後日譚 第一話 新婚旅行は救助視察
新婚旅行の行き先を決めるとき、ノア様は三つの候補を出した。
一つ目は、南の温泉地。
二つ目は、湖畔の別荘。
三つ目は、海沿いの古い灯台群と、崖崩れの多い漁村の安全視察。
私は三つ目の資料を手に取った。
「ここ、救助布の水流型が使えそうですね」
ノア様は、少しだけ目を閉じた。
「予想はしていました」
「温泉も魅力的です」
「資料を一番熱心に読んでいるのは灯台です」
「灯台の構造が面白いので」
「では、新婚旅行兼視察になります」
ニナが横で呆れたように言った。
「お二人は、それで本当にいいのですか」
「いいです」
私とノア様が同時に答えたので、ニナは諦めた顔をした。
ただし、マルタ隊長から条件が出た。
「視察は一日おき。残りの日はちゃんと休む。工房への報告書は帰ってから。リネットは点検休暇中だから連れていかない」
リネットは、工房の椅子に座ったまま言った。
「点検休暇、継続。同行不要」
本人も休暇を受け入れているらしい。
私たちは、最低限の道具だけを持って海辺へ向かった。
馬車の窓から見える景色は、北西の山とはまるで違った。空が広く、風に塩の匂いが混じる。遠くに海が見えた瞬間、私は思わず身を乗り出した。
「海、初めてですか」
「今世では初めてです。前世では見たことがありますが、仕事で行ったので、ほとんど衣装の砂を払っていました」
「あなたの前世の記憶は、どこへ行っても仕事ですね」
「ノア様の今世も、どこへ行っても仕事では」
「否定できません」
海辺の村、サン・ルカは白い家が崖に沿って並ぶ場所だった。漁船が港に揺れ、丘の上には古い灯台が立っている。美しい村だが、足元の岩は脆そうで、崖の下には崩れた跡がいくつも見えた。
村長は、私たちを見て恐縮していた。
「辺境伯ご夫妻の新婚旅行先に、うちのような村を選んでいただけるとは」
「視察も兼ねています」
ノア様が正直に言うと、村長は少し固まった。
私は慌てて付け加えた。
「景色も楽しみにしていました」
「そ、そうですか。夕焼けは見事です」
その夕焼けを見る前に、最初の相談が来た。
崖下の海蝕洞に、子どもたちが入って遊ぶという。潮が満ちると出られなくなる危険がある。何度注意しても、秘密基地のように使ってしまうのだそうだ。
新婚旅行初日の夕方、私たちは海蝕洞の入口に立っていた。
波が岩に当たり、白い飛沫を上げる。洞窟の奥は暗く、潮の音が反響している。糸鼠は水で流されやすい。救助布は使えるが、塩水への耐性はまだ試験不足だ。
「視察だけの予定でしたが」
ノア様が言った。
「見るだけです」
「あなたの見るだけは、よく作業に発展します」
「今日は本当に見るだけです。道具が足りません」
そのとき、洞窟の奥から小さな声が聞こえた。
「誰かいるの?」
私とノア様は同時に顔を見合わせた。
新婚旅行初日。
休暇の予定。
道具不足。
潮は、ゆっくり上がり始めていた。
「見るだけでは済まなそうですね」
ノア様が外套を脱いだ。
「はい」
私は鞄から、持ってきた最低限の救助布を取り出した。
海の匂いの中で、赤い解除糸が小さく揺れた。




