特製しらすご飯 前編
冷ややかな空気が肌を刺す。
村々では実りの季節を終えつつある安堵と、来るべき冬への静かな覚悟が満ちていた。
一方、宮殿の奥、卑弥呼の私室には重苦しい空気が漂っていた。
女王卑弥呼は玉座にて沈黙を守っている。
その傍らには、この国のまつりごと一切を取り仕切るタケヒコが控えていた。
「……姉上。以上が、西の海岸沿いにある『凪沙の村』の現状で」
タケヒコの声は重い。
実直な文官である彼にとって、民の困窮は自身の痛みそのものだった。
「本来であれば秋の収穫で倉が満たされる時期。しかし、かの村では稲はおろか、粟や稗までもが立ち枯れ、冬を越すための蓄えが皆無とのこと。このままでは、冬の半ばを待たずして村人の半数が餓死しかねません」
卑弥呼は表情を変えずに問う。
「原因は」
「村の者たちの話では『神の怒り』と。ある日から田畑が白く粉を吹いて塩辛くなり、何を作っても育たなくなったそうで」
「神の怒りか……」
卑弥呼が鼻を鳴らす。
彼女は巫女でありながら、盲目的な信仰よりも実利と結果を重んじる。
「祈祷で腹は膨れぬ。タケヒコ、其方はどう見る」
「私にもわかりませぬ。救援の食糧は送ってみますが、全員が冬を越せるかどうかは……」
タケヒコが言葉を詰まらせた時、部屋の入口から控えめな声が響いた。
「もしかしたら……それは『塩害』かもしれません」
入室を許されていた朔だった。
彼は静かに一礼すると、卑弥呼とタケヒコの前に進み出る。
「サク、参ったか」
卑弥呼の声にわずかな安堵が混じる。
タケヒコもまた、救いを求めるような眼差しで朔を見た。
「サク殿……。塩害、とは?」
朔は頷き、タケヒコに向き直った。
「タケヒコ様、おそらく田畑が白く変わる前に、その村に海から陸に向かって強風が吹き荒れたのでは」
「それかどうかはわからぬが、三日三晩続いた風があったという話は聞いた」
台風……あるいは強い低気圧だったのか、と朔は考える。
「海水を含んだ飛沫が強風に乗って内陸まで運ばれたのだと思います。土壌に大量の塩分が染み込んでしまうと、植物は根からうまく水を吸えなくなって枯れてしまうんです。それが『塩害』と呼ばれる現象で」
朔の口から出る「エンガイ」という言葉の意味を完全に理解できる者はいない。
だが、その静かな口調には、不思議と人を納得させる響きがあった。
「サクよ。その対策はあるのか」
卑弥呼の問いに、朔は少し困ったように眉を下げて答える。
「一度塩を含んでしまった土を元に戻すには、大量の真水で洗い流すか、別の場所から新しい土を運ぶ必要があります。ですが……残念ながら、今からでは間に合いそうにありません」
「ふむ、どうすべきか……」
タケヒコが悲痛な声を漏らす。
「可能なら、私を凪沙の村へ行かせてください。現場を見て、ほかに何か食べられるものがないか探してみたいんです」
「ほう。そなたが探すと?」
卑弥呼が朔をじっと見る。
「ええ。磯場なら貝や海藻があるかもしれませんし、浜辺に打ち上げられるものもあるかもしれません。何か、飢えを凌ぐ手立てが見つかるかもしれない。無駄足になるかもしれませんが、やれるだけのことはやってみたいのです」
朔は卑弥呼を見上げ、頭を下げた。
「どうか、行かせてもらえせんか。私なら塩害の大地も簡単に直せます」
卑弥呼はわずかに口角を上げた。
「よかろう。――ユズリハ」
影のように控えていた侍女頭が、音もなく前に出る。
「はっ」
「サクと共に行け。私の兵も連れて良い。彼の知恵を守り、その手足となれ」
「承知いたしました」
こうして、朔とユズリハは数名の兵を連れ、飢餓に瀕する海辺の村へと旅立った。
◇◆◇◆◇◆◇
2日後、朔たちがその村に到着する。
凪沙の村は、タケヒコの報告通り、荒涼とした気配に包まれていた。
海からの風は冷たく、鼻腔を突く磯の香りがやけに強い。
畑を見れば、稲の切り株は白く粉を吹き、土はひび割れている。
家々の軒先には力なく座り込む老人や子供たちの姿があり、その瞳からは生気が失われていた。
「ひどい有様だ……」
ユズリハが、珍しく感情を滲ませた声を漏らす。
「……予想以上だな。海風が直接吹き込む地形だ。常に土壌の塩分濃度が高すぎるんだ」
朔が畑の土を指ですくって舐めてみると、顔をしかめるほどの塩辛さだった。
これでは雑草さえ育たないだろう。
朔はクラフト能力を使い、畑の表面の塩土を回収し、塩だけを取り除き、土を戻してを繰り返して回った。
これで作物は育つようになるだろうが、それは春からの話だ。
速効性はないし、繰り返さぬよう防風林も必要だろう。
やがて、村長らしき痩せた老人が、おそるおそる二人に近づいてきた。
「都からの……お役人様でごぜえますか? あいにくと、差し出せるものは何も……」
「徴税に来たのではありません。皆さんの腹を満たすために来ました」
朔の言葉に、老人は力なく首を振る。
「ありがてえお言葉ですが、無理でごぜえます。畑は死に、海へ出る舟も嵐で随分と壊れちまいました。岸辺には雑魚一匹寄り付きゃしねえ」
「……少し、海を見せてもらってもいいですか?」
「もちろんでさ。ご自由に」
「ありがとうございます」
朔はそう言うと、スタスタと砂浜へ歩み出した。
「サク。何かあてが?」
ユズリハが追いつき、小声で尋ねる。
「……いや、まだわからない。でも、台風が来ていたとしても、海は陸より回復が早い。何かが戻ってきてくれている可能性はある」
朔は波打ち際まで来ると、足を止めた。
冬の海は透明度が高い。
灰色の波が、寒々しい音を立てて寄せては返している。
ふと、朔の視線が沖合に向けられる。
数羽の海鳥が、低い位置で旋回し、時折水面に突っ込んでいるのが見えた。
(鳥がいる……ということは、餌があるということだ。でも、何を……?)
朔は目を凝らす。
波の向こう、水面がざわざわと不自然に揺らめいている場所がある。
最初は風のせいかと思ったが、そのさざ波は帯状に広がり、ゆっくりと移動していた。
その時、一瞬だけ雲間から陽が差した。
光の矢が海面を射抜くと、さざ波の一部がキラリと銀色に輝いた。
「あっ……」
朔は思わず声を上げた。
その輝きは、無数の小さな粒子の集合体だった。
「ユズリハ、あれが見えるか?」
朔が指差す先を目を凝らして見るユズリハ。
「……波か? いや、何かが群れているようにも見えるが、魚影にしては小さすぎる」
「ああ。たぶんあれはカタクチイワシの稚魚……『シラス』だ」
「シラス……?」
「魚の赤ちゃんさ。群れで回遊し、プランクトンを求めて沿岸に近づいてきている。あれだけの群れがいれば、いい食糧になる」
朔の声に力が宿る。




