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鉄格子の誓い  作者: GAKU
一章 奈落の底
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第4話

 もうこんな時間か——。



 海斗は時計に一瞥(いちべつ)をくれ、あくびをしながら背筋を伸ばした。


 午後1時24分——。


 寝過ぎてしまった。

 (おそ)らく今夜は眠れず、明日の仕事にも影響しそうだ、と落胆した。


 海斗はせっかくの休日だというのに、自宅でだらだらと怠慢(たいまん)に過ごす日常も嫌いではない。

 人生を無駄にしている——とあまりにも大袈裟すぎる指摘を友人から受けるものの、どう説得されようと改める気はない。


 昨夜、職場の防水工の親方に連れられて行った、西中島(にしなかじま)にある焼肉店。そこで肉をたらふく堪能し、その勢いのまま二軒目のキャバクラへ。結果、羽目を外しすぎたツケがきっちり翌日に回ってきている。


 昼過ぎまで爆睡してしまい、さらにアルコールの影響もあって身体(からだ)が重い。二日酔い気味だ。


 海斗はゆっくりと身を起こしベッドに腰掛けた。

 テレビゲームでもして一日を(つふ)してやろうか——。

 そんなことを考えた途端(とたん)、ブルブルとスマホが振動を始めた。



朝井純矢(あさいじゅんや)くん』とのディスプレイの表示。



 海斗の身体(からだ)は一瞬、ブルっと身震いするように戦慄(せんりつ)を覚えたが、ひとつ深呼吸を(はさ)み着信に応じた。


「もしもし」(かすか)かに声が震えた。


『おう、海斗。今何しとんねん?』

 純矢の研ぎ澄まされた声が耳を(つらぬ)いた。


「ちょうど寝起きで•••ウトウトしてたっす」

『なんや、グダグダやっとんなー』

 不敵な笑みを浮かべる純矢の顔が脳裏に浮かぶ。


『ほんならやー、遅めの昼メシでも食いに行こかいな』

「今からっすか?」

『今からちゃうかったらいつ行くねんな。そのついでによー、海斗に頼みたい用事あるからよ』


「あ、はい。用事ってのは••••••?」

 げんなりと肩を落とす海斗。心の中で小さく舌打ちする。


『詳しいことはよー、腹ごしらえしながらでもゆっくり説明したるからよ。カドヤ集合なー』

 と一方的に言い切ると、有無も言わさず通話を終わらせた。


 純矢に対する拒絶が、知らず知らず言葉の端々に(にじ)んでいたのではないか——そう危惧(きぐ)しながらも、やはり誘いを断ることなど過去を振り返っても難儀で、了承するほかなかった。


 不安の吐息を漏らしながらも、海斗はモコモコとした光沢を放つダウンジャケットに身を包み、ほどなくして家をあとにした。愛車のプリウスのハンドルを握り、十三(じゅうそう)の自宅を出て阪神高速へ——加島(かしま)から乗った。


 車内ではアップテンポのBGMが鳴り響く。海斗の神経を逆撫(さかな)でするかのようで、直ちにボリュームを絞り無音を求めた。


 そして森小路(もりしょうじ)で阪神高速を降りる。十分ほど走らせると太子橋今市太子橋今市(たいしばしいまいち)——お決まりの定食屋『カドヤ飯店』の看板を目で(とら)えた。


 店内で待つこと数分、純矢は姿を見せた。人工的に焼いた浅黒い肌に、冷えきった目。アンダーアーマーのセットアップを(まと)い、いかにも近寄り難いオーラを放っている。


 おつかれさまです、との海斗の声に、軽く(あご)を引いて対面に腰を下ろす純矢は、当然のように唐揚げ定食を二つ頼んだ。


「純矢くん、電話で言ってた用事ってなんすか••••••?」開口一番に切り出した。


「おうおう、それな」

 海斗に向けて指を差し向け、得意げに口元を(ゆが)める純矢。


 と、その時、唐揚げ定食がテーブルに運ばれてきた。会話は中断される。

 注文から提供までスピーディーなとこがこの店のいいとこだ。


 早速、箸をつけながら純矢が口を開く。

「明日、予定空けといてくれ」

「••••••仕事、あるんすよ」

「小一時間でええからやー。どうや? 時間は海斗に任せるしよー」

「でしたら••••••仕事終わりでよければ、なんとかなりそうっす」

「よっしゃ。何時頃なんねん?」


 仕事を理由に逃げられる——そんな甘い見込みは、ことごとく霧散(むさん)した。


「夜の七時くらいになってしまうんすよ•••」

「ほな、それでええからやー」

 純矢は、ポケットの中をまさぐり、あるモノを取り出した。

 それを掲げながら、こう言った。


「引き出してきてくれ——。これ預けるからよー」


「なんすか、これ?」


「キャッシュカード。俺のツレの」


 海斗はきょとんとした。

 ヒラヒラとキャッシュカードを(あお)ぐ純矢。


「ここに百八十五万円、入金予定なっとるからやー。そこらのATMでええから走ってくれー」


「あ、はい。それぐらいのことやったら任してください」


 お安い御用だ、と海斗は快諾(かいだく)した。

 こんなもので済むなら楽なものだ。長時間拘束されることもなく、片手間に片付く用事だ、と。


「すまんなー。俺は、ちょとなー、客の相手せなあかんから都合悪いねん」

 どこか気が引けたように眉を下げる純矢。

「俺が自分で走ればやー、海斗にも苦労かけんと済むんやけどよー。なんせ一日中、手ぇ離されへんのやー。すまんけど頼んだぞー」


 純矢はキャッシュカードを海斗の手に(にぎ)らせた。


 海斗は指をほどいて、それに目を落とす。



『ミタニハルヒコ』



 見覚えのない名前が、そこに刻まれていた。



◇◇◇



 翌日、海斗は仕事終わりにプリウスを走らせ、純矢の所用に骨を折った。


 十三(じゅうそう)駅のATMで、指示通り百八十五万円を引き出す。

 ついでに駅近くの有名な和菓子屋に立ち寄り、みたらし団子を買った。


 そして純矢の住まいである守口(もりぐち)市のマンション前にプリウスを横付けし、インターホンを鳴らす。

 待つことなくドアが開いた。

 海斗は現金とキャッシュカードを純矢に渡した。


「ご苦労やったー。微々たるもんやけどやー、これ、手間賃や(おも)て、遠慮なくもろといてくれー」


 差し出されたそれを受け取った瞬間、海斗の手は、わずかに震えた。


 一万円札が十枚もあった——。



 ——知らなかった。

 ——騙された。



「せやけど海斗くん、それは通らんで」

 殺風景な取調室に、青山刑事の低い声が沈んだ。

「ちょい厳しいんとちゃうか。おまえさんの言い分はな」


 立花の部下である青山は、眉をしかめて逃げ場を(ふさ)ぐように言った。


 はぁ、と意気消沈する海斗は、思考をフル稼働させて、事件の全貌(ぜんぼう)を説き明かした末のことだ。


「そんなもんな、口座から現金引き出しただけで十万円も報酬もらえるて、犯罪の匂いぷんぷんするわな。おかしい思わんかったか?」

「まぁ••••••」


 海斗は否定できなかった。どくりと鼓動が不規則に鳴ったことは事実だった。


「冷静に判断したらわかることや。それに、異変に気づいた段階で警察に相談することもできたはず」


 ——認められるかもしれない。事件の経緯を話せば、ひょっとすると罪に問われないのかもしれない。

 そんな安易な考えは朝霧(あさぎり)のように霧散した。

 打開策はない。

 両手を挙げるしかなかった。


「確かに••••••」

 肩を落としてうなだれる海斗。

「僕も、悪いんっすね••••••」


「なんでもかんでも()け負うたら痛い目見るんや。いくら仲の良いやつでもな。特に海斗くんは言い寄られたら断られへんタイプやろ」

 (ゆる)やかなパーマのかかる髪を指先でもてあそでぶ青山は、知的そうでスマートな容姿で、海斗の世話を焼いてくれている。



 純矢は変わった——。

 昔の純矢とは違う——。

 今ではすっかり丸くなった——。



 ——そう思い込んでいた。

 ——誤った解釈をしてしまっていた。



 ここ数年、よくご飯にも連れて行ってくれ、面倒を見てくれていた。そう思う反面、心の奥底に黒い影が差していた。純矢を激怒させぬよう、波風を立てぬよう、顔色を(うかが)っている自分がいた••••••。


「そう言えばな、『海斗くんは元気かあ?』て、ウチの班長が気にかけとったぞ」

「班長?」

「立花刑事や。海斗くんのこと、気に入っとるみたいやで」


 えっ、と海斗は目を丸くした。

「なんで、僕なんすか••••••?」

「班長の言わんとすることはわからんでもない。海斗くんの、真面目で裏表ないところ、高く買ってんやろ」


 青山は一瞬、視線を宙にやり、胸を(おど)らせるような目をした。

「班長はな、仕事は厳しいんやけども、人情味あるええお人なんや。俺ら部下は皆、(した)っとる」

 海斗は相槌(あいづち)も打てずに聞き入ってしまう。


「そろそろ終わろか。」

 青山は言った。「そういや来月、誕生日やな。何歳なる?」

「二十七歳っす」

「そうか。檻の中で迎える誕生日は、まぁ辛いもんあるわな」

 軽く頷く青山。

「せやけど、これも海斗くんの人生において、(いまし)めにもなる。心配せんでもまだまだ取り返しつくぞ」

「もしここにおったら、おめでとう、の一言ぐらいは言うたる」



◇◇◇



 海斗は一旦、留置場へと戻され昼食を摂った。

 そして再び取調室へと連行されるも、待てど暮らせど青山は一向に姿を見せない。


 途方に暮れているところに、ようやくドアノブが回った。


 ゆっくりと扉が開く。


 そこには、予期せぬ人物が壁のように仁王立ちしていたのだ——。

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