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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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面土国の王女5



 ギイイイッ……ゴトン!!


 背後で、高床倉庫の、あの重い扉が、乱暴に開け放たれる音がした。


 二人が驚いて振り返ると、そこには衛兵の長であるハヤトが、数人の部下を引き連れて冷たい視線で立っていた。


「ふん。あの時の王女様か。こんなところにいたのか」


 牢の中のトキハを一瞥いちべつすると、視線を男の方に移した。

 そしてまるで道具を片付けるかのように、部下たちにあごで命じる。


「男の方を連れて行け」


 ハヤトの声は、何の感情も含まない平坦なものだった。


「ぐっ……!」


 数人の兵によって、サクが牢から連れ出される。


 その様子を嘲るように見ながら、ハヤトはまるでつまらない独り言でも漏らすかのように吐き捨てた。


「こいつはもう、ここに戻ることはないだろう」


 その冷酷な一言が、トキハの耳に突き刺さる。


「えっ」


(……戻ることは、ない……?)


 彼女の頭の中で、最悪の想像が一瞬で駆け巡った。


 ――殺される?


 サクが、兵士たちに無様に引きずられていく。

 その抵抗もできずに連行される姿が、トキハの胸を引き裂く。


 トキハは牢の格子を掴んで、大声で叫んだ。


「――絶対に喋るなよ!!」


 トキハの悲痛な叫びが、高床倉庫の中に木霊した。


「どんなに拷問されても、何も話すな! いいなサク! そうすればまた戻ってこられるから!」


 サクは引きずられながら、一度だけ、トキハの方を見た。


「サク! 待ってるから――!」


 ギィィィ……バタン!!


 扉が無情にも閉ざされ、倉庫の中は、再びトキハ一人の絶望に包まれた。


「……ふん。実に滑稽だな」


 冷たい声がした。


 はっと顔を上げると、立ち去ったはずのハヤトが、一人で牢の前に戻ってきていた。


 彼は格子の外から、まるで、あわれな獣でも見るかのように、トキハを見下ろしていた。


「『待ってるから』、か。くくく……随分とあの囚人にご執心だったと見える。なぁ、王女殿?」


「……黙れ。下衆げすが」


「あぁ、そういえば」


 彼はまるで、今思い出したかのように続けた。


「お前は我ら邪馬台国を、随分と憎んでいるようであったな。俺達が、お前の国に海賊行為をしていると勘違いしていないか?」


「……勘違いだと?」


 トキハは憎悪に満ちた目で、ハヤトを睨みつけた。


「ふざけるな! 私の村はお前たちに焼かれた! 私の仲間はお前たちに殺されたのだ! この目で証拠も見た!」


「証拠、だと?」


 ハヤトは初めて、心底面白そうな表情を浮かべた。


「……これだ!」


 トキハは懐から、あの布を取り出した。

 血に汚れ、焼け焦げた、ぼろぼろの「旗印」の切れ端だった。


「これはあの日、襲撃者の長が、鎧につけていたものだ! 邪馬台国の旗印! これでもしらを切るか!」


 彼女はそれを、格子の隙間からハヤトの足元へと叩きつけた。

 ハヤトはその汚れた布切れを、槍の穂先で無造作に拾い上げた。


 そして、それを差し込む光にかざして見る。


 そこには確かに、何かの紋様が赤黒く染み付いていた。


 だがそれを見たハヤトは、表情一つ変えずに、ただ静かに首を横に振った。


「本当に、何も知らぬのだな」


「何だと……!?」


「哀れなことだ。……まあ良い機会だ、俺が教えてやろう。我ら邪馬台国の旗印は、天照あまてら日輪にちりんと、八咫烏やたがらす。……だが、この旗に描かれているのは、鳥ではない」


 ハヤトはその布切れを、トキハの目の前に突きつけた。


「よく見ろ。これは、『へび』だ。とぐろを巻いた、毒蛇。……これは、我らの旗ではない」


「……蛇……?」


 トキハは目を凝らす。

 たしかにそこには、ヘビらしきものが描かれている。


「……では、これは……?」


狗奴国くなこくだ」


 ハヤトは冷たく言い放った。


「南の蛮族、蛇王クガミが率いる、狗奴国の旗印よ。……我ら邪馬台国の宿敵であり、そして恐らくはお前の真のかたきでもある」


「……く、な……こく……?」


 トキハの頭が、真っ白になった。

 狗奴国。


 あの、南の野蛮な山の民。

 だ、だとしたら。


「嘘だ……! お前たちの策略だ! 私を惑わすための……!」


「惑わす?」


 ハヤトは心底馬鹿にしたように、鼻で笑った。


「なぜ、俺が捕虜のお前に嘘をつかねばならん? お前はいつ処断してもいい、どうでも良い存在なのだぞ?」


 彼はその旗切れを牢の中に無造作に、放り投げた。


「……哀れな王女よ。お前のその大層な復讐は、ただ山を間違えていただけのこと。我らを攻撃すればするほど、ほくそ笑んでいたのは、お前の真の敵、狗奴国の蛇王だったというわけだ」


 ハヤトは、もう彼女に何の興味も失せたようだった。


「実につまらぬ人生だな、王女殿」


 ギィィィ……バタン!!


 再び重い扉が閉ざされ、かんぬきがかけられる。


 後に残されたのは、静寂。

 そしてその静寂の中に、床に落ちた、一枚のぼろぼろの旗切れ。

 トキハは、震える手でそれを拾い上げた。


 蛇。

 確かに、蛇だ。

 あの日の炎と、煙と血の匂い。


 その中で確かに見た、あの忌まわしい紋様。


 ……違う……。

 ……私が、憎んでいたのは……。

 ……私が、この命を懸けて、戦ってきたのは……。


 全て、間違いだったなんて。


 国を焼かれた憎悪も、仲間を失った悲しみも、この国に捕らえられた屈辱も。


 その全ての前提が、今、足元から崩れ落ちた。


「……あ……」


 彼女の口から、乾いた、空気の漏れるような音がした。


「…あ…ああ……ああああああああっ!!」


 トキハはその場で床に突っ伏し、ただ声を殺して泣き続けた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 あの日、衛兵の長ハヤトが残酷な真実を突きつけて去ってから、5日が過ぎた。

 高床倉庫の牢は、再び冷たい静寂に包まれていた。


 だがその静寂は、以前の憎悪に満ちた張り詰めたものとは全く異なっていた。

 それは全てを失い、燃え尽きた後の空虚な静けさだった。


 トキハは、もう叫ばなかった。

 泣きもしなかった。


 ただ牢の片隅で膝を抱え、壁に刻まれた意味のない傷跡を虚ろな目で見つめ続けていた。


 自分の誇り高き戦いは、ただの滑稽こっけいな道化芝居だった。

 あの忌まわしき狗奴国くなこくの王を、喜ばせていただけだった。


 食事は毎日、時間通りに運ばれてくる。

 

 隣にあの男が戻って来ることはなかったが、彼女は生きるために、ただそれを砂を噛むように口に運んだ。


 思えば、あの男がいなければ自分はとうに死んでいたことだろう。


 狗奴国が真の敵であることも知らず、愚かな誤解をしたまま、愚かな誇りを胸に、餓死という愚かな選択肢を選んでいた。


 そうしなかったことだけが、今の自分にとって、唯一の救いだった。


 彼とともに下した、一番重大な判断だけは、正しい方を選んだのだ。

 

 おかげで自分は生きている。

 だからこそ、正すことができる。


 そう、過去の過ちなど正せばいいのだ。



 ――実につまらぬ人生だな、王女殿。



「お前に決めてもらう必要など、ない」


 向き直って、すべてをやり直す。

 私の人生の価値は、私が決めるのだ。


(サク……)


 ――会いたい。

 ――彼と話したい。


 一度、自覚してしまったその渇望は、日増しに強くなっていった。


「おい」


 彼女は食事を運んできた衛兵に、かすれた声で尋ねた。


「……あの男は、どうした。無策のサク。私の隣りにいた囚人だ」


「……さあな」


「殺したのか」


 トキハの問いかけを無視し、衛兵は興味なさそうに去っていった。


 トキハの胸が、冷たくなる。

 次の日も、彼女は別の衛兵に尋ねた。


「おい。あの男はどうした。隣りにいた男だ」


「……知らぬ」


「生きているんだろうな!」


 彼女は、来る日も来る日も衛兵に叫び続けた。

 だが衛兵たちは、彼女を気が触れた女として、冷ややかにあしらうだけだった。


 外では秋の木枯らしが吹き始め、牢の中にもその冷たい風が隙間から忍び込んでくる。


 寒さが彼女の孤独と不安をさらに募らせた。


 トキハは認めるしかなかった。

 サクは殺されてしまったのだ、と。


「喋るなって……言ったのに……」


 トキハの心は大きな支えを失い、今にも折れそうだった。


 だが、生きなければという思いは強く在った。

 あの男が助けてくれた命なのだ。


 さらに三日が過ぎた、風の強い夜。

 重い扉が、いつもとは違う時刻に開かれた。


 梯子はしごを登ってきたのは兵ではなかった。


 月明かりを背に受け、その姿を影絵のように浮かび上がらせたのは、この国の宰相タケヒコだった。


「久しいな、面土国めんどこくの王女よ」


 タケヒコは牢の前に立つと、王女を見て、ほう、という顔をした。


「ふむ。どうやら誤解は解けたようだな」


 トキハは、ゆっくりと顔を上げた。

 その目にはもう憎悪の炎はない。


 ただ全てを諦めたような、冷たい静けさだけがあった。


「そなたの真の敵が、狗奴国くなこくであることも理解したであろう。そなたが我らを攻撃していた間に、奴らは南で着々とその毒牙を研いでいたのだ」


 トキハはその言葉にただ黙って頷いた。

 タケヒコはその反応に満足したのか、本題を切り出した。


「……そなたを、国に帰そうと思う」


 トキハが、はっとする。


「代わりにひとつ、条件を飲んでもらいたい」


 タケヒコはその目に、為政者としての鋭い光を宿した。


「国に戻り、面土国の王に伝えてほしい。真の敵は狗奴国である、と。そして、邪馬台国は手を取り合うべき相手である、と」


「……タケヒコ殿」


 彼女は牢の格子こうし越しに、まっすぐにタケヒコの目を見つめ返した。


「私をここから解き放ってくれるというのなら、言われずともそうしよう」


 彼女の声には、もはや捕虜としての弱々しさはなかった。

 それは王女としての誇りを取り戻した、凛とした響きを持っていた。


 タケヒコはしばし黙って目の前の王女を見つめていたが、やがてその口元に満足げな笑みを浮かべた。


「よかろう。その言葉、信じさせてもらうぞ、トキハ殿」


 彼は初めて、彼女を一人の交渉相手としてその名で呼んだ。


「明日、出立の支度をさせる」


 タケヒコはそう言い残し、きびすを返した。


「待て」


 トキハが、タケヒコを呼び止める。


「最後に、一つだけ聞かせてほしい」


 タケヒコが、足を止める。


「……あの男はどうなった。彼は……無事なのか」


「あの男?」


 タケヒコは振り返らずに、肩越しに答えた。


「サクだ。隣りにいた囚人だ」


「………」


 タケヒコは、誰かわかったようだった。

 だが振り返らない。


「死んだのか」


「………」


「死んだのかと聞いている!」


 トキハはぽろぽろと涙を流しながら、その背中に向かって大声で叫んだ。

 タケヒコがゆっくり振り返る。


「会いたいか」


「………」


 トキハはもう言葉にならず、嗚咽を漏らし、格子を掴んだまま、ただコクコクと頷いた。


「よかろう。王女の最後の願いだ。生死くらいは調べておく。生きていれば教えてやる」


 トキハはその場に座り込むと、声を上げて泣き出した。


「それより、明日の出立前、我が国の王がそなたにお会いになる。くれぐれも非礼のないようにな」


 そう言って、タケヒコは牢から出ていった。


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