第13話 誰かの手を最初に握る仕事
夜明け前、救助口が開いた。
最初に届いたのは、声だった。
「外か」
暗い穴の向こうから、かすれた男の声がした。
マルタ隊長がすぐに答える。
「外だ。ルブラン救助隊だ。今から一人ずつ出す。慌てるな」
穴はまだ狭い。大人が通るには、岩を削り、支柱を入れ、天井を固める必要がある。けれど、空気はつながった。声も通る。暗闇の向こうにいた人々が、こちらと同じ空気を吸い始めた。
私はその瞬間、膝から力が抜けそうになった。
ノア様が隣に立っていた。
「座りますか」
「まだです」
「倒れたら座らせます」
「倒れる前に座る努力をします」
「努力ではなく、実行してください」
言い返す気力が少し戻ったのは、助かる見込みが立ったからだと思う。
最初に出すのは、子どもだった。
坑道で働いていた少年ではなく、父親に昼食を届けに来て巻き込まれた子だという。名はユリス、十二歳。足に怪我はないが、ひどく怯えていて、穴のそばまで来られないらしい。
「無理に引くと暴れる」
奥の鉱夫が叫んだ。
「暗いのが怖いんだ。灯りが消えてからずっと、石を抱えて動かねえ」
救助隊の顔が曇る。
穴を広げるには時間がかかる。子どもが動けなければ、負傷者の搬出も遅れる。
私はリネットを見た。
人形が入るには、まだ穴が狭い。だが、テオ鼠なら通れる。
「ユリスは、何が好きですか」
私は奥へ向かって尋ねた。
少し間があって、声が返る。
「鳥だ。鉱山の外で、銀鷹を見るのが好きだって言ってた」
私はニナを見た。
「小鳥型、作れる?」
「今ですか」
「今」
ニナは一瞬だけ目を丸くし、すぐに道具袋を開いた。
「布は?」
「私の袖を使う」
「駄目です。お嬢様の服まで減らしたら、ノア様に叱られます」
こんなときに何を言うのかと思ったが、ニナは真剣だった。
マルタ隊長が自分の赤い首巻きを外した。
「これを使いな。目立つ」
私とニナは、岩の上に布を広げた。
鳥といっても、羽ばたく必要はない。小さく、丸く、手のひらに収まり、暗い中で赤い布が少しでも見えるもの。糸鼠の脚を外し、布を被せ、嘴を作る。銀糸は短く。命令は、進む、止まる、鳴く。
「鳴く?」
ニナが尋ねた。
「声は出せないけど、糸を震わせれば鈴みたいな音になる」
即席の赤い鳥は、少し不格好だった。
けれど、マルタ隊長はそれを見てうなずいた。
「坑道の鳥だ。上出来」
私は赤い鳥を穴へ入れた。
銀糸を細かく震わせる。
ちりん。
石の向こうへ、小さな音が消えていく。
しばらくして、奥で子どもの泣き声が変わった。
「鳥……?」
かすかな声。
私は穴へ向かって言った。
「ユリス。赤い鳥が来たでしょう。外へ出る道を知っている鳥です」
返事はない。
けれど、銀糸が弱く震えた。誰かが赤い鳥を触った。
「その鳥を追って。ゆっくりでいい。鳥は急がない」
ノア様が、私の横で声を低くした。
「ユリス、外には朝が来ている。銀鷹はまだ飛んでいないが、君が出たら一緒に見よう」
奥の空気が揺れた。
少年が動いた。
赤い鳥が、少しずつ戻ってくる。
その後ろに、小さな手が見えた。
私は息を止めた。
マルタ隊長が穴へ腕を入れる。
「手を出せ。そう、いい子だ。頭を低く。膝を曲げて。こっちだ」
少年の体が、救助口から引き出された。
泥だらけで、顔は涙で濡れていた。胸に赤い鳥を抱きしめている。
外の空気に触れた瞬間、彼は声を上げて泣いた。
父親らしい鉱夫が、まだ中にいる。
それでも、周囲の救助隊員たちは一瞬だけ目を細めた。子どもが生きて外へ出た。その事実は、次の作業を動かす力になった。
次に負傷者が出た。
足を挟まれていた男は、痛みで意識が混濁していた。リネットは穴のそばで布帯を渡し、マルタ隊長が指示を出す。人間の手と人形の手が交互に動き、怪我を広げないよう固定する。
最後に出たのは、ユリスの父親だった。
彼は肩を怪我していたが、自分の足で救助口を抜けた。外へ出るなり、息子を抱きしめた。二人は何も言わなかった。ただ互いの服を握り、顔を土で汚しながら泣いていた。
五人全員が救助された。
そう記録係が読み上げた瞬間、坑道に拍手が起こった。
王宮の拍手とは違う。
誰かを称えるためというより、生きていることを確かめるための拍手だった。
私はその音の中で、赤い鳥を見た。
ユリスはまだ離さない。
「返してもらう?」
ニナが小声で聞いた。
「いいえ」
私は首を振った。
「最初に外まで連れてきた鳥だから、あの子のものよ」
ノア様が隣で言った。
「請求書は私に」
「首巻き代ですか」
「マルタ隊長の首巻きは高いですよ。本人が寒いと機嫌が悪くなる」
マルタ隊長が遠くから叫んだ。
「聞こえてるよ!」
疲れ切った救助隊が笑った。
その笑いを聞いて、私はようやく地面に座った。指先が痛い。背中も痛い。髪には煤が混じっている。けれど、目の前には五人の生存者がいた。
誰かの手を最初に握る仕事。
ノア様が言った言葉を思い出す。
今日は、人形だけではなかった。
糸鼠、赤い鳥、救助隊、鉱夫たち、ニナの針目、マルタ隊長の首巻き、ノア様の声。
全部がつながって、暗闇の中の手に届いた。
私は泥だらけの手を見た。
この手で、もっと届くものを作りたい。




