第38話 鏡舞台の裏側
祭り当日の朝、白幕は撤去された。
神殿の高位神官たちは抗議したが、監査院が命令糸を公開したことで、民衆の反応は神殿に冷たかった。王都の人々は美しい布を好むが、忘れろ、と縫い込まれた布を頭上に掛けられることまでは望んでいない。
舞台は小さく作り替えられた。
床下には救助隊の支柱が入り、出入口は四つに増やされ、観客の流れは広場全体へ分散された。救命具師組合の糸鼠が床下を走り、赤い鳥が煙と熱を見張る。リネットは舞台袖に立ち、停止糸の説明を受けに来た子どもたちに手を見せていた。
「赤いところを引くと止まる?」
「停止します」
「人形なのに偉い」
「偉さ、未登録」
子どもたちは笑った。
その笑いを聞きながら、私は舞台裏の衣装箱を調べた。
前世の劇場に似ている。
照明の熱、布の匂い、誰かが緊張して歩き回る足音。違うのは、ここが王都の儀礼で、失敗すれば国中の噂になることだ。
ニナが近づいてきた。
「お嬢様、神殿側の衣装箱を全部確認しました。白糸は二本。どちらも提出済みです」
「ありがとう」
「それと、ミナ様が変な箱を見つけました」
変な箱。
場所は、旧劇場跡の地下通路だった。
舞台裏から王宮側へ抜ける古い搬入口。その壁際に、鏡張りの箱が置かれている。大きさは人ひとりが入れるほど。表面には装飾があり、冬至祭の演出用具に見えなくもない。
ミナ様が青い顔で立っていた。
「神殿の祈祷具ではありません。けれど、私が王宮へ来たころ、似た箱を見たことがあります。聖女の衣装替え用だと言われました」
私は箱に触れた。
鏡の縁に、細い白糸。
命令は、映せ、隠せ、替えろ。
「早替え箱です」
ノア様が眉を寄せた。
「中に人が?」
「今はいません。でも、誰かを別の姿に見せるための箱です。鏡と布と命令糸で、入った人の外見を一時的に変える」
クレマンが侍女に変装したときの白糸より、ずっと精密だ。
鏡舞台。
名前の意味が見えてきた。
舞台上の誰かを、別の誰かに見せる。あるいは、本物がいると思わせて、偽物を出す。
「今日、誰を替えるつもりだったのでしょう」
ニナが小声で言った。
その瞬間、外から歓声が上がった。
王太子殿下の挨拶が始まる時間だ。
私たちは顔を見合わせた。
ノア様が短く言う。
「舞台へ」
走った。
舞台では、レオンス殿下が中央へ進み出ていた。観客席には大勢の民衆、貴族、神殿関係者。監査院の係官が周囲を見張っている。白幕が撤去されたため、舞台は予定より明るく、逃げ場も多い。
それでも、違和感があった。
殿下の歩幅が、少しだけ違う。
私はリネットを見た。
「足音」
リネットが答える。
「人間の足音。ただし、殿下登録音と不一致」
殿下ではない。
舞台中央に立っているのは、レオンス殿下に見える誰かだ。
私は叫んだ。
「殿下から離れて!」
偽物の王太子が振り返った。
その顔は殿下そっくりだ。けれど、目が違う。黒い石のように光がない。
偽物は、袖から短剣を抜いた。
狙いは、壇上の監査院長だった。
刺客が王太子の姿で監査院長を刺せば、王太子は失脚どころでは済まない。白糸会への調査も混乱し、王宮は再び「真偽」をめぐって争うことになる。
リネットが飛び出した。
人形の足音が舞台板を叩く。右手で短剣を受ける。赤い停止点の上に刃が当たり、木の指がまた割れた。
偽物が叫ぶ。
「邪魔をするな、欠席令嬢!」
その声は、王太子ではない。
しかし、顔は王太子だ。
観客が悲鳴を上げる。
ノア様と衛兵が舞台へ上がる。私は赤い停止糸を引いた。
リネットは短剣を保持したまま、接触解除ではなく固定命令に切り替える。偽物の腕を止めるためだ。
「リネット、相手の袖を!」
リネットが偽物の袖口を掴み、引き裂いた。
袖の下に、白い命令布が巻かれていた。鏡箱の布だ。
ミナ様が舞台袖から叫んだ。
「聖水を!」
神殿の若い司祭が、反射的に小瓶を投げた。ミナ様がそれを受け取り、偽物の顔へかける。
鏡のような幻が揺らいだ。
王太子の顔が歪み、別の男の顔が現れる。
白糸工房の代表、ベルトラン商会の名義人でもあった男だ。審問への出席を体調不良で避けていた人物。
観客席から怒号が上がる。
監査院長は無事だった。
けれど、本物のレオンス殿下がどこにいるのか、まだ分からない。
舞台袖の床下から、糸鼠が強く震えた。
地下。
古い劇場跡の下から、人の熱が返ってくる。
一つ。
二つ。
三つ。
その中に、殿下の足音に近い反応がある。
私はノア様を見た。
「本物は、地下です」
鏡舞台の表は止めた。
だが、裏ではまだ何かが動いている。




