第34話 アーヴェル伯爵家の清算
父がルブラン領を訪ねてきたのは、組合設立準備が進む晩秋だった。
王都での審問後、アーヴェル伯爵家は監査を受けていた。白紙封書の件、母の型紙に関する過去の取引、白糸工房からの納品記録。父は火災の直接命令者ではなかったが、印章管理と白糸工房への便宜供与で処分を受けることになった。
爵位は保たれた。
ただし、王宮礼典関係の役職を失い、罰金を科され、しばらく王都社交から遠ざけられる。
父にとっては、重い罰だろう。
彼は領主館の応接室で、以前より老けて見えた。立派な上着を着ているが、肩の張りがない。継母も妹も同行していない。
「コレット」
「お父様」
私は向かいに座った。
ノア様は同席しないと言った。必要なら隣室にいる、と。父と向き合うのは、私自身の仕事だと分かってくれたのだと思う。
父はしばらく黙っていた。
「お前の母のことを、話さねばならない」
「はい」
「あれは、針仕事に取りつかれた女だった」
昔なら、その言い方に反発しただろう。
今は、黙って聞いた。
「王宮の衣装室で働き、白糸工房とも付き合いがあった。だが、ある時期から工房を嫌うようになった。命令糸は人を縛るものではない、と言ってな」
父は、苦い顔をした。
「私は理解しなかった。布に命令を入れるなど、王宮の便利な技術の一つだと思っていた。お前の母は、救助布の型紙を隠した。白糸工房は、それを欲しがった。私は、少しくらい渡しても家の利益になると思った」
「渡したのですか」
「一部は」
胸が痛んだ。
「母は、それを知って」
「怒った。私を初めて、心底軽蔑した目で見た」
父は手を握った。
「その後、体を壊した。白糸工房から来た記憶補助布を使えば楽になると言われ、私は受け入れた。あれが本当に補助だったのか、今は分からない。お前の母は、最後には私の顔も見たがらなかった」
私は、息をゆっくり吸った。
母の死に、父がどれほど関わったのかは、まだ完全には分からない。直接殺したわけではないかもしれない。けれど、母の仕事を軽んじ、白糸工房へ道を開き、母を孤立させた。
それは、十分に罪だった。
「なぜ、今話すのですか」
「審問で、お前は私にしていない罪を着せなかった」
「証拠がありませんでした」
「分かっている。それでも、私は救われた。だから、せめて私がしたことは話すべきだと思った」
父は、机の上に小さな箱を置いた。
「お前の母が私に預けたものだ。私は、処分したと言っていたが、できなかった」
箱の中には、銀の指貫が入っていた。
母のものとは違う。男性用に少し大きい。内側に、母の筆跡で文字が彫られている。
『針を持たない手にも、責任は残る』
私は指貫を見つめた。
母は父にも、何かを残そうとしていたのだ。
父は、それを使わなかった。
「コレット。私は、お前を王太子妃にすることしか見ていなかった。お前の手が何を作れるか、見なかった」
「はい」
「謝って済むことではない」
「はい」
「それでも、謝らせてほしい」
父は頭を下げた。
「すまなかった」
私は、すぐには答えられなかった。
許す、という言葉は重い。
父が今さら謝ったからといって、子どものころに飲み込んだ言葉が消えるわけではない。母の孤独が戻るわけでもない。王宮での年月が、別のものになるわけでもない。
「お父様」
「何だ」
「私は、あなたを今すぐ許せません」
「分かっている」
「でも、その指貫は受け取ります。母の言葉なので」
父はうなずいた。
私は続けた。
「アーヴェル家には戻りません。救命具師組合に関わる母の型紙と私の技術について、家が権利を主張しない書面を作ってください」
父は、少しだけ目を見開いた。
「それが、お前の清算か」
「はい」
「分かった」
父は、迷わず書面に署名した。
かつて私の道具を王宮へ差し出そうとした人が、今度は私の技術を家から切り離す紙に署名する。その手は少し震えていた。
応接室を出る前、父は立ち止まった。
「コレット。お前の母は、お前が針を持つ姿を見るのが好きだった」
「覚えています」
「私も、見ればよかった」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
父が帰ったあと、私は工房で母の指貫と父の指貫を並べた。
片方は針を持つ手のため。
もう片方は、針を持たない手の責任のため。
私は新しい登録台帳の最初のページに、母の言葉を書いた。
針を持たない手にも、責任は残る。
救命具師組合の規約に、その一文を入れることにした。




