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赫き空の下で終焉の詩を ─記憶なき道化と運命に縛られし少女の円環録─  作者: 馳せ参ず
第一章「めーちゃん」

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第2話 「道化の舞いと、紅髪の少女」

 ふっ、と視界が移り、眼前に広がるは別世界。先程までの薄暗い洞窟とは打って変わり、先の見えない石造りの四角い空間の真ん中にローレは立っていた。


 ──推定異級(マリス)『ゲファールリッヒ』。主の間(ガーディアンフロア)


 自身の身長の数十倍はある四角の柱が何十本も均等な間隔で置かれているのを見て、ローレは予想を立てた。


「ふむ、足場──ですか」


 前にもこのような階層を見たことがあるな、とローレは細剣を正眼に構えて思う。カタカタと地に転がる石ころが揺れ、天井から粉が舞う。地響きが段々と大きくなっていき、ローレは口角を上げて言った。


「────単騎!」


 黒い影が空間を縦横無尽に駆け回り、柱や壁に灯る松明の火が高速で消えていく。立て続けに明かりが消え、周囲に漆黒の帳が堕ちる。もはや両手に持つ武器さえ見えなくなり、ローレは目を閉じた。


 シャリン、と涼やかな鈴の音が響く。

 ローレの細剣が、巨大な(ガーディアン)――腐肉と怨念を継ぎ接ぎしたような八足異形の巨獣の眉間を、深々と貫いていた。ヘドロを纏った巨獣は闇の中で生者を確実に葬ったと確信しており、まさか自らの眉間に細剣が刺さっているなどとは微塵も考えていなかった。


「一突、穿つは静寂の牙」


 詠唱と共に刀身から放たれた衝撃波が巨獣の脳を内部から破壊し、断末魔の咆哮すら許さずにその巨体の崩壊が始まる。漆黒の巨体の表面がドロドロと黒い液体へ変化し、より歪な様相へとなっていく。


「──∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮」


 ようやく事の重大さに気づいたのか、巨獣が人間の耳では聞き取れない甲高い奇声を上げて八つの足を躍動させた。全身から力が抜けたローレの体目掛けて鞭のような足が振るわれた。


「……これは、一本取られましたねぇ」


 それは完全に予想外。咄嗟に背後へ飛んだが、僅かに遅い。刹那で挟んだ右腕が音を立てて折れ曲がり、勢いのまま柱へ吹き飛ばされ、背中に激痛が走った。ズルズルと柱から滑り落ち、泥水へ受け身も取れずに着水する。


 だが──


「勝ちは…………勝ちです、ゴフッ……ゴホッ……はぁ、はあっ……」


 右腕に高級ポーションを直接かけているローレの視線の先、先程まで巨大な魔物がいたはずの場所にドス黒い水溜りができていたのだ。


 ──一対一の戦闘であれば、いかに強大な怪物であろうとローレは相性有利をとれる。先ほどの理不尽な泥濘の物量戦に比べれば、酷くあっけない幕切れだった。


 (ガーディアン)が完全に消滅してからというもの、空気を重く沈ませていた濃密な瘴気が、嘘のように霧散していた。

 肌を刺すような刺すような冷気は和らぎ、迷宮そのものが発していた不気味な拍動もピタリと止んでいたのだ。


 『沈静化』──時間経過によって跳ね上がっていた迷宮の階位(クラス)が、(ガーディアン)の死によって本来の難易度へと強制的に引き戻された証拠だ。


「……終わりましたか。まったく、割に合わない舞踏会でしたよ! …………本当に、ね」


 右腕の動作を軽く確認したローレは、泥濘の中を歩き出す。

 (ガーディアン)が消滅した跡や、空間内に築かれた黒い骨の山の陰には、いくつか不自然なものが転がっていた。

 半ば溶けかかった銀の冒険者証(タグ)、ひしゃげた剣の柄、そして、血に塗れた安っぽい布のお守り。これらはすべて、迷宮の活性化に巻き込まれ、帰らぬ人となった冒険者たちの生きた証だった。


(これも、先ほどの群れの一部にされてしまった方々の遺品でしょうか……)


 ローレは片膝をつき、それらを一つ一つ丁寧に拾い集めると、漆黒の外套の裏地にある四次元収納(ボックス)へと収めていく。


 そして、両手を硬く組んで額へ近づけた。


「――貴方たちの魂が、せめて安らかなる眠りにつかんことを」


 誰に聞かせるわけでもない、静かな祈り。

 己が何者かさえ定かではない彼に、死者を弔う資格などないのかもしれない。それでも、腕の中に残る命の重さを知ってしまった以上、素通りすることはできなかった。


 最深部の中央には、地上への帰還を示す青い転移魔法陣が再起動していた。


 やがて静かに立ち上がると、ローレはその光の上に立ち、泥と血に塗れた己の姿を自嘲気味に笑う。ポーションで肉体は癒えても、染み付いた死の匂いは容易には消えないらしい。


 眩い光が視界を包み込んだ。


 ◆


 光が弾け、視界が晴れる。

 生温かい風がローレの銀髪を揺らした。そこは、鬱蒼とした森の中に口を開ける『ゲファールリッヒ』の入り口だった。


 地獄のような地下空間から生還し、一つ大きな息を吐き出したローレの視界に、不意に小さな人影が映った。

 身の丈に合わない大きなリュックを背負い、ヒラヒラとした白い服に身を包んだ若い女性。

 年齢は十七といったところだろうか。しかし、その顔立ちにはどこか幼さが残り、悪名高い迷宮の入り口を前にして僅かに膝を震わせている。

 ローレの足音に気づいた彼女は、ビクッと肩を揺らして振り返った。


 その顔を見た瞬間、ローレの心臓がドクンと波打った。短めに切り揃えられた紅の髪に、真っ赤な瞳。走馬灯で幻視した女性と瓜二つの様相だったからだ。

 

「……おや。こんな辺境のダンジョンに、可愛らしいお嬢さんとは珍しいですねぇ。ピクニックにしては、少々物騒な場所ですよ?」


 ローレは内心の動揺を完璧な道化の笑みで隠し、芝居がかった手つきで彼女に声をかけた。


 生還者であるローレの出で立ち――ボロボロに破れた外套や、血と泥の生々しい死の匂いに圧倒されながらも、少女は白く小さな拳をギュッと握りしめて口を開いた。


「ピ、ピクニックなんかじゃありません! 私は……人を探しに行くんです」

「人探し、ですか。この『ゲファールリッヒ』へ? ここが普段、どのように呼ばれているか知っているでしょう?」

「はい……『悪霊の巣』──ですよね。でもっ、兄さんが……この迷宮に入ったきり、帰ってこないんです! ギルドの人はもう諦めろって言うけど、私は信じられません。兄さんは強いから、きっとどこかの階層で怪我をして動けなくなってるだけで……! 今も助けを待ってるはずなんです!!!!」


 悲痛な叫び。すがるような瞳。

 彼女の言葉が、ローレの胸の奥底を冷たく抉った。


 このダンジョンが異常を起こしていたことは、先ほど身をもって体験したばかりだ。

 あの、数万の黒骸骨が(うごめ)泥濘(でいねい)の地獄。

 あそこに巻き込まれたのであれば、たとえ熟練の冒険者であっても生存の可能性は万に一つもない。

 ローレの右手が、無意識に外套の中、先ほど拾った錆びた銀の冒険者証(タグ)が入っている四次元収納(ボックス)へと動く。


 このタグが、彼女の兄のものだという証拠はどこにもない。

 だが、あの地獄を見てきた者として、自分はどう振る舞うべきか。彼女に真実と現実を突きつけ、絶望させるべきか。それとも、見え透いた嘘で希望を繋ぐべきか。あるいは、無理矢理にでも彼女の迷宮入りを阻止するべきか。


「…………」


 口八丁で世間を渡り歩いてきた道化の唇が、縫い付けられたように動かない。

 死に損ないの男は、ただ彼女の真っ直ぐな瞳を前にして、ひどく不器用に立ち尽くしていた。


 彼女の言わんとする事は分かる。だが──


 ローレは紅髪の少女の装備をじっと見つめ、最後に瞳を覗いた。決死の覚悟、そうとしか言い表せない瞳をしていた。すぐに……死にそうな目だ。


 だからこそ、ローレは言わねばならない。

 そして開いた口から出た言葉は、意外にもローレの思考と反したものだった。


「──私を同伴させて下さい。それでしたら……良いでしょう」

「分かっています……皆そう言う──ぇ?」


 口から出た言葉に驚いて、ローレと少女が目を見開く。


「……ほ、本当に……良いんですか?」


 潤んだ目をこちらに向ける紅髪の少女を前に、ローレはパリパリに固まった銀髪をかいて──頷いた。

 本当なら、怒鳴ってでも追い返すべきだったのだろう。でも、何故かそれができなかった。


 それに、今追い返したとして、ローレの目がない時にこの少女はダンジョンに入る可能性もある。ローレが一緒についていた方が安全なはずだ。

 加えて、沈静化を終えているため、難易度だって元に戻っている。残存魔力は残り三割だが、充分だろう。

 最短距離で攻略したので、見落としたフロアもあるかもしれない。彼女の言う兄はまだ生きているかもしれない。


 そう胸の内で結論付けて、ローレは深く息を吐いた。

 綺麗好きの彼にとって泥と血で汚れたままは本当に嫌だったし、今すぐ宿で体を洗い流したかった。しかし、紅髪の少女の瞳は間違いなくローレの心を揺れ動かしたのだ。


「貴方は幸運ですよ、何故なら世界一優雅(エレガント)な私が同伴してあげるのですからねぇ!」

「……は、はい! よ、よろしく、お願いします!」


 ブンブンと小さな頭で何度もお辞儀する少女を見て、ローレは少女にバレない程度に笑った。だって可笑しいだろう? 血と泥に塗れた道化が同伴してやると言って、こんなにも健気に安堵した表情を浮かべているのだから。


「あ、自己紹介して、ませんね……」


 門に足を踏み入れる寸前、少女が立ち止まった。


「私の名前は『ネル=レスプランディ』、です!」

「ネルさんですね、良い名前です。私の名前は『ローレ=アンブークル』。──ローレと、呼び捨てでも構いませんよ」


 ニコリと微笑んで、ローレはそう言った。

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