第8話 銀鷹領の坑道街
ルブラン領の中心都市、グラン・エリオは、煙突の街だった。
丘の斜面に石造りの家が段々に並び、屋根の上から無数の煙突が突き出ている。遠くには鉱山の黒い口がいくつも見え、朝の空へ細い煙が上がっていた。王都のような華やかさはない。けれど、道は広く、雪を避ける水路が整えられ、荷馬車がすれ違っても人が危なくないよう歩道が高く作られている。
働くための街だ。
私は馬車の窓から、それを見ていた。
「寒くありませんか」
ノア様が膝掛けを差し出した。
「大丈夫です。王都より風が澄んでいますね」
「粉塵が飛ぶ日は、そうも言っていられません」
「現実的な歓迎ありがとうございます」
「期待値を上げすぎると、あとでつらいので」
領主館に着く前に、馬車は鉱山管理所へ寄った。ノア様は帰領したらまず現場の報告を聞くのが習慣らしい。宮殿では考えられないことだが、この領では領主が鉱夫の詰所へ入っても、誰も大げさに驚かなかった。
むしろ、鉱夫たちは私を見て驚いた。
「旦那様、その焦げたお嬢さんが例の?」
年配の鉱夫が、遠慮のない声で言った。
「焦げたのは人形です」
私が答えると、鉱夫は目を丸くした。
「喋るのか」
「私も喋ります」
「いや、そっちじゃねえ」
周囲の鉱夫たちが笑った。
王都の扇の陰の笑いとは違う。相手を値踏みする笑いではなく、寒い朝に手を温めるための笑いだ。少し乱暴だが、悪意は薄い。
ノア様が紹介した。
「コレット・アーヴェル嬢です。救助用人形の開発協力者として、しばらく領に滞在します」
「貴族の嬢ちゃんが坑道に人形を入れるって話か」
「まだ試作です」
「人形に命預けるくらいなら、俺は自分の足で走るね」
若い鉱夫が言った。
責める気にはならなかった。私だって、よく知らない魔導具に命を預けろと言われたら迷う。
「その方がいいです」
私が言うと、鉱夫たちは静かになった。
「人が走れる場所なら、人が走るべきです。人形は、人が入れない場所、入ると二次被害が出る場所、声は聞こえるのに手が届かない場所へ行かせるためのものです」
年配の鉱夫が、腕を組んだ。
「綺麗事じゃねえか」
「綺麗事です。でも、現場で使えなければ捨ててください。そのために試験をします」
ノア様が私を見た。
少し驚いているようだった。王都の社交では、貴族令嬢は自分の技術を捨ててくださいとは言わない。けれど、道具は使えなければ意味がない。前世の劇場でも、どれほど美しい衣装でも、踊り子が転ぶなら失敗だった。
管理所の奥から、大柄な女性が出てきた。
短く切った赤毛、厚い作業服、腰には救助用の鉤と縄。彼女は私のつま先からリネットまで一通り見て、ノア様に向き直った。
「救助隊長のマルタです。旦那様、このお嬢さんに坑道の泥を踏ませる気ですか」
「本人が望めば」
「望む前に靴を替えさせてください。その靴では三歩で滑ります」
私は自分の靴を見た。
王都から出るときに選んだ実用的な靴のつもりだったが、坑道基準では足りないらしい。
「ご指導お願いします」
私が頭を下げると、マルタ隊長は少し眉を上げた。
「貴族のお嬢さんにしては、返事が早いね」
「遅いと現場で邪魔になると思いますので」
「分かっているなら、半分は見込みありだ」
その評価は、王都のどんな賛辞より実用的だった。
午後、領主館の一角に工房が用意された。王都別邸の離れより広く、隣には鍛冶場と木工場がある。窓からは鉱山へ向かう道が見えた。
母の裁縫箱を置くと、工房の空気が少し変わった気がした。
リネットを作業台に座らせ、テオ鼠を棚に置く。そこへ、マルタ隊長が大きな包みを持って入ってきた。
「これ、古い救助具だ。折れた鉤、切れた縄、割れた防塵面。使えそうな部品があるなら持っていきな」
「ありがとうございます」
「礼は早い。役に立ったら言いな」
包みを開くと、現場の匂いがした。
土、鉄、汗、油、焦げた木。
王宮の衣装室とはまったく違う匂い。けれど、私は嫌だと思わなかった。ここにある壊れた道具は、誰かを助けようとして壊れたものだ。
私は折れた鉤を手に取った。
先端に、布が引っかかっている。小さな赤い端切れ。救助された人の服だったのか、助けられなかった人のものだったのかは分からない。
「この街では、どのくらい事故があるのですか」
マルタ隊長は、少しだけ黙った。
「小さいのは毎月。大きいのは年に二、三度。声が聞こえるのに助けられなかったことは、数えたくない」
ノア様が窓の外を見た。
その横顔に、王宮で見た穏やかさとは違う影があった。
私は折れた鉤を置き、布を広げた。
「まず、坑道の地図をください。次に、過去の事故記録。あと、実際の粉塵と湿気に近い環境で試験をしたいです」
「嬢ちゃん、休まないのか」
マルタ隊長が呆れたように言った。
「休みます。ただ、何を休むために止めるか決めるには、先に全体を見たいです」
「面倒な性格だね」
「よく言われました」
王都では、それは嫌味だった。
ここでは、マルタ隊長が少し笑った。
「悪くない。面倒な道具は、単純な道具より役に立つことがある」
その日、工房の壁に、最初の大きな地図が貼られた。
坑道、避難路、水脈、古い崩落箇所。
私は銀糸を地図の上に這わせ、リネットの焦げた手をそっと置いた。
この街には、まだ届いていない手がある。
その手に触れるために、私は針を持つ。




