後日譚 第三十七話 糸祭り
救助具工房ができて五年目の春、ルブラン領で糸祭りが始まった。
最初は、赤糸学舎の子どもたちが作った小さな催しだった。
危険報告札の展示、救助具の説明、包帯巻き競争、糸燕の折り方教室。
ところが、王都日報が記事にし、南方支部が砂除け布の実演を持ち込み、東部湿地支部が浮力布の小舟を持ち込んだため、いつの間にか領を挙げた祭りになった。
広場には色とりどりの糸が張られた。
赤は学び。
銀は記録。
青は水。
砂色は道しるべ。
黒は忘れてはいけない失敗。
子どもたちは、それぞれの糸に小さな願い札を結ぶ。
『お母さんの指が早く治りますように』
『坑道で怪我をする人が減りますように』
『リネットが駱駝に舐められませんように』
最後の札を見つけたリネットは、真面目に言った。
「駱駝対策は更新済みです」
近くの子どもが笑った。
祭りの中央では、ニナが主任として救助具の実演をしていた。
彼女はもう、見習い侍女の面影を残しつつも、声に芯がある。
「救助具は勝手に動く魔法の人形ではありません。使う人が手順を守らないと危険です。まず登録札を確認します。次に用途を確認します。壊れているときは、触らず工房へ知らせてください」
子どもが手を上げた。
「ごはん食べる?」
「食べません。ですが、油は差します」
「油はごはん?」
「リネットに聞いてみましょう」
リネットは少し考えた。
「油は、関節の食事に相当します」
「食事機能あるじゃん!」
子どもたちが騒いだ。
ニナが慌てて説明を補足している。
その様子を見て、私は笑った。
祭りの端では、ミナが夜間学舎の受講者たちと応急手当を教えている。
サヤは南方の織物を広げ、レオンス殿下は記録係として子どもたちの質問を書き取っていた。王太子が包帯巻き競争の審判をしているのは、かなり不思議な光景だった。
ノア様は領主として忙しく挨拶をしていたが、昼過ぎにようやく私の隣へ来た。
「大きくなりましたね」
「工房ですか。祭りですか」
「どちらも。あなたの糸も」
「私一人の糸ではありません」
「ええ。だから強い」
広場の中央で、子どもたちが糸燕を空へ飛ばした。
紙と布で作った小さな燕が、風に乗って上がる。
飛ぶというより、頼りなく揺れながら浮かぶ。
それでも、空へ向かっていた。
私はノア様の手を取った。
昔の私なら、大勢の前で夫の手を取ることに躊躇したかもしれない。
今は、少しだけ平気になった。
「ノア様」
「はい」
「この祭り、来年はもっと大変になりますね」
「そうですね」
「人手が足りません」
「予算も必要です」
「書類も増えます」
「あなたは今、とても幸せそうに不満を言っています」
言われて、自分でも気づいた。
確かに、幸せだった。
忙しい。
難しい。
失敗もある。
悩みも尽きない。
それでも、糸が誰かへ届いている。
それを見られる場所に、私はいる。
欠席ではなく、出席している。




