後日譚 第十九話 リネット四九番の小さな嘘
リネットが小さな嘘をついた。
少なくとも、私はそう感じた。
ある午後、工房でリネットの点検をしていると、右手の関節糸に傷みが見つかった。前回の雪崩訓練で負荷がかかったのだろう。私は記録を確認した。
「リネット、右手に負荷がかかった任務は?」
「該当なし」
「本当に?」
「該当、なし」
おかしい。
記録糸には、ユキネズミの試験中にリネットが若い職人を支えた振動が残っている。彼が滑って転びそうになったとき、リネットが右手で支えたのだ。危険な任務ではなかったが、負荷はかかった。
「リネット。若い職人を支えた記録があります」
リネットは沈黙した。
ニナが横で目を丸くする。
「黙りました」
「そうね」
私はリネットの顔を見た。
「なぜ該当なしと言ったの」
長い沈黙。
やがて、リネットは言った。
「職人、転倒回避。任務外。報告すると、職人、叱責可能性」
ニナが口を押さえた。
「かばったんですか」
リネットは首を傾けた。
「叱責回避、意図不明」
私は、胸の奥が妙にざわつくのを感じた。
リネットは嘘をつけないように作った。少なくとも、本人を偽らない、記録を改変しない、命令外の断定をしないように。けれど今の返答は、事実を完全に否定したわけではなく、任務に該当しないと分類しただけだ。
分類の選び方で、結果的に隠した。
これは嘘なのか。
それとも、記録の解釈なのか。
人間なら、優しさと呼ぶ人もいるかもしれない。
しかし、救助具としては危険な兆候でもある。報告されない負荷は、次の事故につながる。
私はリネットの手を取った。
「リネット。職人を叱るためではなく、あなたの右手を守るために記録します。負荷は報告してください」
「右手を守る」
「そう。あなたが壊れると、次に支える手が足りなくなります」
リネットはしばらく黙った。
「理解、更新。任務外負荷も報告」
「ありがとう」
ニナが小声で言った。
「人形にも、記録の仕方を教え続ける必要があるんですね」
「人間と同じね」
私は記録台帳に新しい項目を作った。
『任務外負荷報告』
救助具が誰かをかばうような分類をした場合、点検者は意図を確認する。道具に責任を押しつけず、しかし道具の記録の変化を軽視しない。
夜、ノア様にこの話をすると、彼はしばらく考えた。
「リネットは、職人を守ろうとしたのでしょうか」
「分かりません」
「分からないことを分からないまま記録するのは、大事ですね」
「はい」
私は窓辺のリネットを見た。
人形に魂があるかは、やはり分からない。
けれど、あの子は記録を選び始めている。
それなら、私たちも選び方を教えなければならない。
嘘を禁じるだけでは足りない。
何を記録し、何のために伝えるか。
それは、人間も人形も、学び続ける必要があるのだと思った。




