後日譚 第十一話 偽物の救命具
救命具師組合の評判が広がると、偽物も広がった。
最初に報告が来たのは、王都南区の市場からだった。赤い糸を付けただけの布人形が「救助人形」として売られているという。値段は安い。登録番号はない。停止糸は飾りで、引いても何も止まらない。
私は現物を見て、頭が痛くなった。
布は薄く、関節は雑で、命令糸はほとんど入っていない。救助どころか、棚から落ちたら壊れるだろう。ただ、見た目だけはリネットに似せてある。焦げ跡まで黒い絵の具で描かれていた。
「また偽物ですか」
ニナが怒った顔で言った。
「今回は、人を傷つける目的ではなく、売る目的のようね」
「余計に腹が立ちます」
売っていたのは、貧しい露天商だった。
彼自身が作ったわけではなく、卸し業者から仕入れたという。業者はすでに姿を消していた。
王都支部で会議を開くと、意見は分かれた。
「厳しく取り締まるべきです」
若い職人が言う。
「救命具の信用に関わります」
それは正しい。
だが、偽物を買う人の多くは、本物を借りる費用や手続きを知らない人たちだ。貧しい長屋の住民、危険な作業をする日雇い、子どもにお守りとして持たせたい親。彼らを責めても解決しない。
私は露天商から買い取った偽物を机に置いた。
「取り締まりは必要です。ただ、それだけではまた出ます。本物への入口が遠いから、偽物が売れるのです」
ノア様がうなずいた。
「簡易登録品を作りますか」
「はい。救助具ではなく、合図布です。命令糸は入れず、赤い解除糸の意味、助けを呼ぶ合図、危険時の基本行動を縫い付けたもの。安く、登録済みで、偽物と区別できる印をつけます」
レオンス殿下が書類に目を落とした。
「王都の消防組合と連携できます。配布場所を増やしましょう」
ミナ様も言った。
「赤糸学舎でも、子ども向けに説明できます」
マルタ隊長は腕を組んだ。
「偽物を売った奴は捕まえる。でも、買った奴に本物を見せる。両方だね」
方針は決まった。
偽物は危険品として回収する。
同時に、簡易合図布を作る。
合図布には、三つの刺繍を入れた。
赤い糸は、止める・ほどくための印。
三回叩く音は、助けを呼ぶ合図。
煙の中では低く、布で口を覆う。
命令糸はない。ただの布だ。けれど、知識は縫い込める。人の手から手へ渡ることで、危険なときの行動が少しずつ広がる。
配布初日、王都南区の市場には長い列ができた。
例の露天商も来た。
「すまなかった。救助人形だと言われて、深く考えずに売った」
彼は頭を下げた。
「考えなかったことにも責任はあります」
私が言うと、彼はうなだれた。
「でも、これから本物と偽物の違いを説明する側に回るなら、記録します」
彼は顔を上げた。
「やる。俺、字はあまり読めないが、説明はできる」
露天商は、その日から合図布の配布を手伝うようになった。
リネットは、偽物の隣に立って違いを説明した。
「登録縫いなし。停止機能なし。救助具ではありません」
子どもが聞いた。
「偽物、嫌い?」
リネットは少し首を傾けた。
「嫌悪、未登録。ただし、誤認、危険」
「じゃあ、かわいそう?」
「不明」
私は、偽物の人形を見た。
雑な縫い目。安い布。黒く描かれた焦げ跡。
たしかに、この人形自体が悪いわけではない。悪いのは、止め方のないものを救助具として売った手だ。
私は偽物を分解し、布を洗い、命令糸を入れずに普通の人形として縫い直した。
それは赤糸学舎の小さな子に渡された。
彼女は人形を抱きしめて言った。
「この子は、救助しないの?」
「しません。ただ、一緒に寝る仕事をします」
「それも大事?」
「とても大事です」
道具には、役目がある。
救うもの。
知らせるもの。
休むもの。
ただそばにいるもの。
全部を同じ名前で売るから、危険になる。
その日、私は台帳に新しい分類を書き足した。
『救命具ではないが、人を安心させる道具。命令糸なし。停止糸不要。ただし、救命具と誤認させないこと』
人を助ける仕事は、救助の瞬間だけではない。
誤解をほどくことも、立派な仕事だった。




