第24話 白糸工房の地下室
王都神殿西礼拝堂の地下へ降りる階段は、祭壇の裏にあった。
石壁に隠された小さな扉。神官の祈りの言葉に合わせて開く仕組みらしいが、監査院の技師が鍵を外すと、祈りを待たずに開いた。神聖な秘密も、蝶番が錆びていれば音を立てる。
捜索隊には、監査院、衛兵、神殿地方司祭、ノア様、私、そしてミナ様が加わった。
危険だから待つよう言われたが、私は断った。白い布の命令を読むには、私の目と指が必要だ。ノア様は反対しかけ、結局短く言った。
「私の後ろに」
「はい」
ミナ様は、私より青い顔をしていた。
「無理をしないでください」
私が言うと、彼女は首を振った。
「ここから逃げた人間が、ここを見ないままではいられません」
地下は、冷たかった。
階段を降りると、細長い作業場が広がっていた。壁一面に糸棚があり、白い布が天井から垂れている。祈祷布というより、舞台裏の未完成衣装のようだった。ただし、そこにある匂いは布と香だけではない。
薬。
汗。
閉じ込められた空気。
奥の部屋から、小さな物音がした。
衛兵が扉を開ける。
そこには、子どもが六人いた。
十歳から十五歳ほど。全員、手に包帯を巻いている。目を伏せ、白い布の端を握っていた。彼らの前には、命令糸の練習台が並んでいる。
ミナ様が口元を押さえた。
地方司祭は、膝から崩れ落ちそうになった。
「知らなかった……私は、本当に」
ノア様は、感情を抑えた声で衛兵に命じた。
「医師を。子どもたちを外へ。手を無理に開かせるな」
私は一人の少女の前に膝をついた。
少女は布を握ったまま、こちらを見ない。
「私はコレット。あなたの手を見てもいい?」
少女は返事をしない。
けれど、手を少し差し出した。
包帯の下には、針傷がいくつもあった。細かい傷ではなく、深く刺した跡だ。命令糸を無理に入れようとすると、針は布だけでなく指まで傷つける。ここでは、子どもたちにそれを繰り返させていたのだ。
「痛かったね」
少女のまつげが震えた。
「失敗すると、やり直しでした」
小さな声。
「何を縫わされていたの」
「湿れ、ほどけろ、黙れ、止まれ、忘れろ」
忘れろ。
私は背筋が冷えた。
白い布は、物だけでなく人の行動にも命令を残す。完全な支配ではなくても、恐怖や混乱に命令を混ぜれば、人は自分の判断だと思い込むかもしれない。
王太子殿下。
ミナ様。
父。
それぞれの弱さに、白い糸が結ばれていたのか。
奥の棚に、帳簿があった。
作業日誌、出荷記録、依頼者名簿。監査院の係官がすぐに押収する。私はその中に、白縛り布の納品先を見つけた。
ベルトラン商会。
王太子府礼典課。
王都神殿。
アーヴェル伯爵家。
最後の名前で、息が止まった。
ノア様が隣に来る。
「大丈夫ですか」
「大丈夫ではありません。でも読めます」
帳簿には、アーヴェル伯爵家へ『記憶補助用白布』が納品されていた。日付は、母が亡くなる少し前。
母。
私はページをめくる手が震えた。
母の死は、病だったと聞かされていた。針仕事のしすぎで体を壊した、と。私が七歳のときだ。
帳簿の端に、別の記録があった。
『旧救助布の型紙回収。未回収分あり。アーヴェル夫人、協力拒否』
母は、白糸工房に関わっていたのか。
いや、協力拒否とある。
母は何かを作り、それを渡すことを拒んだ。だから、白糸工房は型紙を回収しようとした。
私は母の裁縫箱を思い出した。
中にあった、名前のない型紙。
ノア様が低く言った。
「これは、あなたの母君の件にもつながるかもしれません」
「はい」
胸の奥が痛い。
怒りと悲しみと、今まで知らなかったことへの恐怖が混ざっている。
そのとき、地下の奥で鐘のような音が鳴った。
ミナ様が顔を上げる。
「危険です。その音は、作業場を閉じる合図です」
天井から、白い布が一斉に落ちてきた。
衛兵たちが叫ぶ。
布は人の腕に絡み、足を取り、灯りを覆う。ただの布ではない。命令が入っている。
止まれ。
黙れ。
忘れろ。
私はリネットに叫んだ。
「布を切って!」
リネットは腰の小さな鋏を抜き、白布へ向かった。ニナが縫ってくれた停止糸が袖で光る。
ノア様は私の腕を引き、落ちる布から庇った。
「出口へ」
「子どもたちが」
「だから急ぐ」
私は母の裁ち鋏を握った。
白い布は美しい。
けれど、中身は人を縛るための糸だ。
なら、切る。
私は初めて、母の鋏を布を救うためではなく、布から人を救うために使った。




