天道市かき氷まつり 後編
そして、運命の日。
天道市、当日。
その日は、雲一つない、完璧な夏空だった。
夜明けと共に、都の門が開かれ、門前町には、所狭しと各国の屋台が、色鮮やかな旗を掲げて立ち並んだ。
「――さあ、寄ってらっしゃい! 安芸国の、天日干しの塩だよ! 去年と同じ、大安売りだ!」
「出雲が誇る、鉄の剣、鉄の斧! これ一本で、猪の骨も断ち切れるぞ!」
「越の国の、美しい翡翠はいかがかな!」
活気ある呼び声が飛び交う。
だがその声も昼が近づくにつれ、次第に暑さによるダレたものへと変わっていった。
熱い。とにかく熱い。
人々は日陰を求め、水場に群がり、高価な鉄器や重い塩袋など、見る気力も失っていた。
その灼熱の広場の中央で、ひときわ大きな、しかし静かな屋台があった。
邪馬台国の公式の屋台だ。
そこには、商品らしい商品はまだ何も並べられていない。
ただ巨大な木の看板に、不可解な絵が描かれているだけ。
一つは、「山に、雪が積もった絵」。
もう一つは、「杯から、泡が溢れている絵」。
屋台の中では、朔が、ユズリハ、アカネ、そして屈強な兵士たちと共に、静かにその「時」を待っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
陽が十分に登ったと見るや、 朔は、鋭い声で命じた。
「よし、始める!」
合図と共に、兵士たちが地下の貯蔵庫から最初の氷塊を担ぎ出してきた。
分厚い藁のマットが取り払われると、灼熱の太陽の下に、信じられないほどに、冷たく白く輝く巨大な氷の塊がその姿を現した。
「……なっ……!?」
「おい、邪馬台国の屋台、氷だぞ!?」
「馬鹿な! この真夏に!?」
広場にいた全ての人々が、目を疑った。
どよめきが、波のように広がっていく。
朔はその氷塊を、彼が作った五台の「氷削機」に、手際よくセットさせた。
朔が、一番機のハンドルを力の限り回した。
シャリシャリシャリシャリシャリッ!
鋭い鉄の刃が、氷の塊を純白のきめ細かい「雪」へと変えていく。
その雪が、木の椀の中にふわりと山のように盛られていく。
そこへ、アカネが木苺で作った、宝石のように輝く「赤き蜜」を、とろり、とかけた。
白い雪山に、深紅の溶岩が流れ落ちる。
「さあ、かき氷だよ! 名付けて『木苺の雪山』! みんな買っていってね♡」
アカネが高らかに叫んだ。
最初にそれを手にしたのは、暑さで半ば意識が朦朧としていた、一人の女旅芸人だった。
彼女は半信半疑で、その赤い雪を匙で口へと運んだ。
一瞬の沈黙。
旅芸人の目が、カッと、見開かれた。
「……っっ、つ、冷たぁ――――いっ!!!」
絶叫。
灼熱の地獄に突き刺さった、氷の楔。
舌の上で雪がはかなく溶け、木苺の鮮烈な甘酸っぱさが、脳髄を直接揺さぶる。
「う、うまい! うまい♡ 超生き返る! まるで冬を口から取り入れているようだわ!」
その魂からの叫びが、周りの心に火をつけた。
それまで日陰でぐったりとしていた全ての人々が、一斉に起き上がる。
「な、なんだと!?」
「冬を売っているのか!?」
「金なら払う! 俺にも寄こせ!」
群衆が殺到した。
「押すな!」
「皆様、こちらに列を作ってください」
侍女たちが護衛の兵士たちと共に、必死に群衆を捌いていく。
「三番機!『紫の蜜』!」
「四番機、氷、無くなります!」
「誰か、椀が足りないよ!」
シャリシャリシャリシャリシャリッ!
五台の氷削機が休むことなく、回転し続ける。
その音は、もはやただの作業音ではない。
この『天道市』の全てを支配する、勝利のファンファーレだった。
赤い蜜、黄色い蜜、紫の蜜。
子供たちは、その夢のような色とりどりの冷たい雪に歓声を上げている。
大人たちも暑さを忘れ、我先にとその一時の「涼」を貪るように味わっていた。
「サク、こっちも準備できている」
ユズリハが、周囲のがやがやした声に負けない声で、叫ぶ。
「なに」
それでも、近くにいる朔には聞こえない。
邪馬台国の屋台周辺は、それほどの大歓声だった。
ユズリハが近寄る。
「ビールも準備できているわ」
ユズリハが朔に身体を密着させるほどにくっついて、朔の肩に手を置き、キスするほどの耳元で言う。
柔らかいものが、朔の二の腕に押し付けられ、花の香りがふわりと香った。
(……あ、女みたいな言い方をしてしまった)
ユズリハが焦ったが、朔は気にしていないようだ。
「よし! 始めよう」
朔の合図で、兵士たちがビールの列も開放する。
ユズリハがビール樽の上の小さな木栓を抜き、青銅製の蛇口をひねると、木の酒坏に黄金色の冷たい液体が、泡を立てながら注がれ始める。
慣れた様子で丁寧に泡をコントロールし、注がれたビールを美しく仕上げる。
それを受け取ったアカネが、両手で持ち上げてウィンクする。
「はーい注目♡ キンキンに冷えたお酒だよ~! どう? 飲んでみない?」
アカネのよく通る声を聞いて、周りにいた客たちが一斉に目を向けた。
「なんだ、あの泡立つ飲み物は!?」
「おい、酒だってよ!?」
「酒!? ばかやろう、並べ!」
今度は、酒好きの男たちが色めき立った。
「うおぉ!? シュワッとくるぞ!?」
「なんでこんなに冷えてるんだよ!?」
一口飲んだ者は、皆同じ反応を示した。
目を大きく見開き、天を仰ぎ、飲み干してこう叫んだ。
「……ぷはぁっ! 生き返った!」
ホップの爽やかな苦味と、炭酸の刺激、そして何よりも、氷でキンキンに冷やされた、喉を突き刺すような「冷たさ」。
この灼熱の地獄において、それは神々からの恵みの水そのものだった。
「こっちにもくれ!」
「金ならここにある!」
大量に用意したはずのビールは、半刻ともたず、泡と消えていた。
◇◆◇◆◇◆◇
『天道市』の熱狂は、陽が落ちるまで続いた。
他の屋台は、もはや商売にならなかった。
安芸国の塩商人は、自分たちの屋台の前を人々が目もくれずに通り過ぎ、あの「雪山」の行列に並ぶ様をただ呆然と立ち尽くして見ているだけだった。
出雲国の鉄商人は早々に店を畳み、自ら率先してその行列に並んだくらいにして、朔が作った「冷えたビール」を恍惚の表情で味わっていた。
そして夜。
全ての氷が尽き、全てのシロップが空になった。
「……はぁ……」
朔とユズリハ、アカネは文字通り、灰になって屋台の床に座り込んでいた。
服は汗とシロップでベトベトだ。
だが、その顔はこの上ない達成感に満ちていた。
彼らの前には、信じられないほどの富が積まれていた。
銭の袋、絹織物、美しい玉、そして鉄の塊。
もはや数える気力も起こらない。
結果発表の刻。
各国の代表が、盛大に焚かれた篝火の前に集まる。
着飾った卑弥呼とタケヒコが、木簡に書かれた結果を高らかに告げた。
「……第三位、伊都国! 第二位、出雲国!」
タケヒコはその時点で、邪馬台国の勝利を確信し、小さく拳を握った。
「そして、本年、『天道市』、第一位は……! 昨年の売上記録を、遥かに凌駕し、歴史的な大勝を収めた……」
タケヒコが溜めて、叫んだ。
「――我らが、邪馬台国!!!」
地響きのような、歓声と拍手。
シロップまみれの朔が、代表として、よろよろと壇上へと進み出た。
一位は壇上に並べられた景品から、三つ選ぶことができる。
朔は並ぶ他の景品には目もくれず、「鉄鉱石」と書かれた木簡を三つ全て掴んだ。
そして、卑弥呼と向き合う。
卑弥呼は彼を見下ろし、その顔にこの上なく満足げな、そして愛おしげな笑みを浮かべていた。
「……サクよ」
彼女は周りには聞こえぬよう、小さな声で囁いた。
「見事であったぞ、我が賢者よ。そなたは雪と泡で、諸国の富を集めてみせた。……まさに、神業であった」
朔は一礼し、顔を上げた。
その瞳には、驕りも高ぶりもない。
あるのは計算通りに事が運んだ安堵と、次なる構想への静かな光だけだった。
盛大な拍手が夜空に吸い込まれていく。
揺らめく篝火が、朔の横顔を照らし出した。
邪馬台国の真の強さの源泉が、軍事力でも神託でもなく、この一人の男がもたらす「理」にあることを、多くの者はまだ知らない。




