第9話「祈りは通じて」
「癒しの光!」
こんこんと癒しの光がローレの体に満ち、がぱりと口を開いた から体を食い散らかされる寸前で、ローレは地面を転がって避けた。
「ネルさん!?」
「話は後め。次の攻撃にせいぜい備えろめよ!」
「ち、治癒は任せて下さい!」
ローレが振り向いた先、そこにはツノが白く光らせ、視界を確保するめーちゃんと、杖を構えて を睨むネルの姿があった。ネルの耳元には流れたばかりの血が付着していて、咆哮の余波があちらにも届いていた事をありありと示していた。
幸いな事に、巨大な泥を圧縮させたような はこちらを見るだけで動く様子はない。
──好都合だ、態勢を立て直す時間を得よう。
ローレは取り落とした細剣の柄を掴み──地面に膝をついた。
「──うぁ?」
限界がきた、いや、既に限界などとうに越していたのだ。気力だけで体を支えていた両足から力が抜け、周囲から音が消える。
鼓膜は、治癒魔法で回復しているはず。
なら何故音が──
ゴシャッ。
プツン、とローレの意識が消えた。
側頭部からおびただしい量の血を流しながらローレが地面に倒れる。それを、やったのは。
「ぁ、あぁぁあ? あァァァァァァァァァァァァァアアアぁ!? ローレさんローレさんローレさんローレさんローレさんローレさん、返事をして下さい! ローレさんッ!」
の体がウネウネと形を変え、表面についた返り血を体内へ吸い取っていく。 は体を硬質化し、ローレの側頭部を弾いていたのだ。
頭をガリガリとかいて地面に座り込んだネルを見て、めーちゃんが冷や汗を垂らしながら声を荒げる。
「ネル! 気持ちは分かるけど今は逃げるしかないめッ…………このままじゃ共死にめ!! ネルッ!!」
「う、ぁあ、あ……おぇ゛、う」
胃の底から全てを吐き出したネルの視界に映るのは、血に染まるローレと、足からゆっくりとローレに絡みついていく 。触れられた個所から順に服が、皮膚が溶けて融合していく。それが酷くおぞましく、気持ち悪く、嫌で嫌でたまらなかった。
ネルはローレの元へ走ろうとして、転んだ。
小石に躓いたのか、はたまた恐怖で足が動かなかったのか。いずれにせよ、それでネルの心はパキリとヒビ割れた。
「あ、あ……ぁ」
《《また》》。
また、こぼれ落ちていく。
大切な人が、遠ざかって、手の届かないところにいってしまう。
嗚呼、なんと非力なのだろう。
なんと惨めなのだろう。
ネルの脳裏に封じ込めていたはずの惨劇の記憶が蘇り、もう吐くものすら残っていない胃が、黄色混じりの胃液を吐き出した。
「ッ──」
その様子を見かねためーちゃんが意を決して叫ぶ。
「おい《《成れ果て》》! こっちを、見るめ!」
ツノから赤い光線が へ伸び、 に触れた瞬間に奇声が上がった。
そして、ローレの体に肉体の一部を残しながら、 はめーちゃんへとターゲットを変えた。
狂ったように姿を変えては分離、統合を繰り返し、ついには四つの手足を手に入れた、歪な黒い泥人形が出来上がった。
「成れ果てはヌシが引きつけるめ。ネル、ヌシはお前を信じてるめ」
「ぇ……?」
地面に座り込んだネルを優しい笑みで一瞥した後、めーちゃんはパタパタと器用に宙に浮き、その一身で の注意を引きつけた。
めーちゃんの言葉が、取り残されたネルの頭を反芻する。
「私を……信じてる?」
震えが止まらない右手を左手で掴み、ギュッと口を塞ぐ。
怖い、心の底から怖い。
あのゲファールリッヒさえも攻略してみせたローレが の一撃で倒れ伏し、目を覚ます気配がない。
めーちゃんも自分が危険に晒されることも承知で の注意を惹いている。とってもかっこいい事だ。
──私は?
思えば、私はずっと世界を外から見ていたように思う。
ネルはわなわなと震える拳を見つめ、過去を遡った。
◆
私はずっと小さい頃、顔も知らぬ親に捨てられ、孤児として孤児院に拾われた。上手く思い出せないけれど、いい記憶は少なかったと思う。
服も布一枚で、寝る場所は何十人も同じ場所に敷き詰められた床。食事は薄いスープと一切れのパン。
一日の半分以上を様々な雑用や肉体労働で消費した。
それでも、捨てられた子どもたちに帰る家を与えてくれた孤児院には感謝をしてもしきれないと思う。
それで数年が経って、いつの間にか孤児院は潰れた。
薄汚い子ども達に住む場所なんてなくて、よっぽどのもの好きでなければ引き取る者なんて全くと言っていいほどいなかった。
孤独だった。
ずっと寒かった。
そうやって、飲まず食わずで二日が過ぎて、体の細い私は凍死する寸前だった。
その時──私の『お兄ちゃん』が現れたのだ。
ネラ=レスプランディ。
ベンチで横になっていた私に温かいスープを飲ませてくれて、村の外れにある家に匿ってくれた人。
家に入れてもらった私は、お兄ちゃんのお母さんに体を洗い流してもらって、泣き腫らした事を今も覚えている。その時のお母さんの言葉も一語一句覚えている。
温かかった。
レスプランディ家は孤児である私を家族として迎え入れてくれた。その過程で私も『ネル=レスプランディ』と名乗るようになった。
ネラお兄ちゃんは私と同じ紅の髪で、そのおかげで兄妹だと言っても違和感がなかった。
そして、すっかりレスプランディ家に馴染んでから二年が経った日の夜。私の誕生日会が開かれた。
父さんと母さんから「大きなプレゼントだから外で少し待っていておくれ」と言われた私とお兄ちゃんは、家の外に出た。
その時──空が赤く染まった。
平穏が、音を立てて崩れたのを今でも覚えている。
突然地面が揺れ始めて、次の瞬間には目の前が真っ白に染まった。
刹那、頭を激しく揺さぶるような怪音とともに、一筋の光芒が眼前を通り過ぎた。
私とお兄ちゃんは目の前の光景に膝から崩れ落ちた。
何故なら、村の八割が消えて無くなっていたからだ。
賑やかだった酒場も、冒険者ギルドも、教会も、そして父と母の姿も何処にもない。
地面が高熱線に焼かれ、じゅうじゅうという音だけが無情にも耳に残る。叫びも、腐臭も、血すらもそこにはない。あまりに突然で、静かで、一方的に数多の命が奪われた瞬間だった。
私はその日、大切な人を沢山喪った。
熱線を奇跡的に逃れた私とお兄ちゃんは村を捨て、違う地へと移住したのだ。
そこが私の住む街『ウーレン』。
お兄ちゃんが私のために居場所を作ってくれて、冒険者になって生活費を稼いでくれて。私は、お兄ちゃんに甘えていた。
──そんなお兄ちゃんは、もう、いない。
◆
ネルが地面を力一杯殴った。
拳が傷つくのも気にせずに、痛みを一身に浴びて、殴り続けて────息を吐いた。
頭を上げれば、側頭部から血を流すローレに纏わりつく、めーちゃんが『成れ果て』とよんだ肉塊の一部が張り付いていた。
ネルはガクガクと震える膝を叩き、杖を握る。
瞳の下には涙の跡あれど、その瞳は光を取り戻していた。
お兄ちゃん。
大好きなお兄ちゃん。
世界で一番、かっこいいお兄ちゃん。
私、お兄ちゃんの分まで、頑張るね。
お兄ちゃんが胸を張って自慢できるような、立派な人になるよ。
だから……今だけは私を、見守っていて──!
──そして、ネルの頭に閃光が弾けた。
ネルの脳裏に浮かんだのは、ローレが先程行っていた魔導通信。鞘が明滅し、名前を唱えることで、遠方の人物と連絡をとっていたあの儀式。
もし成功すれば、この状況を打破てきるかもしれない。
「ぐすっ、う、……はぁ。やるしか、ない……ですよね」
パンッと頬を叩き、ローレの体に纏わりつく成れ果て──その隣に落ちている細剣の鞘をネルは睨む。
そして、意を決して地面を蹴って飛び出した。
(間違えたら死ぬ、間違えたら死ぬ、間違えたら死ぬ!)
めーちゃんもいつまで持つか分からない。
すぐに終わらせなければならない。
ネルは杖を成れ果てが巻き付いていたローレの両足に向け、恐怖を紛らわすように叫んで唱えた。
「癒しの光ッ!!」
「逞帙>隱ー逞帙>闍ヲ縺励>蜉ゥ縺代※雖後□」
成れ果てが死滅させた細胞が再生し、その過程で成れ果てがボトリと地面に落ちる。すぐに耳を劈く奇声が鼓膜を破いたが、すぐにネルは詠唱した。
「癒しの、光ッ」
すぐに鼓膜を回復させ、地面に落ちた成れ果ての肉塊を蹴り飛ばす。足の甲がじゅう、と灼け、激痛とともに肉が溶けた。
涙が瞳から溢れるが、我慢する。
「癒しの光ッ、鞘を──!」
それもすぐに治癒し、距離を取れた一瞬で鞘を取り、ローレの手に持たせる。
そして、ネルが魔力を流し、ローレの手を握りながら、こう叫んだ。
「ローレ=アンブークル!」
(お願い、上手くいって──!)
ネルの必死の祈りの末、ローレの鞘は──
「生体認証……一致。ローレ=アンブークル様、お疲れ様です」
ネルの祈りに応え、明滅を始めた。




