後日譚 第四話 王都支部の椅子条項
王都支部の設立準備は、予想以上に難航した。
理由は、技術ではなく椅子だった。
救命具師組合の規約には、職人停止権と点検休暇、そして椅子条項が入っている。危険作業や長時間作業の前後に、責任者は職人へ着席と休憩の機会を与えなければならない。現場では実用的な条項だ。
しかし王都の官僚たちは、これを理解できなかった。
「職人が疲れたからといって作業を止められては、式典に支障が出ます」
王都支部設立会議で、礼典課の新任官が言った。
私は書類から顔を上げた。
「疲れた職人が命令糸を誤れば、式典どころではありません」
「しかし、王宮では伝統的に徹夜作業も」
「その伝統は、白糸工房の地下作業場と相性がよかったようですね」
会議室が静まり返った。
少し言いすぎたかもしれないが、撤回はしなかった。
王都支部は、白糸会の残した工房跡を改装して作る予定だった。秘密の地下ではなく、通りに面した明るい建物にする。窓は大きく、作業台は外から見える。登録台帳は閲覧可能。停止糸の見本は入口に置く。
そして、休憩用の椅子を十分に置く。
ノア様は会議の隅で、私の発言を聞きながら少しだけ笑っていた。
監査院長は、椅子条項に賛成だった。
「王都の官庁にも導入したいくらいです」
「監査院から始めてはいかがですか」
私が言うと、彼は真顔で検討し始めた。
レオンス殿下も会議に出席していた。
王太子ではなく、王族監査補佐という新しい肩書きだ。以前なら、彼が会議にいるだけで空気が彼中心になった。今は、彼自身が発言を控え、必要なときだけ事実を確認する。
「礼典課の徹夜作業は、私の時代にも多かった」
彼は言った。
「私が無茶な変更を前日に命じたこともある。今思えば、そこで白糸工房のような秘密業者に頼る余地が生まれた」
礼典官は気まずそうに黙った。
「椅子を置くことが王家の威信を傷つけるとは思わない。むしろ、椅子を置けない威信なら弱すぎる」
その言葉で、会議の流れは決まった。
王都支部には椅子が置かれる。
それも、ただの椅子ではない。休憩用、作業用、救助後の記録用、怪我人の待機用。用途ごとに高さと背もたれが違う。ニナが図面を見て、目を輝かせた。
「椅子にも規格が必要ですね」
「あなたまで」
「お嬢様の影響です」
王都支部の開所日、入口には長い列ができた。
救助具の見学に来た市民、白糸会に傷つけられた人、命令糸を安全に学びたい職人、単にリネットを見たい子ども。料理長の木苺パイ屋台も出ていた。
リネットは受付横で停止糸の説明をしていた。
「赤い糸、緊急停止。引く場合は、周囲の安全を確認」
「人形さん、椅子に座らないの?」
子どもが聞く。
「点検時、着席」
「今は?」
「受付任務中」
子どもは真剣にうなずいた。
ミナ様は赤糸学舎王都分室の案内をしていた。聖女の称号は返上したが、彼女を慕う人は多い。以前のように奇跡を崇めるのではなく、話を聞いてほしい人が集まっている。
開所式の最後、私は入口の椅子に座った。
記者が驚いた顔をした。
「技術監督、なぜ式典中にお座りに?」
「椅子条項の実演です」
ノア様が隣に座った。
「共同経営者として同席します」
レオンス殿下も、少し離れて座った。
「王族監査補佐として、条項の遵守を確認します」
監査院長が笑い、会場に椅子が次々に出された。
立ったまま見栄を張るより、座って続ける方がいい。
王都支部は、そうして始まった。




