第三十席 すでに夫婦であるのだから何もおかしいところはない
夜の森。
みっしりと生い茂る木々の合間。
そこにできた月明かりさえ遮る濃密な闇を縫うようにして、虫たちの声が高らかに。
そんな深い闇に、ぽつりと開いた穴が一つ。
辺りの草をはがされて土もあらわになったところに、炎がぱちぱちと音を立てて燃えている。
焚き火の赤みを帯びた光に切り取られた空間。その明かりの中には利康とフミニアの二人が。
身を寄せあって毛布にくるまっているその衣服は、作業用の平服である。茶席用の和正装ではない。
ここは森ノ都からはぐれ者の村の間にある野営地。
数日間かかる旅路の中、少しでも安心して休めるよう、結界で切り分けられた場所のひとつである。
この平和な時代、危険が大きく減ったのは確かである。
しかし森は森。
そもそも危険な生き物も少ない生態系ではあるが、まったくいないわけではないのだ。
そうしたヒトを襲えるほどの獣や寄生虫や病を運ぶ蚊などの毒虫。
ありのままの自然として存在するそれらから身を守るため、こうした結界魔法で守られた野営地が森の中にいくつか用意されているのだ。
この森の野営地を利用して二人が夜を明かそうとしてるのはもちろん、都から家に帰る途中だからである。
しかし、あの茶会のあとでエルフの都を追い出されたわけではない。
むしろ茶の湯文化そのものと、フミニアの存在をそのおまけ扱いとはいえ長老衆に認めさせることができたことで、結果としては大成功だったといえる。
師匠役として残り、基礎の手ほどきをするようにも求められた。
だが、その役目はアイアノと他数名のエルフに任せることにして、二人は自分たちの家である村の家へ帰ることにしたのである。
これはただこれまでのフミニアへの扱いを恨みに思って、教えることを渋ってのことではない。逆に純血主義者に配慮してのことである。
茶の湯文化を盾に、ハーフらの扱いを改めるように迫りはしたが、いきなりなにもかもをひっくり返すように強いては反発も強くなるだろう。
だからここはあえて都に居座らず、自分たちから先に出ていくことで、ハーフエルフを忌避する老人たちの意識にかける圧力を緩めているのである。
下手をすれば利康とフミニアら、イァドの一族を排して、茶の湯をエルフ独自の文化として奪おうとする考えも出てきかねない。
ひとまずは適切な距離感を保つこと。これが重要なのだ。
ずいぶんと強行したうえで言うことではないかもしれないが。
ともあれこれで当初のもくろみ通り、利康とフミニアは今までと同じく二人で村に。そして堂々とこれまで以上に堂々と行き来できるようになったアイアノと他のエルフたちを通して、間接的に茶の湯文化を伝道する形は整った。
「これで私たちも今までのように平和に暮らせるんですね」
「そうですね。少し強引にでしたけれど、うまくここまで持って行けてよかったですよ」
焚き火を見つめての妻のつぶやきに、利康は微笑みうなづく。
そう。すべては村での二人の暮らしを守るため。
差別的な扱いの改善や、茶の湯文化をはじめとした利康のアイデア実現への支援を引き出しやすくするなど、多少欲をかいたことは利康も否定はしない。
だがやはり根本のところは、今までどおりの生活が揺さぶられないように土台かためをすること。これに尽きる。
フミニアの言うように、今までと同じように。
しかし何もかもが、すべてがこれまでどおりとは行かない。
すでに大きく変わってしまった点がひとつある。
その一点とは、利康とフミニアが居候と家主ではなく、夫と妻として固められたということ。
夫婦らしく、と身を寄せてひとつの毛布を共有してみたりしたのだが、改めて密着した妻を意識して、利康の微笑が強ばる。
これまでの同居暮らしでも、フミニアの女を意識しておのれの内にたぎるものと知られず戦うことは何度もあった。
誰かと命を奪い合うような殺伐としたモノではない。が、利康にとってはこの世界の暮らしは人知れぬ戦いの日々であったことに違いはない。
しかし壮絶な欲望の獣との戦いをどうにか凌いでこられたのは、一重に直接的な接触は少なかったこと、そして手を出すことの後ろめたさがあったからである。
だが今はどうか。
腕の皮膚はかいた端から汗が混じるほどに触れ合い。
左の肩に載せられた頭からは、金色の髪に絡んだ香りが漂って。
フミニアの匂いを利康が知れると言うことは、逆もまたしかり。
もちろん、すでに近くの水場で交代に水浴びはしてる。
なのでひどく臭うことは無いはずである。
だがそれがある意味準備万端のように感じられて。
しかしそれ以上に、服越しながら伝わる妻の張りのある腰の実感。
それに利康は自分の牡が仕事を予感し、張り切り立ち上がるのを押さえられない。
「……あの、トシヤスさん?」
そこへふいをついてのささやき。
耳をくすぐるようなそれに利康はたまらずつばを飲む。
声に引かれるまま目をやれば、フミニアの緑色の瞳とぶつかる。
朱に上気した頬の上で潤むそれは、何かを訴えるように利康の黒い瞳を見つめる。
次いで下に向いたフミニアの目は、何かを察したか、右に左にとそわそわと。
やがて恥ずかしげに目を閉じると、そのまま顔を上げて正面に。
「何か」を待ち構える唇。
たき火明かりの中にも艶やかなそれに利康はふたたびつばを飲む。
今さら気取ることもない。明らかにフミニアはキスを待つ姿勢である。
そして今さらと言えばもう一つ。
すでにふたりは一組の夫婦で、手出しにためらう必要はない。
むしろ手を出さない方が問題になる関係である。
そしてここには二人のほかには誰もいない。
ブレーキのすべてが取り払われ、相手も待ち構えているこの状況。
利康は本能に突き動かされるままフミニアの肩を抱えて唇と唇を重ねる。
妻の柔らかな唇にむさぼるように吸いつくと、彼女もまた同じく吸い付いて応じる。
「ん……ちゅ、はっ……」
若い二人は息をする間も惜しんで互いの唇を求め、重ね合う。
そして身に巻き付けた毛布を下敷きにするようにして、地面に身を横たえる。
燃える炎に割れる薪。
その傍らには、そんなものよりもより熱く激しく燃え上がろうとする塊が出来上がっていた。
今回もありがとうございました。
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