特製しらすご飯 後編
「シラス……?」
「魚の赤ちゃんさ。群れで回遊し、プランクトンを求めて沿岸に近づいてきている。あれだけの群れがいれば、いい食糧になる」
朔の声に力が宿る。
朔は振り返り、村長に駆け寄った。
「日暮れまで待って、漁の準備をお願いできますか」
「漁たって……さっきも言った通り、小舟が5隻しかねぇし、網もどっかいっちまったんでさ」
村長が困惑した顔をする。
「大丈夫です。5隻で足ります。網も持ってきました」
朔は懐から、用意してきた抱えるほどの大きさがある漁網の束を取り出した。
「なっ……!?」
村長が腰を抜かしそうになる。
朔は気にした様子もなく網を砂浜に広げた。
「でも、これでは」
広げられた網を見て、ユズリハが言う。
目が粗すぎるのだ。
普通の魚ならともかく、シラスのような小さな魚は全て抜け落ちてしまう。
「ああ。今からこれを『シラス用』に作り変える」
朔は懐から、鈍い銀色に光る塊を取り出した。鉛だ。
朔は網に手を触れて、クラフトする。
一瞬にして、粗い網は絹のように目の細かい高密度のそれへと変化した。
同時に、鉛の塊が数百個の小さな粒状となり、網の下端に整然と縫い付けられていく。
「これで海底にぴったりと沿う『地引き網』になった」
朔は完成したばかりのシラス網を満足げに見下ろした。
上端には浮きとなる木片も取り付けられている。
「ど、どうなっておるんじゃ……それは……」
村長はそれ以上、言葉が続かなかった。
そして日が落ち、あたりが闇に包まれ始めたころ。
「魚は光に集まる習性があります。小舟を一艘出し、松明を掲げて沖から岸へゆっくり近づいてください」
朔の指示で、数少ない動ける若者が小舟に乗り込む。
海上で火が焚かれると、暗い水面が揺らめき始めた。
「……寄ってきた」
ユズリハが呟く。
火明かりの下、水面がざわざわと沸き立っている。光に集まったプランクトンを追い、膨大な数のシラスが帯となって岸へ押し寄せているのだ。
「――今です! 網を入れて!」
朔の号令と共に、村人たちが3隻の舟から、朔が作り出した網を広げる。
鉛の重みで網の下端が海底の砂を噛む。
壁となった網が、逃げ場を失ったシラスの群れを包囲していく。
「引けええぇぇッ!」
村長が枯れた声を張り上げる。
重い。
確かな重量感が、舟の上の彼らの掌に食い込む。
ザザァッ……!
そうやって、波打ち際に引き上げられた網の中。
松明の光を反射して輝くそれは、まるで液状化した銀塊のようだった。
跳ね回る数万の魚。
透き通るような魚体が、層をなして折り重なっている。
そして、その銀の波間には、シラスだけではない豊かな海の恵みも混ざり込んでいた。
手のひらほどの大きさがあるイカや、透き通った桜色をしたエビたちも、あちこちで跳ねているのだ。
「おおぉぉ!?」
「こ、これ全部……魚か……? それに、イカやエビまで……!」
「すげぇ! いっぱい獲れたぞぉ!」
村人の一人が震える手でそれを掬い上げる。
指の間からこぼれ落ちるほどの大漁だ。
「さぁすぐに茹でますよ。ユズリハ、そっちはどうだ」
「もうすぐ炊きあがる」
朔の声に、ユズリハが頷く。
彼女が立っていたのは、浜辺に据えられた別の竈の前。
そこには大きな土鍋が置かれ、白い湯気を勢いよく吹き上げていた。
蓋を取ると、甘く芳醇な香りが一気に広がった。
「こ、これは……米、ですか……?」
村長が信じられないものを見る目で土鍋の中を覗き込む。
中には、一粒一粒が真珠のように輝く、炊きたての白米が詰まっていた。
「ええ。最高の魚には、最高の飯がなくちゃいけませんからね。それに――」
朔は砂浜の端、草が生い茂る一角を指差した。
「ここにはまだ、死んでいない命がありました」
そこにあったのは、鮮やかな緑色の葉を持つ草だった。
「それは……オカヒジキ?」
村長が目を丸くする。
「はい。塩に強いこの草なら、塩害にも負けずに育ちます。湯通しすればシャキシャキして美味しいですよ」
朔はニカリと笑うと、作業に戻る。
沸騰した大鍋の中に、水揚げしたばかりの獲物を沈める。
一瞬温度が下がり、再び沸騰するのを待つ。
透明だった魚体が、熱湯の中で瞬く間に純白へと変わっていく。
混ざり込んだエビは鮮やかな朱色に染まり、イカは、くるんと丸く形に茹で上がる。
白、赤、淡い桃色が混ざり合い、鍋の中はまるで春の花畑のよう。
「浮いてきたら茹で上がりです。さ、器を持って並んでください」
列をなした村人たちが、震える手でお椀を差し出してくる。
朔はそこに、熱々の白飯をたっぷりとよそい、その上から茹でたての釜揚げシラスを山盛りにかけた。
エビやイカも惜しみなく乗せ、さらに鮮やかな緑色のオカヒジキ、刻んだばかりの新鮮な浅葱、すりおろした生姜を添える。
「仕上げです」
朔は懐から取り出した瓶の蓋を次々と開けた。
漂うのは、白だしと、香ばしいごま油と、熟成された醤油の香り。
「おお……」
「なんという良い香りだ」
それでつくった特製の「だし醤油ダレ」を回しかける。
即席にして至高の「特製・海鮮しらす丼」の完成だ。
「さあ、冷めないうちに」
促され、村長がお椀に口をつける。
ハフハフと息を吐きながら、白飯とシラス、そして薬味を豪快にかきこむ。
瞬間、老人の目が見開かれた。
「んんっ……!」
柔らかいシラスのふっくらとした食感。
それが、噛むほどに甘みが増す白米と口の中で混ざり合う。
そこに特製ダレのコクとごま油の風味が絡みつき、オカヒジキのシャキシャキとした歯ごたえと、生姜の爽やかな辛味が全体を引き締める。
時折弾けるエビのプリプリとした弾力と、イカの濃厚な旨味がアクセントとなり、箸が止まらない。
「う、美味い! エビもイカも……なんて贅沢で、美味いんだ……!」
その目から涙が溢れ出し、皺だらけの頬を伝った。
それを見て、村人たちも次々と「しらす丼」にかぶりついた。
「うめぇ! こんなにうめぇ飯、初めて食った!」
「生き返る……体が熱くなるよ!」
飢えた体に、タンパク質とカルシウム、野菜のビタミン、そして炭水化物のエネルギーが染み渡っていく。
誰彼ともなく歓声が上がり、絶望に沈んでいた浜辺は、一転して祝祭のような熱気に包まれた。
「驚いた。こんな小さな魚たちが、これほどの味と満足感を持つとは」
ユズリハも一口食べ、目を見開いている。
「乾燥させれば『干しシラス』や『ちりめんじゃこ』として長期保存もできる。骨ごと食べられるから、子供たちの体も強くなる」
朔は満足げに、湯気の向こうで笑顔を見せる村人たちを眺めた。
「タケヒコ様に言って、防風林を植えてもらおう。そうすれば田畑が塩でやられることはなくなる」
「私から伝えておく」
ありがとう、と朔はユズリハに笑顔を向けると、立ち上がってまた腕まくりをした。
「さあ、食べ終わったらもう一度獲りますよ! お腹いっぱい食べて、冬を乗り越える力をつけるんです」
「おう!」
冷たい冬の風が吹くが、彼らの表情は明るかった。
白い湯気と、活気を取り戻した凪沙の村人たちが、焚かれた火の中で輝いていた。




