眼を向ける。
その視線を辿れば、そこにはテリオジリオと、茶道を習いに来た弟子たちという白黒織り交ぜたエルフたちが。
彼らの目は鋭く、冷たく、アンシェルズへ注がれていた。
今回もありがとうございました。
次回もいつ更新できるか未定ですが、どうぞよろしくお願いいたします。




