第三十五席 カワロ相撲
「おお、あれだぁ! 見えたすよダンナさん!」
上流へ向けて川辺を歩いていた利康たちであったが、前方に川面に浮かんだ島を見つけるや否や、カッペはそれを指さし走り出す。
正確な方向に走り出すカッペに、利康とフミニアはほほえましくその背中を見守る。
「今まで水に入るのを止めてもらってて正解でしたね」
「はい。本当に」
そううなづきあう夫婦の笑みには、肩の荷がおろせた事による安堵がくっきりと。
先に下流方向に足を向けたのは皮切りに過ぎなかった。
水辺で元気を取り戻したカッペはこれまでの短い道筋で、突然脇にそれ始めること数度。
葉の帽子に水を足してたかと思いきや、また下流に向かい始めることも数回。
これでもしカッペが楽そうだからと、浅いところを泳いで並走してもらっていたとしたら。
利康とフミニアのふたりだけで、カワロの集落を訪ねていただろう。間違いない。
仲間がついていてもはぐれたというカッペの方向音痴。
それをお腹いっぱいにまで味わった疲労感を漂わせながら、利康とフミニアは走るカッペの背中を見逃すまいと後に続く。
ここまで来ても油断すればはぐれかねない。それはふたりとも重々に承知しているのだ。
ふと、そんな利康とフミニアの前。走るカッペの傍らで川面が不意にざわめき始める。
しかしふたりが声を出すよりも早く、水面を割り裂いたものがカッペを襲う。
「こんのアホタレがぁあッ!?」
「とぉのッ!?」
横合いからの突進。
それに為す術もなかったカッペは妙な声を上げて横倒しに倒れる。
「あんたぁ!? どんだけあたすらが心配したか、わかっとうの!? わかっとうのッ!?」
「カワロの、女の子?」
倒れたカッペの顔を片手に掴んで引き上げている襲撃者を見て、利康とフミニアはどちらからともなくつぶやく。
その言葉どおり、はたしてカッペの頬を水かきのある手に掴んでいるのは、葉を蔦で体に巻きつけたカワロの少女であった。
少女とは言ってもカワロ。背丈はカッペと同じく人の子どもほどしかない。
また衝撃と温度変化に対する脂肪という鎧に覆われているのも同じ。
しかし、胸と尻に特にその柔らかな装甲が集中しているところは明らかに違う。
全体的にむっちりしたその体格は、はっきりと女性的な線を描いている。
「はぐれたんはオラが悪かったけんど、きちっと帰ってきたんにこの仕打ちはねえら、ヒラ姉!」
アヒル口をさらに尖らせる手を弾き、怒鳴り返すカッペ。
「たまたま帰ってこれただけでナマこくでね、こんアホカッペ! ひとりでうろついて干物にならんかったのは運が運がよかっただけだわ!」
対するヒラ姉と呼ばれた女カワロも、負けじと目をつり上げてアヒル口を激しく動かす。
「運でもちゃんと帰ってきたのは違わんし!」
「運頼みでしか帰ってこれんに、ナマこくなっちゅうの!?」
つばをぶつけ合うような怒鳴り合い。
そこから二人のカッペは同時に踏み込み激突。互いの腰を隠す蔓の帯を掴んで組み合う。
「おお、がっぷり四つ」
男女ではある。
加えて組み合う両者の体型も子どもじみてはいる。
だが腰帯を握り体全てで押し合うその姿勢はまさに相撲。
行司役と、簡単にでも土俵を用意したい程度には。
細かい決まりに違いはあるかもしれないが、それほどまでに相撲の形で組み合うカワロ二人に、利康は思わず感嘆の声をこぼしていた。
互いに食い縛った歯の奥から、唸り声を上げて押し合うカワロ二人。
力を振り絞る両者の体からは汗が吹き出し、特に頭からは濡らし葉の帽子を超えて湯気さえ上がっている。
そしてその足元では踏ん張りに負けた土が、踵に削られえぐれる。
始まりは幼い姉弟の口ゲンカも同然。
しかしそのなりふり構わず全力を尽くして組み合う様に、利康もフミニアも揃って手に汗を握る。
しかしなりふりかまわないあまりに、女カワロの乳房が押し潰されて広がり、蔓の腰帯をのよじれに合わせて尻が歪む。
それに利康は気まずくなってすぐとなりの妻に視線を逃がす。
「もんぎゃ!」
その瞬間、重い音に続いてカッペの声が上がる。
視線を戻した利康が見たのは、尻餅をついたカッペ。そして乱れた葉と蔦の服をそのままに、胸を張る女カワロの姿であった。
色々と見えてしまいそうな、しかしそれをまったく気にした風もない。
見るなら見ろとでも言わんばかりなそのありさまには、利康の方が配慮を示して視線を外すしかなかった。
外した目が向かったのは、自然と尻餅をついているカッペに。
それは利康の知る相撲では、完全に敗北した形である。
カッペは打ち付けた腰をさすっていたが、やがてその場にあぐらをかくと、勝者に向けて頭を下げる。
「心配かけてすまんかった。オラが悪かった」
「ん。分かればいい」
自分の非を全面に認めて、カッペが素直に謝る。
あっという間に口喧嘩から取組にまで発展したのがウソのような態度。
対する勝者はそれに腕組みして、満足げにうなづいて見せる。
意見のぶつかり合いがあった場合のカワロ式の解決法ということだろう。
何事かで勝敗を決し、敗者は勝者の言い分を全面的に受け入れ、遺恨なしとする。
今回二人が行ったのは相撲であったが、その時々で勝負の内容は変わるだろう。
相撲のみが手段であるとするなら、最悪相撲の強さだけですべてが決まるということになりかねない。
それは少々野蛮に過ぎるように感じられて、利康としては好ましく感じられる話ではない。
しかし、種族部族独特の文化と価値観に対して、利康が非難がましく口をはさんで改めさせようとするのは無粋というものである。
「お? ちょいとカッペ、この人らは?」
そう利康が考えていると、女カワロはようやくカッペ以外の存在に気が付いたようでカッペに尋ねる。
「トシヤスのダンナさんに奥さんのフミニアさんだぁ。迷って干物になりかけていたオラに水を分けてくれて、そん上にここまで送ってくれただよ」
葉と蔓の服の乱れを整える姉貴分に、カッペは満面の笑みで恩人夫婦を紹介する。
「ちょ! なぁんで命の借りがあるお人を、いまの今までほったらかしにしとんのッ!?」
「んなこと言ったってぇ……いきなり襲ってきて、んな暇くれなかったのはヒラ姉のほうだぁ」
「やかまし! ナマ言うでね!」
恩人の紹介が遅れた理由を告げるカッペ。
であるが、その主張はぴしゃりと遮られてしまう。
そして不満げにアヒル口を尖らせるカッペをよそに、女カワロは衣服を正してその身を川辺の地面に投げ出す。
「わたすらの同胞の命を助けて下すってありがたいこってす! わたすはヒラトワ。カッペの姉代わりに面倒を見とるもんす。幼なじみとしても感謝を!」
五体投地に感謝と礼を示すヒラトワ。
「そ、そんな! 起き上がってください!」
「そうです、夫も私も当然だと思ったからしたことですから!」
それにはかえって、利康とフミニアの方が恐縮してしまう。
二人の求めに応じて、ヒラトワは地面から起き上がる。
「お二人を長に紹介したいので、里に案内するす」
そう言ってヒラトワは頭を下げる。続けてカッペの腕をつかむと、川へ足を向ける。
「里はこっからあの中州を超えた向こう岸す。あたすらは泳ぐすけど?」
ついてこられるか?
そう問うヒラトワの目に、利康は妻に目を向ける。
するとフミニアは微笑んでうなづく。
問題ないとする返事を受け て、カワロの二人は遠慮なく流れの中へ。
続いてフミニアは川に手をひたすと、その桜色の唇を動かす。
『水に宿りし我らの友。我らの願いを聞き届けたまえ』
フミニアの力ある言葉に水面が波立つ。
その波紋の中心から、ヒレをもつ娘の頭となった水が持ち上がる。
『お願い水の娘。私と夫を水面の下から支えて。川を渡るよう助けてほしいの』
水の娘の頬を包むようにしてフミニアの告げた願い。
それを受けて水の娘はうなづき、水の中へ戻る。
続いて川面に光を帯びた波紋が広がる。
ゆったりと降る粉雪の逆回し。そのような形で光の昇る川面。
精霊の力のあふれたそこへ、利康はフミニアに手を引かれるまま踏み出す。
二人の足は沈むことなく地面と同じように川面を踏み、体重を支える。
そして二人は先を泳ぐカワロを追いかけて水の上を歩み渡っていく。
今回もありがとうございました。
次回の更新も未定ですがどうぞよろしくお願いいたします。




