第1話
ピンポン、ピンポン——
ゴンゴンゴンゴン——
ピンポン、ピンポン——
「はぁい」
一瀬海斗は、せっかくの安眠を妨げられた苛立ちから、ぶっきらぼうに応じた。
眠い目を擦りながらベッドから身体を起こして、上部のデジタル時計に目をくれる。
午前7時12分——。
こんな朝っぱらから失礼にもほどがある——。
ぼそぼそと文句をぼやきながら、気怠げな足音を響かせて玄関先へと足を運ぶ。
寝癖のついた茶色の短い髪をぐしゃぐしゃに掻き回しながら、はい、と再度低い声を発して鍵に手を回す。
苛立ちを隠す気もなく、乱雑にドアを開けた。
すると——
「朝早くにすまんのう。南警察署の立花いう者やあ。一瀬海斗くんで間違いおまへんかあ?」
立花と名乗る者はぞんざいな口調で言い、警察手帳を掲げてきた。
「は、はい••••••な、なんの用っすか••••••?」
突拍子もない訪問に、海斗の声は震えて語尾が掠れた。
「おまえさんによお、窃盗の容疑で逮捕状が出とるさかい、わしらと一緒に署まできてもらわなあかんのやあ」
眉間に皺を寄せる立花。
「せ、窃盗って•••僕、なんも知りません。人違いじゃないっすか••••••」
海斗は狼狽するしかない。何がなんだかさっぱりわからない。
「まあええわ、ええわあ」
唇の片端を上げて、見下したような目を海斗に向けた。
「おまえさんの言い訳はのう、署に行ってからいくらでも聞いたるさかい、今は黙ぁて、わしらの言う通りに動いてくれやあ」
刑事ドラマでよく目にするワンシーンだ。——と、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
海斗は言葉を失い、脱力した。
「でのう、ちょいと家あがらしてもらうわなあ」
と言うや否や、ドアの隙間から身体を捩じ込むように突入してくる立花に、海斗は手で制して怪訝な顔をつくった。
「家あがるって•••部屋は散らかってるだけやし、なんも出すもんないっす」
「ちゃうちゃう」
立花は首を横に振った。
「誰もおまえさんの部屋で茶でも啜ろうとしとるわけちゃうねん。これやあ、見んかい」
立花は部下らしき刑事から一枚の書類を受け取り、海斗の前に突きつけた。
捜索差押許可状——。
「まあ、要するにガサやあ。おまえさんの部屋ん中ぁ、ひっくり返しますよお、いうこっちゃあ。——せやから邪魔すんでえ」
「あ、ちょっと——」
立花を先頭にし、以下四人の刑事が有無を言わさずズカズカと雪崩れ込んできた。
ガッチリとした体格、並以上ある背丈の立花は、野生のクマを彷彿とさせる風貌で、一度噛み付くと死ぬまで食らいついてきそうだ。餃子のように潰れた耳が、それを物語っていた。
ほかの刑事たちは着崩したスラックスにジャケット姿の、若く整った風貌の男ばかり。
だが、その目だけは同じだった。
獲物を狩るような目つきだけは、立花に引けを取らない。
「ほな、海斗くんよ、始めるんやけどその前になあ」
立花は言った。
「三谷春彦名義のキャッシュカードと、ナイキの黒のジャージ。これ、ありますわあ、言うんやったら素直に出してくれんかのう? わしらの手間省けるさかい」
海斗はギクリとした。
突如、喉が締め付けられるような息苦しさを覚えるも、恐る恐るクローゼットに手を伸ばす。
——これは違う。違う。違う。
——事件とは関係ない。
無罪を主張するように心の中で暗示をかけて、ハンガーに吊るされたままのジャージを差し出した。
「このジャージじゃ——」
「おうおう、それやあ」
海斗の言葉を遮る立花は「よっしゃあ、でかしたあ」と気迫に満ち溢れている。
ジャージを摑んでいた海斗の手が、ぶるぶると震え出す。
「もらってくでえ」と言って、海斗の手からジャージを奪い取った。
身の潔白を訴える主張に亀裂が入り、崩れかけようとしている。とはいえ、全くと言っていいほど身に覚えがないのだ。
「キャッシュカードのほうはどないやあ?」
「知らないっす••••••」
「ほう、そうかあ。この期に及んでもまだシラ切る、いうことかいなあ」
口元を歪める立花。
「根性据わっとるやんけえ」
立花は眉を吊り上げ、鬼の形相と化した。
「一切ここらのモン触れんとってくれよお」
そう忠告したのを合図に、刑事らが白手袋をはめるや否や、一斉に手分けして部屋を漁り始めた。
「それにしてもよお、ぐちゃぐちゃやないかあ。服は脱ぎっぱなしやし、食器かてそのままにしとるし、ゴミまで散らかしとる。整理整頓できへんタイプやのう」
と、吐き捨てる立花。
ベッド、テーブル、クローゼット、カーペット裏まで、ありとあらゆるところを入念に調べ上げ、段々と見るも無惨な姿に変貌を遂げていく。
大事に守り続けていた自分の〝城〟が崩壊していく様を、ただ茫然と眺めることしかできなかった。
部下の刑事が、無機質なシャッター音を響かせながら、現場を写真に収めていく。
「海斗くん、もっかい訊くけどよお。ほんまにキャッシュカード置いてないんかあ?」
「だから•••知りませんって」
いくら探し回っても出てくるはずなんかない。
「よっしゃあ、了解したあ。まあ、わしらは疑うんが仕事やさかい堪忍してやあ」
納得できそうにもないが、渋々頷く海斗。
捜索は一区切りついたのか、刑事らは示し合わせたように動きを止めた。
おい、と立花は腕組みして、顎でしゃくった。
「タバコ吸わんかい」
「えっ?」ぽかんと口を開けて静止する海斗。
「時間やるから吸うとけえ。当分のあいだ、お預けになるさかい」
「はあ••••••じゃあ、吸ってもいいんすか?」
「吸え言うとるがなあ。モタモタしとったら日が暮れんど」
海斗はすぐさまテーブルのタバコをくわえ、火をつけて吸い込み始めた。
吸って、吐く。
その音だけが、やけに大きく響く。
愛してやまなかったタバコとも、これでお別れか——。
と思うと、いつも以上に深く煙を肺に送り込んで、無我夢中に味わい尽くす。
ただ、想像するだけでゾッとした。
生活の一部であったモノが失くなるなんて••••••。
そしてフィルターの際まで吸い切ると、灰皿に押しつけ「ありがとうございました」と礼を述べる。
「よっしゃあ」
立花は頬を弛ませた。
「近頃の若いのにしてはちゃんと礼儀もわきまえとるなあ、上出来やあ」
立花の指示のもと、身支度を進める海斗は迷った挙げ句に、ドクロマークが施されている赤のパーカーに身を包んだ。
「わしらに感謝してくれやなあかんでえ、海斗くんよう。こんな律義な気遣い、そうそうあらへんねやでえ。ほんまにい」
はい、と恐縮げな海斗はきょとんとした。
「でも••••••なんで僕に、親切にしてくれるんすか?」
「それはなあ」
得意げに言う立花。
「素直にわしらの言うこと聞いてくれたわなあ。わしらも情ある人間やあ、いうこっちゃあ」
海斗の胸はじんわりと熱を帯び、荒々しい立花の人物像が塗り替えられていくような気がした。
「ほないくでえ、逮捕状やあ。耳の穴かっぽじぃてよう聞いとけえ」
合格発表を待ち望むように意識を研ぎ澄ます。
「X年二月二十二日、大阪府大阪市淀川区十三駅の現金自動預払機において、三谷春彦からだまし取った同人名義のキャッシュカードを使用し、現金百八十五万円を不正に引き出した窃盗の——」
海斗は要点だけを把握した直後、彼の中で何かが閉じた。
シャッターが落ちたように立花の声が遠のく。
次の瞬間、当時のことが二倍速で脳裏を駆け巡った。
あの時——あの場所——。
今でも鮮明に覚えている。
確かに海斗は、その時間、その場所にいた。
そして、実行へと移った。
そこまではなんの間違いもない。
ただ——
謎は脳内で分解を遂げて、全て氷解していた——。
「8時5分、逮捕なあ」
立花の声が再び鼓膜を震わせた。
今この場でどう足掻こうと全て無駄な努力となってしまう。どうすることもできない。
だがそれとは裏腹に、怒りの渦が膨れ上がり海斗の心を容赦なく揺さぶり始める。ふつふつと煮えたぎる激情が喉元までせり上がり、顔が焼けるように熱を帯びていく。必死に呼吸するすべを見つけながら、酸素を送り続けた。
ガチャガチャと耳障りな音を立てる手錠が、海斗の手首を拘束。さらに連結されているロープで腰まで縛り上げられた。
手首に食い込むその重みは、そのまま心にのしかかってくるようだった。
海斗にはただひとつ——
声を大にして言いたいことがある。
だけど——
それを主張したところで——
何ひとつ、変わらないのかもしれない。
それでも——
声が嗄れるほどに言いたい。
知らなかった——。
騙された——。




