表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/135

温かき白磁の床


 邪馬台国やまたいこくの秋は短く、早くも冬の足音が静かに近づいてくる。


 玄界灘げんかいなだから吹き付ける湿った北風は、衣服の隙間から容赦なく入り込み、人々の体温を奪っていく。


 王宮とて例外ではない。

 むしろ、風通しを良く作られた高床式の宮殿は床の隙間から涼風が入り、晩秋にもなると冷え込むのだ。


 ある朝のこと。

 サクは、朝餉あさげの支度のために厨房へ向かう途中、渡り廊下でふと足を止めた。


 向こうから、数人の侍女を従え、卑弥呼が歩いてくるのが見えたからだ。


 朝の政務へ向かうところだろう。

 朔は端に寄り、深く頭を下げる。


 そばにいたユズリハもまた、無言で膝をついた。


「おはようございます、陛下」


 卑弥呼は足を止めず、わずかに顎を引いて挨拶を返す。


 だがその時、朔は見てしまった。

 卑弥呼の歩みが、どこかぎこちないことに。


 そして、板張りの床を踏みしめる彼女の足の指先が、痛々しいほど赤く腫れ上がり、白く変色しているのを。


 (……しもやけだ)


  朔の眉間に皺が寄る。


 卑弥呼の行列が通り過ぎ、その姿が見えなくなると、朔は立ち上がりながら背後のユズリハに声をかけた。


 「ユズリハ。……気づいていたか?」


 「……はい」


 ユズリハは短く答えた。

 その声はいつも通り冷静だったが、わずかに沈痛な響きが含まれていた。


「陛下のおみ足……。赤く腫れ上がり、お歩きになるのも辛そうであらせられます」


 この時代の履物は草履か、せいぜい鹿革の靴だ。

 王宮の床は、格式こそあれど、冷たい木の板か、踏み固められた冷厳な土間である。


 特に卑弥呼の私室や湯殿は、湿気がこもりやすく、底冷えが酷いと聞いていた。


「見ていられないな。……タケヒコ様は何と?」


「あの方も心を痛めている。夜具を増やし、火鉢を置くよう手配なさったが、床からの冷気だけはどうにも……」


 ユズリハが悔しげに唇を噛む。


「毛皮を敷けば少しはマシになるが、湯殿では毛皮は使えないしな」


 朔は腕を組み、虚空を見つめた。

 彼の脳裏に、現代の知識と、この世界で手に入る素材の地図が広がる。

 北部九州の山々には、良質な陶石やカオリン(粘土鉱物)が眠っている。


 そして、彼の『クラフト』能力があれば、登り窯で数日かかる焼成工程も、時間はかからない。


「……よし、やるか」


「サク? 何をするつもりだ」


 突然顔を上げた朔に、ユズリハが怪訝そうな顔をする。


「ユズリハ、タケヒコ様のところへ行くぞ。卑弥呼様の部屋と湯殿を、この国で一番暖かい場所に変える」


「部屋を、変える?」


「ああ。火鉢なんかじゃ追いつかない。床そのものを、春の日差しに変えてやるさ」




 ◇◆◇◆◇◆◇




 その日の午後、朔はタケヒコを捕まえ、多少強引になったものの、許可を取り付けた。


「床を……張り替える? 姉上の私室と湯殿をか?」


 タケヒコは目を丸くし、困惑の表情を浮かべた。


「謁見の間もさせてください。今のままでは、陛下のおみ足が限界です。しもやけは悪化すれば歩行も困難になります」


「それは……私も案じてはいた。だが、どうやって?」


「任せてください。三日。三日だけ、陛下を別の部屋にお移しいただければ、劇的に改善してみせます」


「三日で!? ……サク殿、貴殿の料理の腕は信じているが、大工仕事までできるのか?」


「大工仕事ではありませんが、なんとかします」


 許可を得た朔は、すぐさま行動を開始した。

 工房に大量の白土と、長石、珪石けいせきを運び込ませる。


 そこへ、かまどの番をしていたアカネが、煤けた顔で覗き込んできた。


「なによこれ。いきなり大量の土なんか持ち込んで」


「『タイル』を作ろうと思ってな」


 通常なら、乾燥させ、素焼きし、釉薬ゆうやくをかけ、さらに本焼きするという長い工程が必要だ。


 だが朔の『クラフト』は素材の時間を圧縮する。

 

 そこに現れたのは、透き通るような白さを持つ、硬質で滑らかな陶板だった。

 表面にはガラス質の釉薬が輝き、まるで真珠を薄く切り出したかのようだ。


「き、きれい……! 何これ、宝石?」


 アカネが思わず手を伸ばす。

 ユズリハもまた、その美しさに目を奪われていた。


「『白磁はくじのタイル』だ。水を通さず、汚れもつかない。カビも生えないし、何より熱をよく伝える」


「熱を?」


「ああ。これだけじゃただの冷たい石だ。だが、仕掛けはこの下につくる」


 朔は次々と白いタイルを量産していく。


 その枚数は数百枚に及んだ。

 次に彼が作ったのは、赤レンガのような中空のブロックと、太い土管だった。


「行くぞアカネ、ユズリハ。ここからが体力勝負だ」




 ◇◆◇◆◇◆◇




 卑弥呼が仮の宿所に移った隙を突き、朔は王宮の『謁見の間』、卑弥呼の『私室』と『湯殿』の床をすべて剥がした(クラフト能力)。


 タケヒコが見たら卒倒しそうな光景だが、朔には迷いがない。

 彼は床下の土を掘り下げ、そこにレンガを並べて「煙の通り道」を作った。


 古代ローマの「地下煙突ハイポコースト」と同じ原理だ。

 建物の外に焚き口を作り、そこで薪を燃やす。


 発生した熱気と煙を床下に引き込み、床全体を暖めてから、反対側の煙突へ逃がす仕組みである。


「なるほど……。火を直接部屋に入れないから、煙たくないってわけね」


 手伝わされているアカネが、感心したように頷く。


「その通り。そして、この熱の通り道の上に、さっきのタイルを敷く」


 朔はモルタル(石灰と火山灰で作った簡易セメント)を使い、白磁のタイルを隙間なく、幾何学模様を描くように敷き詰めていった。


 殺風景だった木の床が、瞬く間に白く輝く神殿のような空間へと生まれ変わっていく。


 湯殿も同様だ。

 腐りかけていた木の簀子すのこを撤去し、壁の下半分までタイルで覆った。


 これなら湯がかかっても木が腐ることはない。

 最後に、目地を丁寧に埋め、表面を磨き上げる。


 窓ガラスも嵌めると、そこから差し込む冬の陽光が、白い床に反射し、部屋全体を柔らかい光で満たした。


「……すごい。なんか、ここだけ天国みたい」


 アカネがため息をつく。


 ユズリハも、黙ってその美しい床を見つめていたが、そっと手を触れて確かめていた。


 朔は額の汗を拭い、満足げに笑った。


「よし、一日早いが、明日から使ってもらっていいだろう。外の釜に火を入れろ。弱火でじっくり、床全体を温めるんだ」



◇◆◇◆◇◆◇



 約束より一日早い、二日後。

  

 タケヒコに連れられ、卑弥呼が自室へと戻ってきた。

 案内するタケヒコは、気が気でない様子だ。


「姉上、その……サク殿が言うには、劇的に変わったとのことですが……もしお気に召さなければ、すぐに元の板張りに戻させますゆえ」


「よい。あやつのすることだ。悪いようにはせぬだろう」


 卑弥呼は静かに言い、私室の扉を開けた。

  

 その瞬間。

 ふわり、と。


 春の野原に立ったような、柔らかな空気が彼女を包み込んだ。


「………!」


 卑弥呼の目が大きく見開かれる。

 

 目の前に広がるのは、見たこともない白亜の世界。

 真珠のように輝く床が、部屋の隅々まで敷き詰められている。


「……おお……」


 だが彼女を何より驚かせたのは、その「温度」だった。

 火鉢もないのに、部屋全体が暖かい。

 

 いや、熱源はどこかにある。それは……。

 

「陛下。どうぞ、お履き物を脱いで、その上へ」


 部屋の隅に控えていた朔が、恭しく促した。


 卑弥呼は逡巡した後、ゆっくりと鹿革の靴を脱ぎ、恐る恐るその白く輝く床に、凍えた素足を下ろした。


 ひやり、とするはずだった。

 石のように硬く、氷のように冷たい感触を予想していた。


 だが。


「……あ……」


 卑弥呼の口から、吐息のような声が漏れた。

 温かい。

 じんわりと、優しく、慈愛に満ちた熱が、足の裏から伝わってくる。


 それは火で炙ったような激しい熱さではない。

 日向で温まった石の上に立ったような、自然で、心地よい温もり。


 痛む足先を、優しく包み込んでくれるような感覚。


「……サクよ、これは……夢か?」


 卑弥呼は一歩、また一歩と、確かめるように歩を進めた。

 どこを歩いても、その温もりは途切れない。

 冷たい板の隙間から忍び込む風もない。


「夢ではありません。床の下に、熱の通り道を作りました。この陶器のタイルは、その熱を蓄え、部屋全体に優しく放つのです」


「陶器……。これが、土を焼いたものだと申すか?」


 卑弥呼はその場に両膝をつき、滑らかなタイルの表面を指先で撫でた。

 塵一つない、ツルツルとした感触。


「美しい……。まるで、月の光を固めて敷き詰めたよう」


 彼女の頬が、部屋の温かさと高揚感で、ほんのりと薔薇色に染まる。


「謁見の間と、湯殿も同様にしてあります。もう、震えながら湯を浴びる必要はありません。壁も床も、全てこの温かい石で覆いました」


「湯殿まで……」


 卑弥呼は立ち上がると、朔を振り返った。

 その瞳には、かつてないほどの強い光が宿っていた。

 

「サクよ……この部屋にいると、冬であることを忘れてしまいそうだ」


 彼女の声は、王としての威厳を保ちつつも、一人の女性としての深い感謝に震えていた。


「この温もりは、何物にも代えがたい。……礼を言うぞ」


「もったいないお言葉です。……衛生面でも、この床は水拭きだけで清潔を保てます。きっと喜んでもらえると思います」


 朔が淡々と、しかし力強く答えると、卑弥呼はふふ、と笑みをこぼした。


「そなたはいつも理屈を並べるな。だが……その理屈ごときで、私のしもやけが治るなら、安いものだ」


「姉上の痛々しい足を、もはや見ずに済むのですな……」


 その様子を見ていたタケヒコが、袖で目頭を押さえている。


 ユズリハがそっとハンカチを差し出す。

 彼女の表情も、いつもより随分と柔らかい。


「すごいじゃない、サク。女王様、あんな顔するのね」


 アカネが小声で囁く。


「よかったな。アカネも手伝ってくれてありがとう」


「な、なによ急に。そんなんじゃないわ」


 まっすぐにお礼を言われて、アカネが顔を赤くした。


 その夜、卑弥呼は久しぶりに深く、安らかな眠りについたという。

 翌朝、タケヒコが血相を変えて朔の元へやってきたのは、また別の話だ。


「サク殿! 姉上が『この床を王宮中に敷き詰めよ』とおっしゃっている! あんな高価そうなものを全部屋になど、国庫が破綻してしまう! なんとか言ってくれ!」


「……まあ、そうなるよな」


 朔は苦笑し、次なる一手――コンクリートや、より安価な素材の開発――を考え始めるのだった。


 白磁の床は、邪馬台国に初めてもたらされた、文明という名の「春」であった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ