第二十九席 薄茶点てるハーフエルフ
フミニアの細くしなやかな指。
それがつまんだ白い艶木綿の布巾を引き、ちり打ち。
布を張った小気味よい音がかき消えると、それをゆっくりと丁寧に帯形に折りたたむ。
もう一つ短くしたそれを手のひらに添えると、これから使う道具たちを拭き清め始める。
まずは黒棗の茶器。その次に茶杓と。
そこまで進めて、フミニアはその緑色の瞳を傍らの利康に。
そんな妻の視線に対して、利康は改善点を上げるでも拙いところを指摘するでもなく、ただ黙って微笑を返すのみ。
しかし突き離しているとも取れる無言に、フミニアはしょげることはない。それどころかむしろ、茶事に戻した目は安堵に凪いで揺れを消している。
ただ落ち着いたのは確かであるがそれも一時のこと。
またその緑の目は夫の姿を求めて不安の波に揺れ流されるのであるが。
というのも、フミニアが利康の姿を密かにのぞき見たのはこれが最初の一回では無い。
いざ点前に入ろうというところから、度々に繰り返されて来ているのである。
最初は利康も励ましなり助言なりの言葉を求められているのかと思わず口を開きかけた。が、決まってその舌が動き出すよりも早く、フミニアはホッとした様子で点前に戻るのだ。
心の支えとなる夫の存在。ただそれがそばにあることを確かめたいだけなのだろう。
そう思うと利康としてはどうにも照れ臭く、くすぐったい思いである。
しかし、ほんのわずかに姿を見せるだけでフミニアの力になれるほどに頼りにされているというのなら、照れ臭さ以上に嬉しくもある。
そのうちにフミニアは湯通しを終えた漆塗りの椀から茶筅を抜き、湯を捨てる。
艶のある黒の漆椀はもちろん、黒エルフの漆工テリオジリオの手によるもの。
森ノ都の長老たちの鼻を明かす計画があり、報酬はミッテウルからと話を持っていったのなら、一も二もなく食いついて数を仕上げてくれたのだ。
もっとも、テリオジリオが言うにはタダでやってもよかったとのことであるが。
そうして作られた椀から水気を拭き取り、フミニアはまたも利康をちらりと。
蓋を開けた棗茶器からコガ抹茶を茶杓で二回。
二度目がやや控えめなそれは、利康がやって見せて教えている分量の基礎に忠実に倣ってのものである。
そして風炉にかかった鍋より汲み上げた湯を一杯、椀の中へ。
それから残った湯を鍋に返して柄杓を鍋の口に置くと、素早く茶筅を手に。
ダマにならぬ様、茶を湯の中に広めて薄茶と点てていくフミニア。
今、その目は茶に向き合う時の夫と同じく、決して脇を向かず泡立つ茶一点だけを見ている。
ほんの一杯。ただ一服。それだけの茶を仕上げるための専心。
それまではともかくとして、点前に没入しているこの瞬間の妻の美しさに、利康は目を細める。
その一方では長老たちもまた、ハーフエルフの小娘の薄茶点前にうめき声を漏らす。
「……なんと、まさか混ざり者が、これほどまでに静謐な気を纏えると……」
「この洗練された気配……これがハーフエルフに出せる美しさだというのか……!?」
「これほどのものを出せるエルフが、いまどれほどいるというのだ」
見下していたはずの相手が体現する美。静にして清なるそれに圧倒される彼らの手には、それぞれ、小さな皿と花が。
むろん、皿に盛り付けられたそれはただの花ではない。
緑の蔓に、縁に向かって鮮やかになる紫の花一輪。あさがおに似たそれはやはり、花を模した練菓子である。
この菓子もまたフミニアが主に、アイアノの手も借りて作ったものである。
「いないこともないが、その代表は、同じ礼法を学ぶイァドの上の娘だからな……」
花を象る菓子を、小さな木へらに切り分けながら呟く長老エルフ。
その視線をたどれば、菓子を運び終えた盆を回収するアイアノの姿が。
この席でアイアノは、二番弟子としてフミニアの助手役として働いているのだ。
そのしずしずとした淑やかな所作には、やはり「あなたは誰だ」と言いたくなる。
「それにしてもこの菓子はまた見事な……見た目に美しく、また味わいもよい」
しかし、菓子に舌鼓を打つ老エルフらの姿に浮かべた笑みは、アイアノが紛れもない本物であると証明している。
菓子がハーフエルフであるフミニアが作ったものとも知らず、絶賛する様を見れば、利康も同じく顔が歪む思いではある。
しかしそれを露にするわけにもいかず、利康は義姉にも控えるように視線を。
師から無言で叱られたアイアノは、しかし軽いウインクを返すのみ。
にじみ出るいたずらっぽい義姉の素顔。それに、同じく胸のすく思いを自覚している利康はあまり強くは出られず、わずかに眉を寄せるばかり。
そのうちに、フミニアが一杯目の薄茶を点て終えて茶筅を椀から引き上げる。
出来上がったそれにアイアノが音無い歩みで寄り、正座。両手に押し抱いて持ち上げ立ち上がると、部屋の最奥、主客の場に座る長老の元に運ぶ。
一杯の椀をまるで宝を預かったように届けたアイアノは、相手の正面に座し、届け物を置き渡すと指を付いて礼。
あぐらかいた長老はそれにうなづき返す。
しかし、無言で身を引いて立ち去るアイアノと、届けられた薄茶とを交互に見るばかりで動くことができない。
ほんの一服。しかし念を入れて点てられ、珠玉を扱うが如くに運ばれた一服。
上から掴んで良いのか、下から掬い上げるべきか。はたまた横から挟むように持つべきか。長老エルフは目の前の椀一服をどう扱ってよいか分からず、ただ手を踊らせるばかり。
「まずは順番を待つ他のお客様に「お先に」と一声かけてください。持ち方ですが、いまは細かいところは気にせず、両手にしっかりと、落とさぬようにと持っていただければ」
「う、うむ」
そこへ利康は、一通りの手順をやって見せながら助け船を。
教えを受けた主客の長老は、利康らを真似て正座に座り直すと、見本のを見よう見まねに茶椀を次客との間に移して礼。
「お、お先に」
「あ、はいッ」
それを受けて次の長老もまた慌てて足を正座にして返礼を。
「お相手を正面に向きを変えないのは、他のお客様に尻を向けないため、と言えば納得していただけますでしょうか」
利康の教えに納得の色が広がるなか、主客の長老は漆茶椀を手元に寄せると、また手本を模して両手に押し抱く。
「飲み方もここは飲み良いようお好きなように。何度に分けて服していただいて結構です。あと、抵抗が無ければですが、最後の一口は音を立ててすすりきることをおすすめします。茶の香りが引き立ちますので」
「う……うむ」
おそらく抵抗を感じたのはそこでは無いのだろう。
長老エルフもあえて正す言葉を口に出さないし、利康もこれ以上はわざわざほじくり返すつもりはない。
そうして主客の長老は、黙してほんのりと泡立った薄茶を眺める。
やがて意を決したように一呼吸を。それに続いて漆黒の椀に口を付ける。
最初の一口を含んだ瞬間、長老エルフは姿勢をそのままに目を見開き、固まる。
「ど、どうしたと言うのですか……」
顔の前一面の椀と薄茶を見つめて動かない主客に、すぐとなりに並んだ老エルフはおそるおそるに様子をうかがう。
だがその答えは言葉ではなく、躊躇なく二口目を口につけることであった。
ぐい、と傾けての二口目から一度椀を下げて一息。そこからすぐさま三度薄茶を口につけてすすり切る。
そして渇した椀を下げて床に。
「なぜだ……」
柔らかく置いた椀。その両脇に拳を突いて長老はうなだれる。
「……どうして我らエルフは、独力でこのような文化を生み出せなかったのだ……ッ!」
嘆きの言葉と共に零れた雫は、漆黒の中に打たれた一点の赤に落ちる。
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