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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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夜を照らす光

 

 ひっそりと秋が近づき、日は急速にその力を失い始めていた。


 邪馬台国の王都・山門やまとでは、日中の陽光こそまだ穏やかな温もりを残しているものの、一度太陽が西の山稜に隠れると世界は一変する。

 夜の訪れと共に、冬の予兆をはらんだ鋭い冷気が宮殿の回廊を吹き抜け、人々の肌を刺した。

 木枯らしが乾いた音を立てて建物を揺らし、漆黒の闇が全体を重苦しく包み込む。


 夜が、長くなった。

 それは季節が巡ったということ以上に、国の頂点に立つ者たちにとって、時間との、そして己の肉体との新たな戦いの始まりを意味していた。


 その夜、朔は湯気の立つ盆を手に渡り廊下を進んでいた。

 卑弥呼とタケヒコが夜半まで続く政務の合間に口にできるよう、根菜と薬草を煮込み、生姜を効かせた滋養スープだ。


「失礼いたします」


 護衛のユズリハに扉を開けさせ、中へと足を踏み入れた瞬間、朔は思わず息を詰め、眉をしかめた。


 部屋の中は十を超える素焼きの土器の灯火皿が焚かれている。

 本来ならば明るいはずの空間は、しかしどこか薄暗く澱んでいた。


 皿に満たされた獣脂や魚油は質が悪く不純物を多く含んでいるため、燃えるそばから黒く煤けた青白い煙を吐き出しているのだ。


 部屋全体が鼻を突く獣の脂の腐臭と、目が痛くなるような煙で満ちていた。

 換気の悪い冬の室内で、これは緩やかな毒を吸い続けているに等しい。


「……サクか。そこへ」


 机に向かう卑弥呼の声はひどく掠れていた。

 彼女はその揺らめく薄暗い光の中で竹簡を顔に近づけ、目を細めて懸命に文字を追っている。

 眉間には深い皺が刻まれ、眼精疲労からくる頭痛に耐えている様子が見て取れた。


「ゲホッ、ゴホッ……!」


 卑弥呼が苦しげに咳き込んだ。

 タケヒコもその傍らで充血した目をこすり、しきりに喉をさすっている。


 侍女たちが主君を気遣い扇子で必死に煙を払おうとするが、それは空気を攪拌するだけで気休めにしかならない。


 朔はその光景に、強い衝撃と義憤を覚えた。

 国の頂点に立つ二人がこれほど劣悪な環境で、国運を左右する執務を行っている。


 神の声を聴く巫女が、俗世の煤にまみれて肺を痛めているなどあってはならないことだ。

 これでは神託や政治以前に、健康そのものが日々確実に蝕まれていく。


 彼はスープを机に置くと、無言でその場を後にした。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 朔は工房に戻ると、すぐさま問題の分析と解決策の実行に移った。


(問題は二つ)


 低品質な燃料と、煤を撒き散らす暗く不安定な炎。

 まず朔は自らの工房に設置した木製の「圧搾機」を動かし、収穫させておいた椿の実や荏胡麻えごまの実を投入した。


 殻やごみといった不純物を徹底的に取り除き、じっくりと圧力をかけて油を絞り出す。

 さらにそれを濾過し、加熱して水分を飛ばし精製度を高めていく。


 次に、ランプ本体だ。

 既存の灯火皿の改良ではなく、まったく新しい概念の照明器具を作る。


 粘土をろくろで回し、新しい植物油を入れるための密閉性が高く上品な「燃料タンク」。


 青銅で炎を安定させる「芯の管(バーナー部)」。

 空気の通り道を計算し、完全燃焼を促す仕組みを組み込んだ。


 さらに炎を風から守る「硝子筒チムニー」。


 そして真打ちは、鏡用に開発した「スペキュラム合金(高錫青銅)」だ。

 通常の青銅よりも錫の含有量を極限まで高めたこの合金は、磨けば銀のように白く輝く。


「……サク。それは、鏡か?」


 ふいに、甘く落ち着いた声が鼓膜をくすぐった。

 工房の入り口で、ユズリハが壁に背を預けて佇んでいた。


 夜遅くまで工房の明かりがついていることに不安を感じ、様子を見に来たのだろう。


 薄暗い工房の中で、彼女が纏う緋色の衣だけが、まるで燃え立つ花のように鮮やかだった。


 腕を組んでいるためか、深く切り込まれたV字の胸元が強調され、そこから覗く白磁のような肌が、ランプの温かい光を吸って艶めかしく輝いている。


「いたのか」


「化粧直しのを作っているのか?」


 彼女が小首をかしげると、赤銅色の髪がさらりと流れた。

 丁寧に結い上げられ、肩先で内巻きに整えられたその髪は、動くたびに命を持っているかのように優雅に揺れ、ふわりと異国の花の香りを漂わせる。


「ああ、これは顔用じゃないんだ」


 朔は視線のやり場に僅かに困りながらも、湾曲した反射鏡を鋳造し、研磨剤を変えながら丁寧に磨き上げつつ答えた。


「光というのは、放っておくと四方八方に逃げてしまう。天井や床を照らしても、文字を読む役には立たないだろう?」


「……なるほど」


 ユズリハが興味深そうに近づいてくる。


 歩くたびに、膝上丈の二枚布の巻きスカートがはらりと翻り、白い太腿の曲線が露わになっては、また布の波間に消えていく。


「だからこの鏡を後ろに置いて、逃げる光を全部捕まえて前へ跳ね返すんだ。そうすれば明るさは倍になる」


「光を……跳ね返す……?」


 ユズリハはまだピンときていない様子で、長い睫毛を伏せて思案顔になったが、朔の手際の良さと真剣な横顔を見つめると、小さく息を吐いて微笑んだ。


 それ以上口を挟むことはせず、彼女はただ静かに、朔の作業を見守り続けた。


 こうして顔が映るほど完璧に磨き上げられた鏡が完成した。

 弥生時代にはありえない技術の粋を集めた、完璧な機能美を持つ『弥生リフレクター・ランプ』の誕生である。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 その晩、朔は謁見の許可を待って、完成したランプを盆に乗せ卑弥呼の私室へと向かった。

 ユズリハが朔が転んだりしないよう、足元を見ながら先導する。


 私室は昨日と同じく煙と臭いに満ちていた。

 空気は重く、卑弥呼とタケヒコが疲労の色を濃く滲ませた顔で政務を行っていた。


「サクか。どうしたのだ」


 卑弥呼が袖で口元を覆い、咳き込みながら尋ねる。


「陛下。『光』をお持ちいたしました。今日からこれをお使いください」


 朔はそう言うと、持参したランプを机の上の、卑弥呼の手元が見やすい位置に静かに置いた。

 タケヒコが身を乗り出してその奇妙な置物を怪訝そうに眺める。


「サク殿、これが……光? ただの置物のようだが」


 疑問の視線が集まる中、朔は不敵に微笑んで卑弥呼に一礼した。


「言葉で説明するよりも、まずはその目でお確かめ下さい。……陛下、恐れながらこの部屋の火をいったん全て消します」


「なに? 火を?」


 タケヒコが眉をひそめたが、卑弥呼は朔の揺るぎない自信に満ちた目を見て、興味深そうに短く頷いた。


「……よかろう。やってみよ」


 ユズリハの手によって部屋の中にある十数個の灯火皿が次々と吹き消されていく。

 煙の発生源が断たれると同時に、部屋は急速に闇に沈んでいく。


 部屋は一瞬、炉の熾火だけが赤く弱々しく光る深い闇に包まれた。

 その濃密な静寂と闇の中で、朔の手元だけが動く気配がした。


 チチッ。


 火打石の音が響き、小さな火花が散る。

 次の瞬間だった。


 カッ!


 まるで部屋の中に雷が落ちたかのような、鮮烈な閃光が走った。


「……っ!!」


 卑弥呼もタケヒコも、そしてユズリハも、あまりの眩しさに思わず手で目を覆った。

 夜の闇に慣れていた目には、それは刺激が強すぎるほどの輝きだった。


 朔が作り出した炎はガラスの筒に守られ、上昇気流に乗って一瞬にして垂直に立ち上り、揺らめくことのない白く強く鋭いほどに安定した光を放っていた。

 さらにその光が背後の湾曲した青銅鏡の焦点に当たり、物理法則に従って束ねられ、一方向へと爆発的に放射されていたのだ。


 反射鏡により増幅された光の奔流は、机の上、そして卑弥呼だけを、まるで真昼の太陽のスポットライトが当たったかのように白く鮮やかに、残酷なほど克明に照らし出していた。


「な……なんだ、これは……!」


 タケヒコが目をしばたたかせながら声を震わせる。


「たった一つの炎が、これほどの光を……! 十の灯火皿よりも明るいではないか! それに、なんだこの白さは!」


 卑弥呼は恐る恐る、ゆっくりと手を下ろした。

 そして自分の手のひらを見た。

 その掌紋が、生命線の一筋一筋までもがくっきりと見える。

 机の上の竹簡に書かれた墨の文字が、滲みも擦れも鮮明に目に飛び込んでくる。


 彼女は深く、肺いっぱいに息を吸い込んだ。


(……煙が、ない……)


(……あの、喉に絡みつく忌まわしい獣の臭いがしない……!)


 空気は驚くほど澄み切っている。

 ただほのかに、木の実のような香ばしい香りが漂うだけだ。


「サクよ……これは一体、どういうことだ……?」


 卑弥呼が呆然としたまま問いかける。

 朔はその影一つないクリアな光の中で、静かに種明かしを始めた。


「まず燃料を変えました。ここには獣の脂ではなく、椿の実などから搾り不純物を取り除いた清らかな油が入ってます。なので燃やしても煙も臭いも出さず、煤で部屋を汚すこともありません」


「椿の油……だと」


「次に、この『透き通る石』(ガラス)の筒です。これが炎を風から守り、煙突のように空気の流れを作ることで炎を安定させます。ゆらがない安定した炎は、それだけでここまで明るく輝くのです」


 朔は最後に、背後に控える磨き上げられた青銅鏡を誇らしげに示した。


「そしてこの湾曲した鏡。これが四方に逃げようとする光を一滴も逃さず捕まえ、増幅させ、陛下の必要な場所へと強力に送り届けるのです」


「逃げる光を……」


 ユズリハがようやく昨日の言葉の意味を理解して息を呑んだ。


「清らかな油と、炎を守るガラスの壁、そして光を増す青銅の鏡。これら三つの力が合わさった『知恵』の光にございます」


 卑弥呼はその新しい光の中で、先ほどまで目を凝らしても読めずに苦労していた竹簡を改めて手に取った。


「……読める……はっきりと、読めるぞ!」


 彼女の顔に、心からの憑き物が落ちたような喜びの笑みが広がった。

 視界が開けるということは、これほどまでに心まで軽くするものなのか。


「これならば夜が何倍にもなる! 今まで見落としていた細部まで見える! 政務がはかどるぞ! タケヒコ! 見よ、この光を!」


 その言葉に、それまで呆然としていたタケヒコが、はっと我に返ったように朔へと向き直った。


「サ、サク殿……。実は私も夜な夜な兵糧の帳簿をつけておるのだが、近頃はどうにも目が霞んでな……」


 タケヒコがどこか恥ずかしそうに頬を掻き、もじもじと朔を見つめる。


「その……もし余力があれば、私にも一台回してはもらえぬだろうか?」


 朔が微笑んで頷こうとした時、卑弥呼がパンと手を打った。


「よいよい、タケヒコにも作ってやれ。だがサクよ、それだけではないぞ」


 彼女は立ち上がり、その光を背に受けて宣言した。

 その表情は先ほどの喜びから一転、鋭い為政者のものへと変わっていた。


「この『知恵の光』、謁見の間にも配置せよ。それも左右に数基ずつだ」


「謁見の間に、ですね」


「そうだ。この圧倒的な光の中に私が座せば、それはもはや人の姿ではなく、天照る神の御使いとして映るであろう」


 卑弥呼は光の先にある闇を見据えて笑みを浮かべる。


「まつろわぬ国々の使者も、豪族も、この神秘の光を見れば我らが神威に畏怖し、言葉もなくひれ伏すに違いない。これはただの道具ではない。武器になる」


 単なる照明器具が、瞬時にして政治的な演出装置へと昇華された瞬間だった。

 朔は頷き、頭を下げた。


「わかりました」


 その光景を壁際に控えるユズリハが静かに見つめていた。


 彼女の視線は、神々しく照らされた卑弥呼から、一歩下がって控える朔へと移っている。

 

 彼女の瞳の奥では、成し遂げた男への柔らかな好意の灯が揺らめいていた。




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