第39話 地下劇場の崩落
旧劇場跡の地下は、王都の地図から半分消えていた。
かつて貴族向けの小劇場だったという。舞台装置を運ぶための搬入口、役者の控室、衣装部屋、地下通路。火災で閉鎖され、その上に冬至祭の舞台が作られるようになった。王都の人々にとっては、古い由緒の一部。けれど、管理する者がいなければ、由緒はただの危険な空洞だ。
私たちは舞台裏の床板を外した。
下から冷たい風が上がってくる。糸鼠を入れると、すぐに人の熱を拾った。だが、同時に白い命令布の反応もある。
ノア様は救助隊に指示を出した。
「観客を広場の外へ。舞台周辺を封鎖。地下に人がいる。崩落の危険あり」
マルタ隊長が縄を投げる。
「王都の連中、今度はうちのやり方で動きな! 文句は生きてから言え!」
王都衛兵たちは一瞬驚き、すぐに従った。彼らも、さきほど王太子の偽物を見たばかりだ。見栄を張る余裕はない。
私は救助布を準備した。
地下から、かすかな声が聞こえる。
「……誰か」
レオンス殿下の声だった。
ノア様が穴へ向かって叫ぶ。
「殿下、動かないでください! 救助隊です!」
返事は弱い。
「他に……子どもが……二人……」
子ども。
おそらく、祭りの見物中に連れ込まれたか、混乱で落ちたのだ。白糸会が殿下だけを隠すために使った通路に、無関係の子どもまで巻き込まれた。
胸の奥が冷たくなる。
私は救助布を地下へ入れた。
石の階段。
割れた鏡。
古い衣装箱。
白布。
人の熱。
殿下と思われる熱は、奥の小部屋にある。子ども二人は、そのさらに低い場所。床が抜けて段差に落ちたらしい。
「三人確認。殿下は上、子ども二人は下です。水はありませんが、天井が弱い」
そのとき、地面が揺れた。
舞台下で、何かが落ちる音。
白糸会の刺客が仕掛けたのか、それとも古い構造が限界を迎えたのか。床板の一部が沈み、救助隊員が引き戻される。
マルタ隊長が叫ぶ。
「二次崩落! 人はまだ入れるな!」
人が入れない。
でも、声は聞こえる。
八年前のノア様の妹。
第五鉱区の鉱夫たち。
水路の石工。
また同じ状況だ。
私はリネットを見た。
右手は傷んでいる。さきほど偽物の短剣を受けた。人形でも、これ以上の負荷は危険だ。
けれど、地下劇場の通路は狭い。救助布だけでは、子どもを動かせない。リネットなら、軽い物資を運び、手を握り、位置を示し、場合によっては子どもを支えられる。
ノア様が私の肩を掴んだ。
「リネットを入れるなら、戻れない可能性があります」
「分かっています」
「あなたは」
「分かっています」
声が少し強くなった。
ノア様は口を閉じた。
私はリネットの前に膝をついた。
「リネット」
「はい、コレット」
また、私の名前を呼んだ。
胸が痛い。
「地下へ行って。殿下と子どもたちを確認。動ける子には救助布を渡す。動けない子は、頭を守って。崩れそうなら、戻って」
最後の命令を縫うとき、手が止まった。
戻って。
これを入れなければ、リネットは最後まで向こうに残るかもしれない。入れれば、子どもを置いて戻る判断をするかもしれない。
人形に命を決めさせてはいけない。
私は命令を変えた。
人を動かす判断は、外の指示を待つ。
ただし、直近の崩落から頭を守る。
保持は三十呼吸まで。
その後、解除。
停止糸を外へ出す。
止められない道具は作らない。
母の言葉を、胸の中で繰り返した。
「行って」
リネットは地下へ降りた。
灰銀の上着が闇へ消える。
糸が伸びる。
観客は避難し、広場には救助隊と衛兵だけが残る。遠くではまだ祭りの鐘が鳴っている。冬至祭の光の下で、私たちは古い劇場の闇へ糸を伸ばしていた。
しばらくして、リネットの声が糸を通じて返ってきた。
「殿下、確認。右足負傷。意識あり。子ども二名、下段。片名、動けず。白布、周囲に展開」
ノア様が叫ぶ。
「殿下、聞こえますか!」
地下から、弱い声。
「聞こえる……子どもを先に……」
レオンス殿下の声だった。
私は少しだけ目を閉じた。
彼は変わったのかもしれない。
少なくとも今、彼は自分を先にしろとは言わなかった。
救助隊が動く。
しかし、その瞬間、地下で白い布が一斉に膨らんだ。
糸を通じて、命令が流れ込む。
忘れろ。
見なかったことにしろ。
手を離せ。
手を離せ。
私は歯を食いしばった。
白糸会は、最後までそれを縫うのか。
「リネット、赤糸優先!」
リネットの声が返る。
「赤糸、優先。手を、離さない。ただし、三十呼吸後、解除」
地下で、何かが崩れた。




