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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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おまけ


 その夜。邪馬台国の宮殿は日中の酷暑がわずかに和らぎ、虫の音が響き渡る静かな闇に包まれていた。


 だが卑弥呼の私室だけは、謁見の間から戻った後もずっと興奮の余韻に満ちていた。


 卑弥呼も弟のタケヒコも、昼間の出来事がまだ信じられないという顔で卓を挟んでいた。


 金を巡る一触即発の戦争が、たった一杯の未知の飲み物によって喜劇のように幕を閉じたのだ。


 あの傲慢なイタケルと武骨なヨウジョウが、最後には互いの肩を叩き合い、黄金の泡の酒を奪い合うように飲んでいた姿。


 そして砂金の分割などもはやどうでも良さそうに、ただ「この酒を我らの国にも!」と懇願していたあの必死の形相。


「……タケヒコよ」


 卑弥呼が静かに口を開いた。


「……あの男、サクは……いったい何者なのだ」


 その声はもはや問いかけではなかった。

 底知れない知恵の泉を覗き込んでしまった者の、畏怖にも似た独り言だった。


 タケヒコも腕を組み、難しい顔で深く頷く。


「姉上。塩、鉄、石鹸……。そして『氷』と『泡立つ酒』。あれはもはや料理人の知恵ではございません。天候を操り富を生み出す、『神の知恵』にございます。……そして我らは、あの男が持つ力のまだほんの入り口しか見ていない気がいたします」


「……呼べ」


 卑弥呼は短く、しかし強い意志を込めて命じた。


「サクを。今すぐここに」




 ◇◆◇◆◇◆◇




 程なくして、朔はユズリハを伴い女王の私室へと参上した。

 昼間の熱狂の中心にいたとは思えぬほど、彼はいつも通り静かで穏やかな表情をしていた。


「陛下。参りました」


「うむ」


 卑弥呼は侍女たちを全て下がらせた。

 部屋には卑弥呼、タケヒコ、朔、そして影のように控えるユズリハの四人だけが残った。


「サクよ。昼間の働き、見事であった」


「もったいなきお言葉」


「だがそなたは我らに謎を残していった。あの黄金色の泡立つ酒は何だ。あれもそなたが創り出したのか」


「はい」


 この質問が来ることを予期していたかのように、朔は頷いた。


「我が国の酒とは全く違った。あの透き通るような黄金色、そして辺りに漂ったあの清涼な香り……。あれは、いったい……」


「あれは米の酒ではありません。麦から生まれます」


 朔は複雑な製法をできるだけ噛み砕き、短く説明した。


「麦から作った甘い汁に、大陸から取り寄せた特別な『花』(ホップ)を加えて煮込み、香り付けをします。そしてここからが肝心なのですが……酒ができあがる直前に、頑丈な瓶に詰めて完全に密閉するのです」


「密閉……?」


「はい。そうすることで、本来なら空気中に逃げてしまう『泡』を酒の中に閉じ込めることができます。それを冷やすことで、あの冷たく泡立つ黄金の酒が完成します。私はこれを『ビール』と呼んでおります」


「ビール……」


 タケヒコはその聞き慣れぬ響きを口の中で転がしたあと、鋭い視線を朔に向けた。


「サク殿。その『ビール』とやらは、あの瓶に詰めた状態でどれほど保つのだ?」


「はい。蜜蝋で完全に密封し、直射日光を避ければ半年以上は」


「半年……!」


 説明を聞き終えたタケヒコは、興奮を隠しきれない様子で身を乗り出した。

 半年もつならば、遠方への輸送も十分に可能だからだ。


「……サク殿。あのイタケルとヨウジョウの顔を覚えておろう。彼らは砂金のことなどどうでもよくなっていた。彼らが欲したのはビールの方だ。それはとりもなおさず、ビールが『金よりも価値がある』と見なしたということ」


 卑弥呼が頷き、ぱっと扇子を開いた。


「そういうことだ。サクのおかげで我が国はまた、貿易国として頼もしい交易品を手に入れたのだ」


「あれを諸国へ、いや、大陸へと輸出したならば……! 我が邪馬台国は塩に次ぐ、いや、塩以上の莫大な富を手に入れよう!」


 タケヒコの興奮は収まるところを知らない。

 朔はその熱意に静かに頷き、言葉を添えた。


「そうなるとよいですね」


「間違いなく、なるとも!」


 だが、卑弥呼は二人のやり取りをよそに、そっと熱っぽい吐息を漏らした。

 彼女は手元のまだ何も注がれていない空の杯を、所在なげに指でなぞっている。


「……ふぅ……。麦と、花と、氷か……。誠に、そなたの知恵は底が知れぬな……」


「すべては、この国の豊かな実りのおかげで」


 朔が恭しく頭を下げると、卑弥呼はじりじりとした喉の渇きを覚えるように胸元を軽く押さえた。


「……あのイタケルたちの恍惚とした表情……。そしてあの黄金の泡……。いったいどのような味がするというのだ……」


 卑弥呼の視線は、虚空に浮かぶ幻の杯を追っていた。


「……この蒸し暑い熱帯夜に……もし、あの涼やかなるものを味わえたなら、どれほど心地よきものか……」


 それは女王の命令ではなかった。ただの独り言。

 しかしその声には、未知なる味への抗いがたい好奇心とかすかな羨望が滲み出ていた。


 タケヒコも、ここぞとばかりにその言葉に乗った。


「まことに。姉上、あの無骨な男たちが争いすら忘れて飲み干したのですぞ。彼らがあそこまで夢中になる『味』とは……。我らだけがその奇跡を知らぬというのは、いささか……寂しいものでございますな」


 そのあまりに分かりやすい二人からの「おねだり」に、朔は思わず声を立てて笑ってしまった。

 ユズリハも、その赤みがかった巻き髪の下で必死に笑いをこらえている。


「陛下、タケヒコ様。ご安心ください」


 朔は楽しそうに言った。


「もちろん、お持ちしております。まさか主賓であるお二人に、召し上がっていただかないわけにはまいりませんから」


 朔が合図をすると、扉の外に控えていたアカネが、氷をぎっしりと詰め白い冷気を放つ大きな木の桶を誇らしげに運んできた。

 その中には例の瓶が数本、突き刺さっている。


「おおっ!」


「サク! そなたという男は!」


 卑弥呼とタケヒコの顔が、ぱあっと童女と童子のように輝いた。


 朔はその中の一本を取り出すと、ユズリハが差し出したT字型の道具コルクスクリューを受け取り、その切っ先を木栓にねじ込んだ。

 

 慎重に、しかし手際よく力を込める。


 ――ポンッ!


 静かな私室に、あの祝祭の音が軽快に響き渡った。

 瓶の口から白い煙が噴き出し、ホップの清涼な香りがふわりと部屋を満たす。


 とく、とく、とく……。


 シュワワワァ……!


 朔は卑弥呼、タケヒコ、ユズリハ、そしてアカネの四人の杯に、黄金色の液体を泡がこぼれぬようゆっくりと注いでいった。


「陛下。この酒はまだ試作の段階で、私の氷室では作れる量にも限りがありますが、陛下のお許しを得て現在都の地下に建設を進めている、あの巨大な氷室が完成すれば」


 朔は注ぎながら、力強く約束した。


「醸造の規模を何十倍にも拡大させられます。いずれは他国に『輸出』できるだけの量を増産することも可能かと」


「おお!」


 その言葉は二人の王の心を完全に射抜いた。


 卑弥呼は黄金色の泡が立ち上る杯を高々と掲げた。

 その瞳は国の輝かしい未来を確信した、真の女王の光に満ちていた。


「……タケヒコよ! そしてユズリハ! サク! アカネ! 杯を上げよ!」


「はっ!」


 飲めない朔だけは水を持った。


「邪馬台国の、新たなる『黄金の河』に! そしてこのことわりを我らにもたらした、我が国の至宝サクに! ――乾杯!」


 五つの杯が確かな音を立てて、一つに合わさった。



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