後日譚 第三十話 王子の地方任務
レオンス殿下がルブラン領へ来た。
王族の華やかな訪問ではない。
地方行政研修という、いかにも堅い名目だった。
同行者は最低限。
馬車も簡素。
服装も、以前のような金糸の多い礼服ではなく、濃紺の実務服だった。
それでも街の人々は遠巻きに見た。
かつて公開断罪で失敗した王太子。
聖女に溺れ、婚約者を誤認し、人形に論破された男。
人の記憶は意地悪だ。
殿下はその視線に気づいていた。
だが、逃げなかった。
「本日は、鉱山救助隊の訓練を見学させていただきます」
彼はマルタ隊長へ頭を下げた。
マルタ隊長は腕を組んだまま言った。
「見学だけなら邪魔です」
周囲の役人が凍りついた。
殿下は一瞬だけ目を瞬かせ、それからうなずいた。
「では、何をすればよいでしょうか」
「水袋を運んでください。あと、記録係。字は書けますね」
「書けます」
「綺麗すぎる字は急場で読みにくい。大きく書くこと」
「承知しました」
王太子が水袋を運ぶ光景は、なかなか珍しかった。
だが、彼は文句を言わなかった。泥で靴が汚れても、顔をしかめるだけで続けた。
訓練の途中、古い坑道で小規模な落盤が起きた。
予定外だった。
幸い本物の事故ではなく、訓練用の木枠が崩れただけだったが、若い救助兵が一人、軽く足を挟まれた。
マルタ隊長が指示を飛ばす。
「水! 支え木! 報告!」
殿下は一瞬固まった。
私は見ていた。
彼が昔のように、自分が中心になろうとするか。それとも、指示された役目を果たすか。
殿下は水袋を置き、記録板を取った。
「負傷者一名、右足首。出血なし。意識あり。木枠三本崩落。二次崩落の兆候なし」
声は大きく、余計な言葉はなかった。
マルタ隊長が短くうなずいた。
「読める。続けろ」
その一言で、殿下の肩から少し力が抜けた。
訓練後、彼は泥だらけの袖を見て苦笑した。
「王宮では、泥のついた袖をどう扱うか誰も教えてくれなかった」
「洗えばよいのでは」
私が言うと、殿下は笑った。
「そうだな。洗えばよい」
以前なら、それを侮辱と受け取ったかもしれない。
今は、単純な答えを単純に受け取ることができるようになっている。
その夜、彼は工房の欠席届の額縁を見た。
「ここに飾られているのか」
「はい」
「私の失敗の始まりが」
「私の始まりでもあります」
殿下は額縁の前で黙った。
長い沈黙の後、彼は言った。
「私は、君の人生を台無しにしようとした」
「そうですね」
「君は、私の人生を台無しにはしなかった」
「私は忙しかったので」
殿下は驚いたように私を見て、それから声を出して笑った。
「そうか。忙しかったのか」
「ええ。裾直しと救助具で」
「それは、勝てない」
謝罪は、すでに何度も受けている。
許しも、怒りも、時間の中で形を変えた。
今の私たちに必要なのは、過去を消すことではない。
それぞれの場所で、失敗が二度と同じ形で人を傷つけないようにすることだ。
殿下は翌朝、泥の落とし方を覚えてから王都へ帰った。
見送りに来た子どもが、彼に言った。
「王子様も水袋運ぶんだ」
殿下は少し考えてから答えた。
「運べるようになったところだ」
それは、なかなか良い返事だった。




