第11話 崩れた坑道の声
事故の知らせは、雪の匂いと一緒に届いた。
午後の試作室で、私はリネットの膝関節を調整していた。外では細かい雪が降り始め、窓硝子に白い筋を残している。テオ鼠二号の腹に防水布を縫い付けていたニナが、針を止めた。
ニナは、あの火事のあと、王宮を辞めてルブラン領へ来た。
料理長が紹介状を書き、ノア様が受け入れた。本人は「お嬢様のそばで働きたいです」と言ったが、私は何度も確認した。王都より寒い。仕事は泥だらけになる。貴族令嬢付きの侍女のような華やかさはない。それでもニナは、そばかすのある頬を引き締めて答えた。
「火の中から人形に抱えてもらった者として、今度は人形を縫う側にいたいです」
その言葉で、私は何も言えなくなった。
試作室の扉が乱暴に開いた。
マルタ隊長だった。肩に雪がつき、息が白い。
「第五鉱区、東支道で崩落。作業員七名、奥に残っている可能性あり」
室内の空気が変わった。
私は立ち上がった。
「生存確認は」
「入口側にいた三名は出た。奥から叩く音がしたって報告がある。ただ、支道の手前に亀裂が入ってる。救助隊を突っ込ませるには危ない」
ノア様がすでに廊下から入ってきた。
「現場へ行く」
「旦那様、馬は用意しています」
従者が答える。
私はリネットの背中を閉じた。完全修理ではない。右肩はまだ少し弱い。けれど、何も持っていかないよりはいい。
「リネットを出します。テオ鼠も三体」
マルタ隊長は私の目を見た。
「本番だよ」
「はい」
「怖いか」
「怖いです」
「なら、よし。怖くない奴は現場に入れない」
その言葉を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
現場までは馬で半刻ほどだった。
雪は強くなっていた。鉱山の入口にはすでに人が集まり、救助隊が縄、支柱、水袋、担架を準備している。坑口からは冷たい風が吹き出し、灯りの炎が横に流れていた。
崩落現場は、入口から三百歩ほど奥だった。
天井の梁が折れ、石と土砂が通路を塞いでいる。崩れた隙間の向こうから、かすかに音がした。
こん、こん、こん。
規則的な音。
生きている人間が、こちらにいると知らせるための音。
私は喉が詰まった。
王宮の大広間では、二百人の視線に晒されても立っていられた。けれど、暗い坑道の奥から聞こえる三回の音は、それよりずっと重い。
「奥に空間がある」
マルタ隊長が言った。
「だが、上の岩が噛んでる。人が腹ばいで入るには広いが、揺らしたら次が落ちる」
私は隙間を見た。
大人は入れない。子どもでも危ない。けれど、テオ鼠なら入れる。
「まず、糸鼠を入れます。空気と熱を確認します」
私は三体の糸鼠に銀糸を結んだ。
一号は熱を探す。
二号は空気の流れを探す。
三号は水音を探す。
命令を短く縫い、隙間へ送り込む。
鉱夫たちが息をひそめる。誰も笑わなかった。ここには、疑いはあっても茶化す余裕はない。
糸が震えた。
冷たい石。
土。
湿気。
細い空気の流れ。
そして、熱。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
私は指先を強く押さえた。
「少なくとも四人の熱があります。奥に空気の流れがあります。水は少ないです」
「七人のうち四人か」
マルタ隊長の声は硬い。
「糸鼠の届く範囲だけです。奥にもっといる可能性があります」
こん、こん、こん。
また叩く音がした。
私はテオ鼠一号に小さな紙片を結んだ。
『こちら救助隊。人数を叩いて知らせてください。一人につき一回、ゆっくり』
糸鼠を戻し、紙片を奥へ運ばせる。
待つ時間は、長かった。
やがて、奥から音が返った。
こん。
こん。
こん。
こん。
少し間を置いて、弱い音。
こん。
五人。
救助隊の誰かが、小さく息を吐いた。
「五人生存」
ノア様が記録係に伝えた。
私は次の紙片を書いた。
『負傷者の数を叩いてください』
返事は二回。
負傷者二名。
このやり取りだけで、坑道の空気が変わった。暗闇の向こうの人々が、数字ではなく、こちらと同じ時間にいる人間として立ち上がってくる。
ノア様が私を見た。
「水を届けられますか」
「糸鼠では量が足りません。リネットなら、小袋を持てます」
「危険は」
「肩が不完全です。崩落に巻き込まれたら戻れません」
「人間を入れるよりは危険が低い」
「はい」
私はリネットの胸に手を当てた。
いつもなら命令を入れるとき、少し余裕を持たせる。礼をする、歩く、止まる。けれど今は、余裕がない。
低く進む。
岩に触れない。
水袋を届ける。
紙を受け取る。
戻る。
もし揺れを感じたら、停止。
もし人の手が触れたら、握る。
最後の命令を縫ったとき、ニナが私の横に来た。
「これを」
小さな布包みだった。中には、細く裂いた甘いパンと乾いた果実が入っている。
「水だけでは、心細いと思って」
私はうなずき、リネットの袋に入れた。
「行って、リネット」
人形は崩落の隙間へ入った。
灰色の作業服が、闇に飲まれていく。
銀糸が私の指から伸びる。坑道の冷気の中で、その糸だけが細く光って見えた。
誰も声を出さない。
こん、こん、こん。
奥からの音が、今度は少し早くなった。
それは、返事というより、祈りのようだった。




