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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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大陸からの使者 前編

 

 空はどこまでも高く、蒼く澄み渡っていた。


 夏の名残を完全に消し去るような、乾いた冷たい秋風が、玄界灘の海面を白くさざめかせている。


 その日、邪馬台国の都・山門やまとは、開闢かいびゃく以来とも言える異様な緊張感に包まれていた。


 秋も深まり、収穫祭の準備が始まろうとしていた頃、西の海、対馬と壱岐を経由して、一隻の巨大な黒い船がその威容を現したのだ。


 それは倭国の人々が見慣れた、一本の大木をくり抜いた丸木舟や板を合わせただけの頼りない小型船ではなかった。


 堅牢な構造を持ち、複数の帆を操り、波濤をものともせずに進む、文明のレベルの違いをまざまざと見せつけるような、高度な造船技術の粋を集めた楼船ろうせんだった。


 その船のマストに高々と掲げられていたのは、「魏」の旗印。


 船が巨大すぎて桟橋を使えず、小舟に乗り換え、倭の土地に降り立った男は随員の数こそ少なかったが、その身に纏う絹の衣服の輝きも、そしてその身から発する鋭利な空気も、これまでに渡来したどの使者とも、まるで格が違っていた。


 男の名は、楊修ようしゅう

 あざなを徳祖とくそという。


 英雄・曹操の主簿(秘書官)を務める男である。


 その才知は「天下の奇才」と称えられるほど鋭く、書画、軍略、政治に至るまで万能の才を見せた。


 しかしあまりに頭が切れすぎるゆえに、主君にすら口に出してしまう悪癖があり、その傲慢不遜な性格は、周囲から畏怖と反感を同時に買っていた。


 そんな男が何の前触れもなく、この東の果ての島国に自ら足を運んできた理由は、実は崇高な外交任務などではない。


 曹操の意図を不用意に読みすぎたことで不興を買い、事実上の左遷として、辺境の調査を命じられたに過ぎない。


 だが、楊修のプライドはそれを認めず、「未開の地の視察」と称して、尊大な態度でこの地に降り立ったのである。


 その報せは風よりも速く、女王・卑弥呼と、宰相タケヒコの元へと届けられた。



 ◇◆◇◆◇◆◇




 謁見の間。


 そこは、かつては質素な板張りの広間であったが、今は朔の技術改革によって様変わりしていた。


 楊修ようしゅうは、扇子で口元を隠しながら、ふん、と鼻を鳴らして足を踏み入れた。


 あんなおもちゃのような桟橋の国である。

 どうせ王の間も、薄汚れた板張りか、踏めば土埃が舞うような土間であろう……。


 そう高を括って、視線を足元に落とした瞬間――。


「……ッ!?」


 楊修の足が、ピタリと止まった。

 扇子を持つ手が、わずかに強張る。


 彼の視界に広がっていたのは、泥でも、板でも、薄汚れたレンガでもない。


 窓から差し込む光を反射し、水面のように艶やかに輝く、白亜の「床」だった。


(……なんだ、これは?)


 彼は思わず、その場にかがみ込みそうになるのを、必死の理性でこらえた。


 魏の都・許昌きょしょうの宮殿においてすら、床といえば「せん」と呼ばれる、灰色で素焼きの敷き瓦だ。

 それは表面がザラつき、水を吸い、冬には氷のように冷たくなる。


 だが、これはどうだ。


 継ぎ目は髪の毛一本入らぬほどの精度で埋められ、表面はガラスのように滑らかで、白く透き通っている。


(馬鹿な……。これは……『磁器』)


 楊修の背筋に、冷たいものが走った。

 この滑らかな光沢は、宮廷で酒器や茶器として使われる、最高級の器に施される「釉薬うわぐすり」の輝きだ。


 それを、床に?


 あろうことか、土足で踏み歩く床一面に、宝石のような磁器を敷き詰めているというのか?


 そのあまりの財力、いや、技術力の無駄遣いに、楊修は目眩すら覚えた。


 さらに、異変はそれだけではなかった。

 カツ、カツ、と彼が底の厚い靴でそのタイルを踏みしめた時だ。


 楊修は違和感を感じて屈み込み、そのタイルに手を当てる。


「……ぬ、温かい?」


 今は晩秋。外気は肌寒さを増している。

 通常、石や陶器の床といえば、触れれば体温を奪うほど冷たいはずだ。


 だのに、この床はまるで春の陽だまりのように、じんわりと温かい熱を帯びている。


 火鉢ひとつないこの広大な空間が、なぜこれほどまでに暖かいのか。


 楊修は、額に滲む冷や汗を扇子で隠しながら、通訳に短く問いかけた。

 そして、侍女を通してその答えを聞くと、引きつった笑みを浮かべた。


「なるほど。床下に煙道を通しているのか。……北方の寒い田舎で使われる『オンドル』の真似事か。……しかし、オンドルはすすで汚れるものだが……」


 彼はもう一度、塵一つ落ちていない、鏡のような白い床を見た。


 汚れは染み込まず、拭けば一瞬で落ちる衛生的な床。


(小知恵ではない……。これは、文明の次元が違う……)


 楊修は自らの足が震えそうになるのを、精一杯の虚勢で抑え込んだ。


 認めるわけにはいかない。

 ここは未開の地だ。


 泥を啜る野蛮人の国だ。

 たまたま、美しい石が取れただけに違いない。


「……ふん。未開の地にしては、小賢しい真似をする」


 彼はそう吐き捨てたが、その声には、先ほどまでの絶対的な余裕は失われていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 御簾みすの向こう、玉座に座す卑弥呼に対して、彼は立ったままわずかに首を傾けただけの礼をした。


「魏の主簿、楊修ようしゅうである。我が主・曹操公の名代として、この島の文明のほどを査定しに参った」


 通訳が緊張した声でそれを伝える。

 楊修の視線は、卑弥呼を、そして隣に控えるタケヒコを、まるで路傍の石でも見るかのように冷徹に値踏みしていた。


「単刀直入に言おう。我が中原において、東の島国の生活は、『泥をすすり、獣のように穴に住む』と言われている」


 タケヒコが、その無礼な物言いに、カッと顔を赤らめた。


「それはあまりな言い草ではないか」


 楊修はタケヒコの怒りなど意に介さず、パチリと扇子を閉じた。


「事実を申したまでだ。……よいか。国の文化とは、即ち『食』に現れる。この私の舌を満足させる料理が出てくるとは到底思えぬが、もし万が一、私の予想を裏切り、食文化と呼べるものが提示されれば、報告書に『見るべきところあり』と記してやってもよい」


 それは外交などではない。

 単なる天才の気まぐれな暇つぶしであり、一方的な品定めだった。


 卑弥呼は玉座の上で、神託の面のように無表情を貫いていたが、その袖の中で握りしめられた拳は、怒りで小さく震えていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 その日の夕刻。

 宮殿の広間は、楊修による一方的な「公開処刑」の場と化していた。


 魏の使者を黙らせるべく、卑弥呼の号令一下、邪馬台国が誇る「宮廷十五料理人衆」が招集されたのだ。


 彼らは、朔が現れる以前からこの国の食を支えてきた、選りすぐりの精鋭たちである。


 彼らはそれぞれの威信をかけ、あるいは山海の珍味を、あるいは伝統の技を尽くした皿を、次々と楊修の前に運んだ。


 だが、その結果はあまりに惨憺たるものだった。

 まず、序列十五位から十位までの料理人が、自信満々に「海鮮の塩焼き」を運んだ。


 島国ならではの、獲れたての鮮度を誇る品々だ。


 しかし、楊修はそれを一瞥しただけで、扇子で鼻を覆った。


「……野蛮だ」


 彼は箸をつけようともしない。


「貴様らは、魚をただ焼いて並べれば料理だと思っているのか? 大陸では『なます』を作る際にも、細心の注意を払い、絶妙な調味液に浸して臭みを消し、殺菌を行う。これは料理ではない。ただの魚の死骸焼きだ」


 次に、中堅の料理人たちが、狩りで仕留めたばかりの「猪や鹿の香草焼き」を、勇壮に担ぎ込んだ。


 脂が滴り、炭火の香ばしい匂いが漂う。


 だが、楊修は顔をしかめ、あからさまに不快感を露わにした。


「臭い! 鼻が曲がりそうだ!」


 通訳が恐る恐るその言葉を伝える。


「獣肉を食すならば、なぜ香辛料を使わぬ? 血抜きも甘い。表面は焦げているが、中は生焼けで血の匂いがする。……貴様らは、獣の悪臭を『風味』と勘違いしているのではないか? これでは、魏の軍犬でも食わぬぞ」


 最後に、オシヒト含む料理人衆の筆頭格が、木の実と山菜を煮込んだ「伝統のあつもの」や、すり潰した魚を固めた「練り物」を、恭しく差し出した。


 それは、長年卑弥呼の食卓を支えてきた、優しく滋味深い味わいのはずだった。


 楊修は初めて箸を取り、汁を少しだけ啜り、練り物を一口齧った。


 広間に緊張が走る。


 ――ペッ。

 楊修は、無情にもそれを床の壺に吐き出した。


「……味が、しない」


 その一言は、罵倒よりも深く、料理人たちの心を抉った。


「ただ素材を湯で煮ただけ。塩味が粗雑で、素材同士の調和がない。貴様らには『出汁』という概念も、深みも理解できておらんのか? ……呆れた。これは『白湯さゆ』に草を入れたのと変わらん」


 十四人の料理人たちは、顔面蒼白となった。


 彼らが人生をかけて磨いてきた技術が、大陸の圧倒的な食文化の前に、「未開の如き行い」として全否定されたのだ。


「ふん……やはりな。文化の差はいかんともし難い」


 楊修は、懐から自身が持ち込んだ干し肉を取り出し、齧った。


 そこには、八角や丁字クローブといった、この国にはない香辛料の複雑で高貴な香りが漂っていた。


「時間の無駄だったか。……おい通訳、船に戻るぞ。これ以上ここにいても、腹が減るだけだ」


 楊修が席を立ち、踵を返そうとした、その時だった。


「――お待たせいたしました」


 静かだが、よく通る声が、絶望に沈んだ空気を切り裂いた。


 序列第一位の朔が、湯気を立てる鉄の盆を捧げ持ち、特別侍女ユズリハと共にその姿を現した。


 朔は静かに盆を楊修の前に置いた。

 そこに乗っていたのは、ゴツゴツとした、黒褐色の揚げ物の山だった。


 楊修はそれを見て、あからさまに顔をしかめた。


「……なんだそれは。黒焦げの石か? それとも泥団子か?」


「『鶏』でございます」


 朔が静かに答えると、楊修は、ハッとして目を見開き、そして腹を抱えて笑い出した。


「鶏だと! ククッ、まさか鶏を出してくるとは! おい料理人、お前の無知蒙昧むちもうまいにも程があるぞ!」


 楊修は扇子で朔を指し示し、得意げに語り始めた。


「鶏は、我が国では非常に食べ慣れた食材であることを知らぬのか。我が国で研究し尽くされた食材で、この私を満足させに来るとは、愚かを通り越して、まさに愚の骨頂!」


 彼の嘲笑が広間に響き渡る。

 魏の随員たちも、つられてクスクスと笑う。



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