後日譚 第三十八話 最初の読者
糸祭りの翌日、一人の少女が工房を訪ねてきた。
年は十二ほど。
髪は短く切られ、服の袖口は何度も繕われている。手には、使い古した小さな冊子を抱えていた。
「コレット様に、お手紙です」
彼女はそう言って、封筒を差し出した。
差出人の名はなかった。
封を開けると、中には拙い字でこう書かれていた。
『わたしは、いらない子だと言われました。けれど、赤糸学舎で、ほつれは直せると教わりました。わたしも、だれかの手を最初ににぎる人になりたいです』
私は手紙を読み終え、少女を見た。
「あなたが書いたの?」
少女は小さくうなずいた。
「名前を、書きたくありませんでした」
「書かなくてもいいわ」
「怒りませんか」
「怒りません。名前は、自分で出したいときに出せばいい」
少女の肩から、少し力が抜けた。
彼女の持っている冊子は、赤糸学舎で配っている初歩の危険報告帳だった。端が擦り切れ、何度も読まれている。
「救助具師になりたいの?」
「なりたいです。でも、字が遅いです。針目も曲がります。あと、人前で話すと、お腹が痛くなります」
「私も、壇上で手が震えます」
「本当ですか」
「本当です」
少女は少し目を丸くした。
「でも、コレット様は強いです」
「強いところもあります。弱いところもあります。仕事に必要なのは、弱いところをなくすことではなく、弱いところを知ることです」
私は作業台から、練習布を一枚取った。
真っ白ではない。
あえて少し古い布だ。
端に小さな破れがある。
「最初の課題は、これを直すこと」
「破れています」
「だから直すの」
「新しい布ではないんですか」
「新しい布だけを扱う仕事ではないから」
少女は布を受け取り、真剣な顔で破れを見た。
「名前は、まだ書かなくていいですか」
「ええ。でも、練習布には印をつけて。後で自分のものだと分かるように」
少女は迷った末、布の端に小さな丸を縫った。
それが彼女の最初の印だった。
数日後、彼女はまた来た。
破れは直っていた。
針目は曲がり、糸の強さも揃っていない。けれど、破れは広がらなくなっている。
「よくできています」
「曲がっています」
「曲がっていても、役目を果たしています。次は、もっとほどけにくくしましょう」
少女は初めて少し笑った。
その笑顔を見たとき、私は気づいた。
この子は、私の物語の読者なのだ。
新聞記事を読み、学舎の冊子を読み、誰かから聞いた話を胸に入れて、自分の手を動かしに来た。
物語は、読まれたところで終わらない。
誰かが次の一針を刺したとき、続いていく。
少女は後に、名を教えてくれた。
エラ。
彼女は字が遅く、針目も曲がり、人前で話すとしばらくお腹を押さえた。
けれど、危険な場所に入る前、誰よりも丁寧に床を見た。
小さな声を聞き逃さなかった。
そして、助けを待つ子どもの手を握るのが、とても上手だった。




