第6話
海斗は先週、窃盗の罪で起訴となった。
そして余罪もないことから拘置所への移送をただ静かに待つだけだった。
あれほど絶望していた留置場での生活も、まもなく一ヶ月が経とうとしている。こんな劣悪な環境にすら順応し始めている自分に、海斗はどこか空恐ろしさを覚えていた。
海斗は逮捕後のルーティーンとして続けている午前の筋トレを終えた頃、担当官から声を掛けられた。
「面会な」と。
誰だろうか——。
不安と期待が入り混じるなか、恐る恐る担当官に確かめた。
「一瀬夢乃さん。妹さんやな」
そう告げられる。
海斗は数年振りの夢乃との対面に緊張を覚えると同時に、逮捕された身であることの後ろめたさから足がすくんだ。
重い足取りで面会室に入った瞬間、やはりというべきか、予想していた通りの光景が視界を埋め尽くした。眉間に皺を寄せて頬杖を突く夢乃は、ピリピリとした不機嫌さを隠そうともしない。
海斗は開口一番に詫びの言葉を口にした。
「なにやってんの、おにい! ごめんちゃうで。ほんまアホやねんから!」
夢乃は、はぁと深い溜息を吐いてから、吊り上げた目のまま切り出した。
眉尻を下げ、肩を落としてうなだれる海斗。
「ほんま、どうにかならへんの?」
「••••••なに?」
「そのお人好しな性格しかないやん」
「鈍臭いし、騙されやすいし、後先考えてへんし。正直、見ててイライラすんねんけど」
「••••••もう、やめてくれよ」
海斗は顔を歪めた。
「性格なんか、そう簡単に変えられへんねんから••••••。それ以上は、きついって」
「ごめんやけど無理!」
食い気味に返す夢乃。
「そのためにわざわざここにきたんやから。今日は言いたいこと全部言わしてもらうねんから!」
「••••••もうええよ。ほんまに、もうええ」
夢乃は呼吸を浅くしながら、攻撃を始める。
「そんなとこおって楽しい? で、なんか見つかったん?」
「•••••••••」
「夢乃は一日たりともそんな生活なんか無理や! 時間の無駄やし。そこにおるぐらいやったら死んだほうがマシな! 人生一回しかないねんで?」
「わかってるって••••••。好きでこんなとこ入ったわけちゃうよ」
海斗は口を尖らせ、不貞腐れたように吐き捨てた。
「は? なに? 開き直ってん?」
「違う••••••。精神的に参ってんねんて••••••」
ふんと鼻を鳴らす夢乃は、挑戦的な目を向けてくる。
「夢乃の結婚式、おにい出れんの?」
海斗は目を見開き、言葉を探した。「••••••結婚、するん?」
「しいひんよ。もし結婚するってなったらどうすんのって。当然、そんな状態で出れるわけないよな」
「ま、まぁ••••••」
「じゃあ、夢乃はどうしたらいいん」
「どうしたらって?」
「相手の家族に、おにいのことどう説明すんの。行方不明や、って言うん? なあ」
何度目かわからない荒い溜息を吐く夢乃。「妹のことなんか、眼中にないんやろな。夢乃、今年二十四やで。いつ結婚してもおかしないんやから」
一つ言えるのは、あくまで"もしも"の話であり、現時点では白紙も同然なのだ——。
そう言いかけた言葉を、海斗は喉の奥で押し殺した。
ただでさえ過酷な環境に心がすり減っているのに、さらに追い打ちをかけるように、鋭利な言葉が胸を抉る。
一刻も早くこの嵐が過ぎ去ってくれればいいのに——。
そんな願いとは裏腹に、罵声は止むことを知らない。
「泣いてたんやで」
誰が——? と、海斗は目で問うた。
「お母さん。独りなんやし、お店もあんのに倒れたりしたらどうすんの。逆に、おにいが助けたらなあかん立場ちゃん」
「——ちょっと、話聞いてんの? なんで目ぇ瞑ってんの」
「聞いてるよ••••••」海斗はぼそりと答えた。
「軽はずみにやったことが、周りに迷惑かかんねん。もっと家族のこと考えて」
矢継ぎ早の言葉を浴びせられている最中だというのに、何故か海斗の脳裏では別の疑問が駆け巡っていた。頭の片隅に芽生えたそれは、押さえ込もうとするほどに膨らんでいく。
今考えるべきでないことくらい、百も承知だ。
だが、抗えなかった——。
次の瞬間には、その疑問が口をついて出ていた。
「お父さんのこと••••••なんか、知ってる?」
「はあ? 急になんの話やねん」
「だから••••••その、お父さんの昔のことで••••••なんか聞いた覚え、ない?」瞬
「そんなん知るわけないやんか。夢乃が二歳の時に病気で死んだって、それしか聞かされてないねんから。お父さんの記憶なんかあるわけないやん」
その直後、夢乃のしかめた顔は、ふっと力が抜けたように、きょとんと目を瞬かせる。
「なんで? どうかしたん?」
「いや••••••なんでもない」海斗の声は、小さくなった。
——ほんまに••••••お父さんにそっくりなんやから••••••
——••••••ここまで、遺伝してくるもんなんやろか••••••
都子の声が耳に蘇る。
夢乃の問いかけに、海斗は答えなかった。
あまりにも漠然としすぎているから。
「えっ、なんなん? お母さんがなんか言ってたん?」
「ううん••••••」
海斗は視線を落とした。
「俺も、わからんねん——」
それから夢乃は、面会が終わるまでどこか釈然としない表情を崩すことはなかった。
「あーあ、なんかようわからんわ」
と、小さく漏らし、そのまま面会室のドアに手をかけた。




