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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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炎の蛇と雲の襟巻き



 秋が深まり、山々を彩っていた紅葉が枯れ色へと変わり、やがて寒風に散らされる頃。


 邪馬台国の都には、容赦のない冬の足音がひたひたと、しかし確実に迫っていた。


 今年の冬は、例年とは違う。

 かつてない強烈な寒波の到来が、巫女でもある女王卑弥呼の予知によって示されていたのだ。

 だが、今の王宮において、その寒波を恐れる者は一人もいなかった。


 数百人の臣下を収容できる広大な「謁見の間」、卑弥呼の寝所である「私室」、そして「湯殿」。


 かつては冬になれば冷気がよどみ、石畳が氷のように冷たくなる恐ろしい場所だったが、今やそれらは別世界へと変貌を遂げていた。


 床一面に敷き詰められたのは、白く輝く美しい陶器のタイル。

 その下には、朔の設計による煙道が張り巡らされ、屋外の巨大な炉で焚かれた薪の熱気が送り込まれている。


 いわゆる「床暖房ハイポコースト」システムである。

 外では雪交じりの暴風が吹き荒れているというのに、謁見の間は春の陽だまりのような、穏やかで均一な温もりに満たされていた。


「……うむ。極楽だ」


 私室で椅子に腰掛ける卑弥呼は、薄い衣をまとっただけで、優雅に扇子を揺らしていた。

 足元から伝わるじんわりとした温もりが、室内全体の底冷えを完全に消し去っている。


「誠に。手がかじかむこともなく、筆が滑らかに進みます。これなら去年までのように冬の間も政務が滞ることはありますまい」


 傍らに控えるタケヒコも、机に広げた木簡にすらすらと文字を走らせている。


「サクの知恵は、まさに神の御業だな。……だが、タケヒコよ。人間とは欲深いものだ」


 卑弥呼はふと、窓の方に視線をやった。

 二重化された窓ガラスの向こうでは、白く濁った空が重く垂れ込め、横殴りの雪がガラスを叩いている。


「この床の温もりは素晴らしい。柔らかく、どこにいても春の野にいるようだ。だが……この部屋では、時折、窓辺からスーッと冷たい空気が降りてくるのを感じるのだ」


 卑弥呼は首筋をさすった。

 床は暖かいが、冷やされた窓ガラスに触れた空気が下降気流となり、床を這う現象——いわゆるコールドドラフトである。


「それに……何というか、視覚的に『熱』が足りぬ」


「熱、でございますか?」


 タケヒコが怪訝そうに顔を上げる。

 十分暖かいではないか、と言いたげだ。


 卑弥呼は扇子を閉じ、どこか遠くを見る目をした。


「うむ。今の温もりは、雲間から差す陽光のようだ。だが、私が今求めているのは、もっとこう……体の芯を一気に焦がすような、荒々しくも頼もしい『太陽そのもの』の熱気なのだ。凍えた心を目で見て、肌で感じて、瞬時に溶かすような……そんな『火』の力が恋しい」


 卑弥呼はふう、と息をつき、タケヒコに命じた。


「タケヒコ、サクを呼べ。この贅沢な不満を、あやつならどう解決するか聞いてみたい」


「はっ。ただちに」




 ◇◆◇◆◇◆◇




 しばらくして、朔が私室に入ってきた。

 後ろには、護衛のユズリハが静かに従っている。


「失礼します。陛下、お呼びでしょうか」


 朔が恭しく一礼する。

 卑弥呼は居住まいを正し、朔に視線を向けた。


「うむ。サクよ、この床は見事だ。だが、私はもっと強烈な熱を欲している。窓辺の冷気を消し去り、炎そのものを愛でることができるような……そんな夢のようなものはないか?」


 卑弥呼の無理難題ともとれる要望に、朔はわかっていたように頷いた。


「実は、以前から準備しておいた物がちょうど出来上がりまして」


「ほう? 流石だな。もしかして、それがそうなのか?」


「はい」


 朔は、後ろに控えていた職人たちに合図を送った。

 彼らが運び込んできたのは、黒光りする重厚な鉄の箱だった。


「『薪ストーブ』といいます。床暖房が『春の穏やかさ』なら、これは『真夏の太陽』です」


 朔は手際よく部品を組み立て、私室の壁際にストーブを設置していく。

 しかし、その形状は奇妙だった。


 ストーブ本体から伸びる黒い鉄の筒——煙突が、すぐに屋外へ出ることなく、壁と天井に沿ってうねうねと蛇行し、長く引き回されていたのだ。


「サクよ。その筒はなぜ真っ直ぐではないのだ? まるで大蛇が這っているようだが」


 卑弥呼が不思議そうに尋ねる。

 朔は煙突を軽く叩きながら説明した。


「これこそが、熱を最後の一滴まで絞り取る工夫です。煙突の中を通る煙は、非常に高温です。これをすぐに外へ捨ててしまうのはもったいない」


「煙の熱、だと?」


「はい。こうしてわざと室内で長く蛇行させることで、煙突の表面積を増やし、煙が持っている熱を部屋の中に吐き出させるのです。これにより、薪のエネルギーを無駄なく暖かさに変換できます」


「なるほど……! 不要な煙すらも、熱源として利用するとは」


 朔は扉を開けて乾燥した薪をくべ、火を放つ。


 パチパチ、という小気味よい音が響き、鉄の筐体きょうたいが熱を帯び始める。

 数分もしないうちに、強烈な輻射熱ふくしゃねつが波のように押し寄せた。

 さらに、長く伸びた煙突からもじんわりとした熱が放射され、壁際の冷気を完全に遮断していく。


「おお……!」


 卑弥呼が思わず声を上げる。

 床暖房のじんわりとした温かさに加え、ストーブからの直接的な熱線が肌を撫でる。

 さらに、扉にはめ込まれた「雲母うんも」の窓からは、赤々と燃える炎の揺らめきが透けて見え、視覚的にも強烈な「暖」を感じさせた。


「ハイポコーストは部屋全体を暖めるのに優れていますが、即効性と局所的な強力な熱には欠けます。このストーブがあれば、冷えた体を一気に温めることもできますし、窓辺の冷気(コールドドラフト)を打ち消すこともできます」


 朔の説明に、卑弥呼は満足げに頷き、ストーブの前に歩み寄って手をかざした。


「素晴らしい。……床の温もりで安らぎ、この炉の炎で活力を得る。完璧だ、サク。これぞ余が求めていた『完全なる冬の宮殿』だ」


 卑弥呼はうっとりと炎を見つめた。

 タケヒコもまた、その恩恵に預かりながら感嘆のため息を漏らす。


「これで我々は、冬将軍に完全勝利しましたな」


 しかし。

 その完璧な空間の中で、朔だけは真剣な表情を崩していなかった。

 彼は静かに、傍らに控えるユズリハに目配せをした。


「……陛下。この空間は、確かに完成しました。ですが、まだ問題が」


「なんだ? 申してみよ」


 卑弥呼はストーブから離れず、機嫌よく答える。


「陛下やタケヒコ様は、この設備によって守られています。しかし、一歩外に出れば、そこは極寒の世界」


 朔は窓の外を指差した。

 そこでは、警備の兵士たちが寒さに震えながら立ち、水汲みの下働きたちが冷え切った手で桶を運んでいる。


「この床暖房やストーブは、莫大な資材と労力、そして燃料を必要とします。王宮や主要な施設には設置できても、国中の民の家すべてに行き渡らせることは、現実的ではありません。今この瞬間も、民は薄い壁の家で震え、かじかんだ手で仕事をしています」


 卑弥呼の表情が、快楽に緩んだものから、王としての真剣なものへと変わった。

 彼女は自分の快適さに酔いしれるあまり、壁一枚隔てた外の世界の厳しさを、一瞬忘れかけていたことに気づいたのだ。


「……そうであったな。私だけが暖を取り、民が凍えるのを見過ごすなど、国の母としてあるまじきこと」


 卑弥呼は居住まいを正した。


「サクよ。そなたのことだ、ただ問題を指摘しに来たわけではあるまい?」


「はい。設備で寒さを防げないのなら、『人そのもの』を温めるしかありません」


 朔はユズリハに合図を送った。

 ユズリハが持っていた葛籠つづらを開けると、中には白くてふわふわとした、雲のような布製品がぎっしりと詰まっていた。


「これは、くず繭を煮て作った『真綿まわた』を芯にし、起毛させた麻布で包み、さらに『編み物』という新しい技術で仕上げた防寒具です」


 朔は、純白の長い布——『マフラー(襟巻き)』を手に取り、卑弥呼の前に進み出た。


「失礼します」


 朔は卑弥呼の首に、マフラーをふわりと巻き付けた。

 素肌に触れた瞬間、信じられないほどの「軽さ」と、体温を逃さない「温かさ」が卑弥呼を包み込む。


「……っ! なんだこれは、温かい……! それに、羽のように軽いぞ」


 ストーブの前にいてもなお感じる、首元が守られる安心感。

 獣皮のような圧迫感も、麻のゴワつきもない。まるで体温そのものを閉じ込めた空気の層を纏ったようだ。


「これがマフラーです。『首』、『手首』、『足首』の『三つの首』には太い血管が通っています。ここを温めることで、温められた血液がポンプのように全身を巡り、効率よく体温を上げることができるのです。これがあれば、暖房のない場所でも体温を保てます」


 朔は次に、五本の指が分かれた『手袋』をタケヒコに渡した。

 伸縮性のあるメリヤス編みで作られたそれは、タケヒコの手に見事にフィットした。


「おお……指が自由に動く! これなら筆も握れますし、屋外での視察や、兵たちが冷たい武器を握る際にも役立ちましょう」


 タケヒコが感嘆の声を上げる。

 従来のミトン型や、単に布を巻いただけのものでは、細かい作業は不可能だった。しかし、この『手袋』はまるで第二の皮膚のように馴染み、かつ凍える外気を遮断している。


「この手袋とマフラーならば、大掛かりな工事も必要ありません。素材は夏からずっと量産し続けておきましたので、必要なのは、『編み方』の知識だけです」


 朔は熱を込めて語った。


「私は、この編み物の技術を、国中に広めたいのです。夏の衣服をつくっていた者たちが、すでに編み方を習得しています。彼らを師として、まずは宮中の女たちへ、そして里の女たちへと技術を伝えれば……この冬の間に、民一人ひとりに行き渡らせることも可能です」


 その時、部屋の隅でユズリハと共に控えていた若い侍女のひとりが、感極まったようにポロリと涙をこぼした。


 その両手は、冷たい水仕事であかぎれだらけになり、赤く腫れ上がっている。


「……申し訳ございません。陛下のお首元の温かそうな布を見ていたら、つい……冷え切った指先が疼いてしまいまして」


 侍女は慌てて涙を拭ったが、その悲痛な様子は、この国の大多数の民の姿を映し出していた。


 卑弥呼はハッとして彼女の手を見た。


 そしてその侍女の下へ歩くと、自分の首元に巻かれた、雲のように柔らかいマフラーを彼女に巻く。


「……サクよ。そなたは、本当に欲がないな」


 卑弥呼は侍女の肩に手を置くと、朔を振り返った。

 その瞳には、揺るぎない信頼の色が浮かんでいる。


「素材と技術を独占すれば、巨万の富を得られるであろうに。それを惜しげもなく民に配れと申すか」


「民が健康で働けることこそが、国一番の富です」


「……ふふ、よかろう」


 卑弥呼は、高らかに宣言した。


「タケヒコ、直ちに触れを出せ! 宮中の女たちを招集せよ!」


「はっ!」


「サクよ。まかせたぞ。王宮の『床』だけでなく、民の『肌』まで温もりを届けるのだ」


「はい」


 朔とユズリハが深く頭を下げる。



  ◇◆◇◆◇◆◇




 その日から、邪馬台国の宮廷の一角は、巨大な「編み物教室」へと姿を変えた。

 朔が考案した木製の編み棒が大量生産され、衣服の作り手たちが教壇に立った。


 最初は宮中の女性たちから始まったその輪は、やがて都の職人の妻たち、そして近隣の村々の女たちへと広がっていった。


 編み物は、力仕事のできない老人や子供たちにとっても、冬の間の貴重な仕事となった。


 やがて、朝霧の中を行き交う人々は、皆、首元に温かそうなマフラーを巻き、手には不揃いながらも温かい手袋をはめるようになった。


 兵士たちは、手袋のおかげでかじかむことなく槍を握り、夜通しの警備でも凍傷にかかる者が激減した。


 川で洗濯をする女たちは、交代で手袋をして暖を取り、水仕事の辛さを分かち合った。


 ハイポコーストとストーブという「最強の拠点暖房」と、マフラー・手袋という「最強の携帯暖房」。


 この二段構えの革命によって、邪馬台国の冬は、かつてないほど活動的で、笑顔に満ちた季節へと変わっていったのである。

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