後日譚 第二十一話 砂漠領の依頼
南方カラヴィナ侯爵領からの依頼状が届いたのは、欠席届の写しを額縁に入れてから七日後のことだった。
封蝋は、波と駱駝を組み合わせた紋章。
王都では珍しい、熱で少し柔らかくなった赤茶の封蝋だった。
「砂漠ですか」
私は依頼状を読み終え、思わず窓の外を見た。
ルブランの山には、まだ雪が残っている。工房の窓枠にも薄い霜がつき、リネットの関節油は朝になると少し硬くなる。
その場所から、砂漠という言葉は遠かった。
ノア様は机の向こうで、地図を広げている。
「カラヴィナ侯爵領は、南の交易路を持っています。香辛料、染料、薬草、乾燥果実。王国の税収にとって重要な地域です」
「依頼内容は救助具の相談ですね。砂嵐で隊商が埋まることがある、と」
「ええ。鉱山の崩落とは違う。石ではなく、砂が相手です」
砂は布に入り込む。
歯車に噛む。
縫い目を削る。
リネットのような木製関節人形にとって、非常に相性の悪い相手だ。
けれど依頼状の最後に、こう書かれていた。
『穴を掘る救助では間に合わぬことがあります。声は聞こえるのに、手が届かない。貴殿らの糸が、砂の下にも届くなら、試したい』
声は聞こえるのに、手が届かない。
その一文だけで、断る理由はなくなった。
「行きましょう」
私が言うと、ノア様はうなずいた。
「私も同行します」
「当然です」
「今回は反対されると思っていました」
「反対はしません。ただし、砂漠で無茶をなさったら、帰ってから一週間、私が作った非常に重い外套を着ていただきます」
「脅しとして具体的ですね」
「縫い手ですので」
工房では、すぐに旅支度が始まった。
マルタ隊長は救助隊から三名を選び、ニナは南方用の薄い作業服を取り出し、ミナは応急薬の箱を確認した。
「聖女様も行くのですか」
ニナが驚くと、ミナは淡い青の薬瓶を一本ずつ布で包みながら言った。
「聖女ではなく、臨時医療係です。砂漠の熱病について、王都の医師に教わりました」
「ミナ様、最近、肩書きを削るのがお上手ですね」
「削らないと、荷物が多くなりますから」
その言い方が少し冗談めいていて、私は笑った。
以前の彼女なら、自分の肩書きに縋ったかもしれない。今は、できることを持っていこうとしている。
リネットは作業台の上で、新しい外布を着せられていた。
砂が入りにくいよう、関節を覆う布を二重にする。黒い鉱山用では熱を吸いすぎるため、生成りの麻布に銀糸を走らせる。
「リネット、暑さは分かる?」
「温度感知糸は簡易です。暑い、寒い、危険の三段階です」
「砂は?」
「不快、という項目はありません」
「では、帰ったら足しましょう」
リネットは少し首を傾げた。
「不快は、救助に必要ですか」
「必要なときがあります。人は、不快を早く見つけることで、危険になる前に避けられるの」
言ってから、それは私にも必要なことだと思った。
我慢しすぎる前に、不快だと言う。
怖いと思ったら、怖いと言う。
助けが必要なら、必要だと伝える。
救助具を作ってきて、結局いちばん難しいのは、人間が自分の危険を認めることなのかもしれない。
南へ向かう馬車が出る朝、工房の前に子どもたちが集まった。
赤糸学舎の子たちだ。
彼らは小さな布札を差し出した。
『南の人にも、糸が届きますように』
縫い目は曲がっている。
けれど、一針ずつ真剣だった。
私はその布札を、旅鞄の内側へ縫いつけた。
「行ってきます」
誰かが「気をつけて」と言った。
誰かが「リネット、砂を食べないで」と言った。
リネットは真面目に答えた。
「食事機能はありません」
笑い声が上がった。
北の冷たい朝から、私たちは南へ向かった。
針と糸と、まだ砂漠を知らない人形を連れて。




