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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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輿の中のそぼろ弁当


 空が鉛色に沈み込み、頬を撫でる風に微かな氷の粒が混じり始めた頃。


 邪馬台国の都にも、初冬が訪れていた。

 木枯らしが吹き抜け、乾いた土埃を巻き上げる。


 王宮の周囲に張り巡らされた幾重もの環濠かんごうも、寒々とした光を鈍く反射していた。


 そんな寒空の下、王宮の奥殿は朝から騒然としていた。


「急げ! 日が落ちるまでに祭壇へ着かねばならぬ!」


 広間に卑弥呼の鋭い声が響く。

 未明、星の巡りに不穏な兆しが見えたのだ。


 このままでは冬の寒気が国を閉ざすという天啓があり、急遽、北の聖地にある祭壇へ赴き、鎮めの儀を行わねばならなくなったのである。


 幾重にも重ねた祭祀用の絹の衣をまといながら、女王・卑弥呼は眉間に深い皺を寄せていた。


 周囲には数人の侍女がかしずき、着付けや祭具の準備に追われている。


 その傍らには、タケヒコが控えていた。


「タケヒコ、支度はまだか」


 卑弥呼が焦りと苛立ちを隠さずに問う。


「姉上、もう間もなくです。輿の手配は済んでおります」


 タケヒコが恭しく答えるが、卑弥呼の機嫌は直らない。

 神託への重圧もあったが、それ以上に彼女を不機嫌にさせている要因があった。


「腹が減った」


 卑弥呼は短く言った。


「急な啓示で朝餉あさげを摂る暇もない。だが、空腹では神との対話もままならぬ」


「では、道中で姉上が召し上がれるものをご用意させましょう。ちなみに侍医の料理にされますか? それとも――」


「サクだ」


「はっ」


 タケヒコは心得たように頷くと、近くの侍女に目配せをした。

 侍女は深く一礼すると、足早に厨房へと走った。


「陛下は空腹です。輿に揺られながらでも食えて、すぐに腹と心を満たすものを用意せよとのこと」


 いや、無茶な注文である。

 しかし朔は眉一つ動かさず、静かに頷いた。


「承知いたしました。揺れる車内でも食べやすく、身体を芯から温めるものを用意します。……ユズリハ、手伝ってくれ」


「わかった」


「10分で仕上げる。準備にかかるぞ」


 朔はおこしておいた火に鉄鍋をかけながら、バターを切る。


 手に取ったのは、あらかじめ下処理をしておいた牛と豚の合い挽き肉だ。

 たまたま手元で準備していた素材だが、時間がないので、これを使った料理にする。


 熱した鉄鍋に、ためらいなく挽き肉を放り込む。


 ジュワァァァッ!


 激しい音と共に、脂の焦げる香ばしい匂いが立ち上る。


 朔の菜箸さばきは、まるで剣舞のように鋭い。

 四本の箸を巧みに操り、肉が塊にならぬよう、パラパラになるまで炒りつけていく。


 その横顔は真剣そのもので、職人の矜持が滲み出ていた。


「ユズリハ、すまないがそこの棚のひしおを取ってくれ。手が離せない」


 肉を炒めながら朔が声をかけると、ユズリハは片目だけを開け、壁から背を離し、棚から素焼きの壺を取り上げると、朔の元へ無造作に置いた。


「助かる」


 朔は礼もそこそこに壺の中身を鍋に加える。


 さらに蜂蜜、刻んだ生姜。

 鍋肌から醤油の焦げる香りが爆発的に広がり、厨房全体を食欲の塊のような空気で満たした。


 だが、朔の手は止まらない。

 最後に、もう一つの壺へ手を伸ばした。


 中に入っているのは、彼が数ヶ月かけて熟成させて完成させた琥珀色の液体――「本みりん」だ。


「仕上げだ」


 朔は琥珀の雫を、回し入れる。


 ジューッ……!


 瞬間、蒸気と共に、ふわりと甘く芳醇な香りが立ち上った。

 いつもと違う、米由来の複雑で奥深い香りだった。


 アルコール分が飛び、鍋の中の挽き肉が、まるで魔法にかかったかのように艶めき始める。


 みりんの糖分が肉の表面をコーティングし、美しい照りを与え、旨味を閉じ込めるのだ。

 これならば、冷たい外気の中でも肉がパサつかず、しっとりとした食感を保てる。


「よし、味が決まった」


 飴色に輝く、極上の肉そぼろが出来上がる。


 朔は休む間もなく、別の鍋を火にかけ、バターを落とす。

 片手で卵を割り入れ、素早く溶くと、熱した鍋へ流し込む。


 こちらは肉の塩気と対比させるため、優しく甘い味付けにしてある。


 ふわり、ふわり。

 朔の繊細かつ大胆な手つきによって、鍋の中に黄色い花が咲くように、鮮やかな炒り卵が出来上がっていく。


 琥珀色の艶を纏った肉そぼろと、ふわふわの黄色い炒り卵。

 二色が揃えば、最強の「二色丼」だ。


 朔は漆塗りの木箱を取り出した。

 熱い白飯を敷き詰め、右に肉そぼろ、左に炒り卵。


 その境目に、茹でた菜っ葉を添える。

 茶、黄、緑。


 鮮やかなコントラストが完成した。

 特に肉そぼろは、みりんの効果で宝石のように光を反射している。


「よし」


 朔は蓋をすると、手近な布で包み、ぎゅっと結び目を作る。


「行くぞ」


 二人は足並みを揃えて宮殿の車寄せへと向かった。

 車寄せでは、すでに輿の準備が整っていた。


「おお、もう来てくれたか」


 タケヒコが安堵の声を上げる。


「出来立てです」


 朔は畏まりながら、しかし堂々とした態度で、包みをタケヒコに差し出した。


 タケヒコはそれを受け取り、輿の中の卑弥呼へとパスを繋ぐ。


「……む。温かいな」


 輿の中から卑弥呼の声が漏れる。


 タケヒコの合図で、重々しい音を立てて輿が動き出す。

 朔はその場に片膝をつき、ユズリハもまた黙って頭を垂れ、聖地へと向かう一行を見送った。


 王宮を出てしばらく、卑弥呼の一行は冬枯れの荒野を進んでいた。


 輿の周囲を護衛の兵たちが固め、枯葉を踏む音と車輪の音だけが響く。

 輿の中は外気が遮断されているとはいえ、じっと座っていれば底冷えがしてくる。


「……我慢ならぬ」


 卑弥呼は膝の上に置いていた包みを解いた。

 蓋を持ち上げると、輿の中にふわりと芳醇な香りが広がる。


「なんと……!」


 卑弥呼は目を見開いた。


 そこには美しい二色の庭園が広がっていた。

 黄金の砂のような卵と、深く艶やかな大地のような肉。


 特に肉の輝きはどうだ。

 ただ焼いただけではない、濡れたような「照り」が、冬の薄暗い光を受けて琥珀色に煌めいている。


 木匙を手に取り、まずはその肉そぼろを口に運ぶ。


 ぱくり。


 瞬間、卑弥呼の表情が一変した。


「!!」


 噛み締めた瞬間、じゅわっと溢れ出す濃厚な旨味。

 二つの肉が混ざり合うことで生まれる相乗効果であった。


 牛脂の融点の低さが、口の中でとろけるような食感を生み出し、そこに絡む、焦がし醤の香ばしさと、何とも言えぬ上品な甘味。


 蜂蜜だけでは出せない、コクのあるまろやかな甘みが、肉の角を完全に取り去っている。


 それに、不思議と肉が柔らかい。

 冷め始めているはずなのに、しっとりと舌に吸い付くようだ。


 そして何より、たっぷりと効いた生姜が、濃厚な脂を爽やかにしつつ、身体を芯から熱くさせる。


「こ、これは……止まらぬ……」


 牛など食べたことがない卑弥呼には未知の味だった。


 だが、とにかく飯が進む。

 進んでしまう。


 次は、隣の黄色い卵へ。


 ほろほろと崩れる卵は、優しく甘い。

 肉の暴力的なまでの旨味に翻弄された舌を、慈愛のような甘さが包み込む。


 そうか、これは一緒に口にすると……。


「おお……!」


 そぼろと卵を混ぜて食べれば、甘さと辛さ、弾力と柔らかさが渾然一体となり、口の中で至福の宴が繰り広げられる。


「なんと♡」


 肉、飯、卵、飯。 止まらない。


 揺れる輿の中であることも忘れ、卑弥呼は無心で弁当を掻き込んだ。

 生姜の効果で、手足の先までポカポカとしてきた。


「サクめ……まだこんな美味しいものを隠し持っておったか」


 卑弥呼の口元が緩む。

 この小さな木箱の中には、温かな幸せと、朔の技術の粋が詰まっていた。


 カツン。


 無情な音が響き、匙が空の底を叩いた。

 あれほど輝いていた宝石たちは消え失せ、空っぽの箱だけが残されている。


「……な……嘘であろう!?」


 もう終わりか?


 まだ足りない。

 あの肉の照り輝く脂をもっと味わいたい。


 卑弥呼の身体は、完全に「そぼろ」を求めていた。


「おかわり!」


 卑弥呼は思わず小窓を開けて叫んだ。

 すぐにタケヒコが馬を寄せてくる。


「姉上、いかがなさいましたか? 神の声が聞こえましたか?」


「違う! サクだ! サクはおらぬか!」


 タケヒコは困惑した顔で首を振った。


「朔は宮殿に残っております。連れてきておりませんが」


「……そうか、おらぬのか」


 卑弥呼はがっくりと肩を落とし、小窓を閉めた。

 寂しさが、寒さと共に押し寄せてくる。


 宮殿にいれば、朔が凛とした佇まいで「お気に召しましたか?」と問うてくれただろう。


 美味しいものは、作った者の顔を見てこそ完結するのだ。

 あるいは単に、もっとあの肉が食いたいという強欲さか。


 卑弥呼は空の弁当箱を抱きしめ、固く決意した。


(次からは……)


 たとえ聖地への強行軍であろうとも、たとえ神前であろうとも、サクを連れて行く。


 とにかく私の側には、あの料理人と、あの魔法の鍋が必要なのだ。

 再び小窓を開け、卑弥呼は並走するタケヒコに命じた。


「タケヒコ!」


「はっ」


「今日の夕餉当番は誰だ」


「は? いや、そこまでは把握しておりませんでした」


 タケヒコが目を丸くする。


「帰ったらサクに伝えよ。今晩の夕餉ゆうげもコレと同じものにするようにと。あと、山盛りでな!」


「は、はあ……承知いたしました」


 タケヒコは首を傾げながらも、連れておいた伝令の兵のひとりを呼び寄せた。

 卑弥呼は満足げに小窓を閉めると、空の弁当箱を愛おしげに撫でた。


「よし。帰ってあれが食べられるぞ♡」


 口の中に残る微かな生姜とみりんの香りを頼りに、儀式の前のひととき、帰路の楽しみを胸に描く。


 聖地への旅路はまだ続くが、今や、心地の悪いものではなくなっていた。


 女王の心はすでに、朔の待つ、湯気の立つ宮殿の厨房へと飛んでいたのだった。

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