第15話 聖女の慰問馬車
聖女ミナ・ロゼット様の慰問馬車が来たのは、崩落事故から五日後だった。
白い馬車に、神殿の銀鈴。護衛は六名。積み荷は毛布、薬草、祈祷用の香、そして見た目だけは豪華な菓子箱。街の人々は道端に集まったが、歓迎というより物見の顔が多かった。
王都では、聖女の慰問は喜ばれる。
この街では、五日前に人が閉じ込められ、その原因になった梁材に神殿系工房の印があった。誰も表立って言わないが、空気は冷えていた。
ミナ様は、以前より痩せて見えた。
白金の髪は美しく結われ、菫色の瞳も相変わらず人目を引く。けれど、王宮の大広間で殿下の隣にいたときの、計算された儚さが薄れている。疲れているのだと思った。
ノア様は領主として迎えた。
「遠路、ご苦労でした」
「崩落事故で傷ついた方々に、少しでも癒やしを届けたくて参りました」
ミナ様の声は柔らかい。
街の人々は黙って聞いている。
私は少し離れた場所で、リネットとともに立っていた。ミナ様の視線が私に触れた瞬間、彼女の顔がわずかにこわばった。
「コレット様」
「ミナ様」
礼はした。
彼女は王太子の寵愛を受ける聖女で、私は婚約破棄された元令嬢。今さら社交の順序に意味があるかは分からないが、礼儀は自分のために守るものだ。
「先日は、大変な夜でしたね」
「はい」
「私、あのような火事になるとは思っていませんでした」
言葉が引っかかった。
あのような火事になるとは。
火事が起こること自体は、知っていたような言い方だ。
ノア様も気づいたのだろう。表情は変えないが、目が少し細くなった。
「ミナ様」
私は静かに言った。
「あとで少し、お話しできますか」
彼女は笑った。
笑ったが、その手は震えていた。
「ええ。私も、あなたとお話ししたいと思っていました」
慰問は、予定通りに進んだ。
ミナ様は医療所で負傷者に祈りを捧げ、軽い傷の治りを早めた。彼女の癒やしは本物だった。包帯の下の腫れが引き、痛みに顔をしかめていた鉱夫が驚いて目を開く。街の人々の空気も、少しだけ和らいだ。
本物の力がある。
だからこそ厄介なのだと思った。
人は、善いことをできる人間が悪いことに関わるとは思いたがらない。
夕方、領主館の小さな客間で、私はミナ様と向かい合った。
同席したのはノア様と、神殿側の侍女一人。リネットは私の後ろに立っている。
ミナ様は茶に手を伸ばしたが、飲まなかった。
「コレット様、私を恨んでいらっしゃいますか」
「はい」
ミナ様の目が揺れた。
「そこは、少し濁してくださるのかと」
「濁すと、話が長くなりますので」
ノア様が視線を伏せた。笑いをこらえたのかもしれない。
私は続けた。
「ですが、恨んでいることと、事実を確認することは別です。王宮の火事について、あなたは何を知っていましたか」
ミナ様は長く黙った。
侍女が口を開きかけたが、ノア様が視線だけで止めた。
「私が聞いていたのは、コレット様の人形を回収するという話だけです」
ミナ様は小さく言った。
「殿下の名誉を守るために、あの人形は危険な魔導具だったことにする、と。断罪の場がうまくいかなくても、人形のせいにできるから大丈夫だと、クレマン様が」
礼典副長クレマン。
リネットの記録糸に残っていた声の男。
「火をつける話は」
「聞いていません。少なくとも、私は。けれど、あの夜、火事の前にクレマン様が言いました。『証拠は熱に弱い』と」
侍女が青ざめた。
ミナ様は膝の上で手を握った。
「私は、止められませんでした」
「なぜですか」
「私の癒やしは、神殿の管理下にあります。私は聖女と呼ばれていますが、自由に動けるわけではありません。王宮へ来たのも、殿下に近づいたのも、神殿の指示でした」
「私に嫌がらせをされたと証言したのも?」
ミナ様は目を閉じた。
「はい」
部屋の空気が重くなる。
謝罪を期待していたわけではない。けれど、本人の口から聞くと、胸の奥に古い傷が開く。
「なぜ、そんなことを」
声が少し硬くなった。
ミナ様は震える声で言った。
「逆らえば、孤児院への薬を止めると言われました」
その答えは、私の怒りを簡単には消さなかった。
孤児院。
弱い場所を盾にする人間は、どの世界にもいる。
「だから私を踏み台にしたのですね」
「はい」
ミナ様は、逃げなかった。
「言い訳にはなりません。私はあなたを傷つけました。殿下の隣に立つことに、少し酔ってもいました。神殿の命令だけではありません。私にも、選んだ部分があります」
その言葉で、私は黙った。
謝罪だけなら、受け取らずに済んだ。けれど、彼女は自分の卑怯さを他人のせいだけにはしなかった。
ノア様が口を開いた。
「白糸工房の印を知っていますか」
ミナ様の顔色が変わった。
「どこで、その名前を」
「崩落した梁材に、似た焼き印がありました」
「白糸工房は、神殿の衣装や祈祷布を作る場所です。ですが……」
彼女は声を落とした。
「地下に、別の作業場があります。そこでは、祈祷布ではなく、命令を縫い込む布を作っていると聞きました」
私は小瓶に入れた白い布片を出した。
ミナ様はそれを見た瞬間、息を呑んだ。
「それは、白縛りの布です。物を腐らせたり、湿らせたり、弱らせたりするために使うと……でも、鉱山に使うなんて」
「誰が作っていますか」
「分かりません。ただ、クレマン様は神殿と王太子府の連絡役です」
糸が一本、つながった。
王太子府。
礼典副長クレマン。
神殿の白糸工房。
弱らせられた梁材。
燃やされかけたリネット。
ミナ様は私を見た。
「コレット様。私は、あなたに許してほしいとは言えません」
「今は許しません」
「はい」
「でも、証言はしてもらいます」
ミナ様の肩が震えた。
「神殿に逆らえば、私は聖女ではいられなくなります」
「聖女でいるために、また誰かを踏み台にしますか」
少し厳しすぎたかもしれない。
けれど、彼女は泣かなかった。
長い沈黙のあと、ミナ様はうなずいた。
「証言します。ただし、孤児院の子どもたちを守ってください」
ノア様が答えた。
「ルブラン領で受け入れます。薬も手配します」
ミナ様は、初めて茶を飲んだ。
その手はまだ震えていた。
私は彼女を許していない。
けれど、彼女もまた、白い糸に縛られていたのだと分かった。
問題は、その糸の端を誰が握っているかだった。




