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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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時を止める箱

新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。



 

その日、宮殿の空気は珍しく穏やかだった。


 夏本番の安定した晴れ間が続く中、邪馬台国は朔がもたらした数々の革新(塩、鉄、家畜)によって、確かな自信と活気に満ちていた。


 卑弥呼の私室には弟であり宰相であるタケヒコが訪れ、今年の秋の収穫祭に向けて儀礼的な報告を行っていた。

 卑弥呼にとっては毎年のわかりきった、どうでも良い話とも言えた。


 そこへ侍女の一人が恐縮した様子で入室してきた。


「申し上げます。料理長サク殿より、奏上そうじょうが。……『陛下とタケヒコ様のお手すきの折に、ぜひともお目通しいただきたい品がございます』と」


「……サクが?」


 タケヒコは眉をひそめた。


「火急ではないな。ならば今は秋の儀の取り決めの最中だ。後で呼ぶ」


「待て、タケヒコ」


 その言葉を制したのは卑弥呼だった。

 彼女は退屈そうだった表情を一変させ、その瞳に鮮やかな好奇心の光を宿していた。


「サクが『いつでもよい』と言う時ほど、我らの想像を超えるものを持ってくる。……タケヒコ、儀は中断だ。すぐにサクをここへ呼びつけよ」


「し、しかし姉上……」


「この話の要点は済んでいるだろう」


「まあそうなんですが」


「ならば、早く。ささ」


 卑弥呼の楽しげで、しかし有無を言わせぬ響きに、タケヒコはやれやれと肩をすくめ、使者に命じた。

 タケヒコにとっても、姉の明るい表情は嬉しいものだった。


「失礼します」


 やがて広間に通された朔は一人ではなかった。

 彼の背後にはいつものように護衛のユズリハが影のように控え、そしてそのユズリハの隣には、なぜか自称弟子のアカネまでが緊張した面持ちでちょこんとついてきている。


 そして朔の手には盆が乗せられていた。


 だが、その上にあるのは湯気を立てるご馳走ではない。

 そこにあったのは奇妙な二つの物体。


 一つは黒光りする鉄の円筒。

 それは朔が彼のクラフト能力で鍛え上げた鉄の板を完璧な円筒形に加工し、上下を同じ鉄の蓋で彼が発明した「はんだ」(錫と鉛の合金)によって完全に隙間なく密封された奇妙な小箱だった。


 もう一つはこれまた鉄製で、鋭い刃と取っ手を持つ見たこともない道具。


「サクよ。そなたが見せたいものとは、その無骨な鉄の塊か?」


 卑弥呼の期待に弾んでいた声が若干曇った。


「はい、陛下」


 朔はその鉄の円筒を、卑弥呼とタケヒコの前に恭しく置いた。


「これは、『時を止める箱』。すなわち『缶詰かんづめ』です」




 ◇◆◇◆◇◆◇




「時を、止める……?」


 卑弥呼がその不思議な響きを口の中で繰り返した。


「はい」


 朔は説明を始めた。


「この鉄の箱の中には、今から十日前に私が調理した料理がそのままの形で入っております」


「十日前!?」


 タケヒコが思わず声を上げた。


「この鉄の器に作りたての料理を入れ、完全に密閉し、二度と空気が入らぬようにします。その後、この器ごと湯の中で何刻なんとき煮沸しゃふつするのです。そうすることで、食を腐らせるあの『目に見えぬ小さなけがれ』を完全に滅することができます」


 卑弥呼とタケヒコは息を呑んだ。

 塩蔵えんぞうでも燻製くんせいでもない、第三の保存のことわり


「……して、サクよ。その、時を止めたとやらをどうやって再び動かすのだ?」


 卑弥呼が鋭い視線で鉄の箱を睨んだ。


「それこそが、この道具の役目にございます」


 朔はあの奇妙な鉄の道具――『缶切り』――を手に取った。


「この刃を蓋のふちに突き立て、テコの力で切り開いてまいります」


 朔は缶切りの先端を缶詰の蓋に当て、ぐっと力を込めた。


 カンッ!


 硬い金属音が響き、刃が鉄の蓋を貫通する。


 シュ……。


 その穴から中の空気が小さく音を立てて噴き出した。

 そして次の瞬間。

 その場にいた全員の鼻腔を、信じられないほど濃厚で芳醇ほうじゅんな、そしてありえないほどに『新鮮』な香りが襲った。


 それはつい先日、この宮殿の序列をひっくり返したあの一皿の香り。


「この香り……もしや」


 卑弥呼の目が期待に満ちた。

 朔は缶切りの刃を器用に操り、蓋をキコキコと円を描くように切り開いていく。


 キコキコキコ……。


 そしてついに蓋が取り払われた。

 そこにあったのは十日前のものとは思えぬ料理。


 彼が序列第一位を勝ち取った、あの『猪骨付き肉の煮込み』だった(骨は煮込み後に除いてある)。


 それは冷えているため、琥珀こはく色の煮汁が肉の周りで美しい煮凝にこごりとなってぶるりと固まっていたが、その芳醇な香りはこれが間違いなくあの日の料理のままであることを雄弁に物語っていた。


「……十日も前のものが、このような姿で……? 本当に腐ってはおらぬのか?」


 卑弥呼は信じられないといった様子で、その琥珀色の煮凝りを見つめている。


「はい、陛下。保証いたします」


 朔は答えた。


「ですが、この料理の真価はこのままではございません。止まっていた時を、今、再び動かします」


 朔はアカネに手伝わせ、部屋の隅に用意させていた炭火がおこされた小さな風炉(携帯用のコンロ)と鉄の皿を卑弥呼の前に運んだ。

 彼は缶詰の中身をその煮凝りごと鉄の皿へと滑り込ませた。

 そして静かに火にかける。


 卑弥呼たちが固唾を飲んで見守る中、冷たく固まっていた琥珀色の煮凝りが縁からゆっくりと、とろりと溶け始めた。

 それは次第に熱を帯び、あの日の深いうま味に満ちた黄金色のソースへとその姿を戻していく。


 そしてその中から、柔らかく煮込まれた猪肉が湯気と共に姿を現した。

 それと同時に、先程とは比較にならないほど強烈な香りが部屋中に満ち始めた。


「ぬ……」


 あの抗いがたいほどに食欲をそそる力強い香り。

 その全てが熱せられることによって一気に解き放たれたのだ。


「陛下。温かなものができました。どうぞ、味見ください」


「わかった。ちょっと味見するだけだぞ」


 卑弥呼は目の前の奇跡に驚きを隠せぬまま、さじを手に取ると、その肉片をソースと共にすくい上げた。

 そしてふうと息を吹きかけ、恐る恐る口へと運んだ。


 直後、彼女の全身が幸福な熱に包まれた。


(………!)


 美味い。


 あの日、謁見の間で体験したあの衝撃が、今、再び彼女の舌の上で蘇った。


 舌と上顎だけでほろりと解ける、信じられないほど柔らかい肉。

 そこから溢れ出す力強い猪のうま味。

 そしてそれを完璧に昇華させる芳醇なコク。


 卑弥呼は前回同様、添えられた「からし」を今度は自ら肉につけて口に運んだ。

 ツーンと鼻に抜ける鮮烈な刺激が、濃厚な脂の甘みをさらに引き立てる。


「……美味い」


 卑弥呼は言葉もなく、もう一口、匙を運んだ。

 そして、もう一口。


「………」


 タケヒコとユズリハ、アカネが揃って「ちょっと味見では?」と見守る中、卑弥呼の手は止まらない。


「あたしも食べたい……」


 アカネが呟くのを、朔が振り向いて「後であげるから」と制する。


 やがて卑弥呼は椀の底に残った最後の一滴のソースまで綺麗にすくい取ると、その匙を名残惜しそうに口にする。

 そして、ふううぅぅ……と、心の底から満ち足りた長い息を吐いた。


「……味は全く問題ない」


 卑弥呼のその言葉に、皆が「いや、わかってます」という顔をする。

 しかしその言葉もあって、タケヒコがはっと気づいた顔になる。


「待て、サク殿」


 タケヒコの目は朔ではなく、空になった鉄の缶に釘付けになっていた。


「この缶詰とやら、中身は腐らずにどれくらい保つのだ」


「おそらくは半年、いや、一年でも大丈夫かと」


「一年……だと……?」


 タケヒコは朔の肩をわし掴みにした。

 その声は興奮に震えていた。


「……兵糧だ」


「え?」


「これは、兵糧だ!」


 タケヒコは叫んだ。


「干し肉ではない! 塩漬けでもない! 『料理』そのものを……これが百、千、いや、一万あれば、我が国の兵士たちは冬の陣でも遠征でも、故郷の温かい食事を戦場で味わうことができる! それは最強の武器にも勝る士気となる! サク殿!」


 タケヒコは朔を狂喜の目で見つめた。


「軍のために、これをできる限り多く作ってほしい!」


 タケヒコは軍事・兵站へいたんの革命が、今、目の前で起こったことを確信していた。

 だが、その国家の未来を左右する壮大な構想を一言で遮った者がいた。


「タケヒコ。その話の前に」


 卑弥呼だった。

 彼女は唇の端にあらがうことのできない、絶対君主の笑みを浮かべた。


「サクよ」


「は、はい」


「ひと月前の冷めたものですら、これほどの美味さだ」


 彼女はそこでうっとりと一度目を閉じた。


「……ならば、作りたての熱いものは、どれほどのものか」


 朔はその言葉の意味を理解し、息を呑んだ。


「それは、もちろん……」


「よし、決めた」


 卑弥呼は立ち上がった。


「サク。今宵の夕餉、そなたの番か」


「いえ、私は明後日ですね」


「構わぬ!」


 卑弥呼は高らかに宣言した。


「今すぐ厨房に戻り、この猪の煮込みの作りたての熱いものを持て。良いな!」


 朔はその場に立ち尽くした。


 片や、宰相タケヒコが国の軍事戦略の未来を賭けて「缶詰の大量生産」を興奮した目で要求している。

 片や、女王卑弥呼が、ただ今すぐ温かい煮込みが食べたいという純粋な欲で「作りたての夕餉」を輝く目で要求している。


 朔は片膝をつく。


「……わかりました。缶詰と、今日の夕餉にもご用意いたします」


「からしもだぞ」


「はい」


 朔はユズリハとアカネを連れ、急ぎ厨房へと戻っていった。


「この缶詰なるものがあれば……!」


 広間では、タケヒコが空になった鉄の缶詰を熱に浮かされたように見つめ続けていた。


「………♡」


 そして玉座に戻った卑弥呼は、先程の温かい煮込みの余韻を楽しそうに舌の上で転がしながら、今夜の朔の一皿を心待ちにするのであった。



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