表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/135

大陸からの使者 後編


「鶏だと! ククッ、まさか鶏を出してくるとは! おい料理人、お前は無知蒙昧むちもうまいにも程があるぞ!」


 楊修は扇子で朔を指し示し、得意げに語り始めた。


「鶏は、我が国では非常に食べ慣れた食材であることを知らぬのか。我が国で研究し尽くされた食材で、この私を満足させに来るとは、愚かを通り越して、まさに愚の骨頂!」


 彼の嘲笑が広間に響き渡る。

 魏の随員たちも、つられてクスクスと笑う。


 だが、朔は表情一つ変えなかった。

 ただ静かに、自信に満ちた目で楊修を見つめ返した。


「愚の骨頂かどうか……それは、召し上がってからご判断を」


 楊修の笑いが、ふと止まった。

 漂ってきた香りに、気づいたからだ。


 それは、彼の理屈をねじ伏せるような、暴力的なまでの香ばしさだった。


 朔が作った「醤油」が焦げる香ばしさ。

 熱せられたニンニクと生姜の刺激的な芳香。

 そして、鶏の脂が高温の油で爆ぜる、甘美な匂い。


「む……?」


 楊修はその香りに誘われるように、顔を近づけ、そして心底不思議そうに眉根を寄せた。


 彼が知る鶏料理は、蒸すか煮るかで、白くふやけた姿をしている。

 だが目の前のこれはどうだ。


 黄金色の鎧をまとい、荒々しくも美しい。


「……待て。鶏がどうやったら、こうなる?」


 思わず口をついて出た、素朴な疑問だった。


 朔は答えない。


「むう」


 楊修は疑い深く箸を伸ばし、その塊をつまみ上げた。

 そして、毒見をするかのように、端を少しかじった。


 ――カリッ、サクッ!!


 広間中に響き渡るような、軽快な破裂音が、楊修の鼓膜を震わせた。


「……!?」


 次の瞬間、彼の目は驚愕に見開かれた。


(……衣!? なんだ、この軽やかな歯ざわりは!?)


 朔特製の、米粉と小麦粉をブレンドした衣は、油切れが良く、驚くほどにクリスピー。


 だが、真の衝撃はその後に訪れた。

 カリカリの衣を突破した歯が、弾力のある肉に食い込んだ瞬間。


(なにっ!?)

 

 じゅわぁぁぁっと、信じられないほどの熱量と共に、濃厚な肉汁が奔流となって口の中に爆発したのだ。


「……むぐっ!?」


 楊修は思わず手で口を押さえた。

 

 醤油と生姜、ニンニクの強烈なパンチが効いた下味が、肉の繊維一本一本にまで染み渡っている。


 パサパサであるはずの鶏肉が、信じられないほど柔らかく、ジューシーだった。


 噛めば噛むほど、鶏の脂の甘みと、醤油の旨味が溢れ出してくる。


(馬鹿な……これが鶏だと? 旨味の塊ではないか!)


 楊修の箸が止まらない。

 彼は無意識のうちに二つ目の唐揚げを口に放り込んでいた。


「楊修様、次はこちらをつけて」


 朔がすかさず差し出したのは、小さな器に入った、雪のように白く、とろりとしたソース。


 酸味とコクの塊、『弥生マヨネーズ』である。


「ほう。ソースか」


 言われるがままに、熱々の唐揚げにその白いソースをたっぷりとつけて食べた楊修は、「ぬうぅっ!?」と目を大きく見開いた。


「酸っぱい……いや、まろやか!? 待て。脂に脂を重ねて、なぜこんなに美味いのだ!?」


 天才の脳内計算が追いつかない。


 唐揚げの「動物性の脂」と、マヨネーズの「植物性の油」が、酢の酸味によって奇跡的な融合を果たしている。


「これは『料理』ではない……これは、人を堕落させる『魔術』!」


 楊修が叫んだその時、朔がさらに追撃の手を打った。


「喉が渇きましょう」


 ポンッ! という音と共に抜栓されて注がれる、冷え切った黄金色の泡立つ液体。


炭酸麦酒ビール』。


「……泡? 腐っているのか?」


 楊修は恐る恐る、しかし喉の渇きに耐えきれずに、その杯を煽った。


 ――キュゥゥゥッ……!!

 

 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……プハァッ!!


「……さ、さささ、酒だと!?」


 楊修の目が白黒した。


 喉を突き刺す、無数の針のような「炭酸」の刺激。

 そして、脳天まで突き抜けるような、「冷たさ」。


「ど、どうやってこんなに冷やしている!?」

 

 唐揚げとマヨネーズで脂っぽくなった口の中が、麦の香ばしさとホップ代わりの薬草の「爽快な苦味」によって、一瞬にして洗い流されていく。


「くそ、うまいっ!! なんだこれは!!」


 楊修は叫ばずにはいられなかった。


 そして、口の中がリセットされると、また猛烈に、あの脂っこい唐揚げが欲しくなるのだ。


 カリッ、ジュワッ。


 ゴクッ、ゴクッゴクッ。


 カリッ、ジュワッ。


「ば、馬鹿な……止まらん……私の手が、手が勝手に……!?」


 魏の天才軍師が、完全に崩壊していた。

 本能が、彼を支配していた。


 彼は無言で、一心不乱に、鶏をむさぼり食い、マヨネーズを舐めとり、麦酒をごきゅごきゅ飲み干した。




 ◇◆◇◆◇◆◇



 ……やがて。

 皿の上には何も残っていなかった。


 杯も空になり、ただ白い泡の名残が張り付いているだけだった。

 楊修は、呆然と空の皿を見つめていた。


 満腹感と、そして体の芯から震え上がるような戦慄が彼を襲っていた。


(……ありえぬ)


 彼は心の中で、うめくように独白した。


(鶏の価値を逆転させる発想。油と酢を乳化させる化学。そして、水を沸騰させるのではなく、冷やし、かつ泡立たせる技術……)


 彼はちらりと朔を見た。

 この料理人は、ただの料理人ではない。


(魏の宮廷料理人どころか、知識人たちを集めても、この発想にはたどり着けぬ。……いや、これはもはや料理ではない。『国力』だ)


 食糧を保存し、美味しく加工し、兵の士気を爆発的に高める技術。

 もし、この技術が軍事転用されれば?


(恐ろしい……。この東の果てに、これほどの『怪物』が潜んでいようとは……!)


 楊修は顔を青くし、バッと立ち上がった。


 そして、悔し紛れに扇子を開き、顔を隠した。

 その手は、恐怖と興奮で小刻みに震えていた。


「……ふん。……珍しいだけの味だ」


 彼は決して「美味い」とは言わなかった。

 だが、その声の震えは隠せなかった。


「だが、まあ……泥を啜るよりは、幾分かマシだったと、認めてやらんこともない」


 精一杯の虚勢だった。

 楊修は、懐から大切そうに包まれた袋を取り出し、テーブルに放り投げた。


「代金だ! タダ飯を食ったとあっては、魏の名折れ!」


 それはなんと、西域の商人から買い付けた、貴重な『黒胡椒』であった。


 それを全て置いていくあたりに、彼の完敗の弁が込められていた。


「勘違いするなよ! これは手切れ金だ! 二度と来るものか! いや、もう一回くらい来るかも」


 楊修はそう叫ぶと、逃げるように踵を返した。

 そして去り際、入り口で一度だけ振り返り、朔を睨みつけた。


「……おい料理人! その鶏の製法、後で詳細に書状にして送れ! ……軍の兵糧として検討してやるだけだ! あくまで仕事だ、勘違いするな!」


 その時。

 凛とした、しかし絶対的な冷徹さを帯びた声が、広間に響き渡った。


「――ならぬ」


 楊修の足が止まった。


 ギクリとして彼が振り返ると、そこには御簾みすを上げ、扇を下げて素顔を晒した卑弥呼が、底冷えのするような冷ややかな瞳で、彼を見下ろしていた。


 通訳が震えながら、女王の言葉を訳した。


「製法など、送らぬ」


「な……なに!?」


 楊修は色めき立った。


「魏に楯突く気か! たかが料理の作り方ひとつ……!」


「たかが、ではない」


 卑弥呼は、玉座からゆっくりと立ち上がり、毅然と言い放った。


なんじは申したな。この国の民は『泥を啜る』と。……ならば、泥の作り方など知る必要はあるまい」


「……っ!?」


 楊修は言葉を詰まらせた。

 自らが吐いた暴言が、鋭い刃となって喉元に突きつけられたのだ。


「これは我が国の叡智えいち。我が国の民を豊かにするための宝。……礼節を知らぬ無粋者にくれてやるほど、安くはない」


 卑弥呼は、楊修の目を真っ直ぐに見据え、尊大に言い放った。


「致し方あるまい。……どうしても欲しくば、出直してくるが良い。泥ではなく『宝』を乞う者としての礼を尽くしてな」


「………」


 ぐうの音も出なかった。


 論理、礼儀、そして品格。

 そのすべてにおいて、楊修は完全に敗北したのだ。


(……くっ、おのれ……!)


 楊修は歯噛みした。


 だが、言い返す言葉は見つからなかった。

 彼は顔を真っ赤にして、逃げるように広間を飛び出した。


 ドカドカと足音を立てて去っていく「魏の天才」の背中。


 その胸中には、朔への恐怖に加え、この国を統べる女王の「底知れなさ」への戦慄が刻み込まれていた。


(報告せねばならん……! 曹操公に、直ちに! 東の海に、魏の知恵を遥かに凌駕する『鬼才』あり。そして、それを従える『魔性の女王』あり、と……!)


 楊修は足早に船へと向かった。


 その足取りは、来た時の傲慢なものではなく、未知なる強大な文明と、それを統べる王の威厳に触れた者の、畏怖と焦燥に満ちたものだった。


 後に残された朔とタケヒコ、そして卑弥呼は、そんな彼の内心など知るよしもなく、ただ勝者の静かな喜びに浸っていた。


 しばらくの静寂の後、卑弥呼が小さく、しかし楽しそうに、その美しい唇を綻ばせた。


「……勝ったな、サク」


「はい」


 朔は手に入れた黒胡椒を愛おしそうに拾い上げ、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


 その顔には、勝利の確信と、新たな食材へのあくなき探求心が輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ