Re:五色の宝飯 後編
「そなたの料理は国の宝。安易に見せることは国の損失につ……」
「――タケヒコ」
その時、背後から、静かな声がした。
卑弥呼だった。
その後ろにはユズリハとアカネがいた。
三人は湯上がりらしく、濡れた髪のまま、二人の前に立っている。
ユズリハが肩の上で布で包んだ髪を叩く様子が新鮮で、朔はつい目が行ってしまうが、今はそれどころではない。
「ハマン王子の件であろう。構わぬ。サクの好きにさせよ」
「姉上!?」
目玉が飛び出そうなタケヒコに、卑弥呼が続ける。
「これはもはや、斯馬国の問題ではない。我が国の顔を立てよ、という、私の願いを聞き入れてもらった、その結果だ。ここで我らが何もしなければ邪馬台国の名が廃る。サクよ。存分に力を振るってくるが良い。……しかし邪馬台国の料理長として作ることは許さぬぞ」
「……と、いいますと?」
訊ね返した朔に、卑弥呼は、ふ、と微笑んだ。
「簡単なことだ。そなたは変装し、斯馬国の、あの逃げ出した料理人の一人として作るのだ。誰にもそなたとは分からぬようにな」
卑弥呼がウィンクしながら、言った。
なるほど、と朔の顔にも笑みが浮かんだ。
「……で、実際のところ、勝てるのか?」
直後、卑弥呼が真顔になる。
「あの国王、そしてタコス王子もかなり舌が肥えているぞ。満足させられる自信は?」
「何ら問題なく」
朔は即答した。
「……へぇ、かっこいいじゃん♡」
アカネがヒューと口笛を鳴らす。
皆の後ろから、ユズリハもそっと、熱のこもった視線を朔に向ける。
湯上がりだっただけに、その頬が染まっていることには誰も気づかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
翌日の夜。
広間の空気は昨日にも増して、重く張り詰めていた。
やってきた海神の国の王とタコス王子は、その顔に浮かぶ諦めと不機嫌さを、隠そうともしていない。
やがて調理場に、一人の男が深々と頭巾をかぶり、顔を伏せたまま無言で進み出た。
男は斯馬国の粗末な衣を纏っており、自信なさげに俯いている。
「……ふん」
それを見た海神の国の王が、鼻で笑った。
「逃げ帰ったかと聞いたが、まだひとり残っておったか。往生際の悪いことよ」
「あの程度では、何を作らせても同じです。時間の無駄だ」
昨日の料理が相当ひどかったせいで、タコス王子も不機嫌そうに悪態をついた。
海神の国の高官が国王らの席に向かって恭しく礼をし、その頼りなさげな料理人の前にやってくると、形式的な言葉を発し、右手を高々と上げた。
「――でははじめ!」
調理開始が宣告される。
そこで突然、うつむいていた男の雰囲気が、がらりと変わった。
「……ん?」
そこで、海神のタコス王子が、眉をぴくりと揺らした。
料理人がひとり、調理を始めた。
彼が竈にかけたのは、黒光りする、見事な中華鍋。
続けて取り出したのは、自身で精米した「卑弥呼の白米」。
彼がその手で作りあげた「豚バラベーコン」と「醤」、「ごま油」。
昨日と同じ調理場ながら、食材は昨日よりも格段に上質。
「まさか、また同じものを作る気か!」
国王が、怒声に近い声を上げた。
「……待ってください、父上」
タコス王子は王の罵声を制止し、一心に調理人に視線を向け始めた。
昨日はあんな、肉を干したようなものはなかった。
いや、そもそも調理鍋自体が全く異質だ。
(なんだあの、底まで丸い、深い鍋は……)
見たことがない。
底が平たくない鍋に、いったいなんの意味がある?
ふいに竈に、尋常ではないほどの強火が起こされる。
鉄鍋が、赤みを帯びるほどに熱せられた。
赤熱した鍋に、豚脂が投入され、溶きほぐされた卵が、ジュワアアアアッ!と、黄金色の花を咲かせた。
昨日とは明らかに違う。
音も、香りも、手際も、全てが。
「……まさか」
海神のタコス王子の顔色が変わった。
瞬き一つせず、体を乗り出しながら、その男を見つめ始める。
野蒜とベーコン、キノコが、強火で一気に炒められ、香ばしい匂いが立ち上る。
そして、米。
――ガンッ、カンカンッ!
始まる独壇場。
鍋が、米が、高らかに踊り始める。
「おお……!」
海神のタコス王子が、目を奪われる。
その顔には、歓喜の笑みが灯っていた。
――ガンッ、カンカンッ!
昨日の、もたもたとした鍋振りではない。
米粒が、炎の上で、生きているかのように、高く、高く舞い上がる。
「……サク……そなたの勇姿、何度見ても……」
卑弥呼の目がうっとりとする一方、各国の使節たちからはどよめきが起こり始める。
「――はっはっは! そういうことか」
出雲国のオオクニが、突然、膝を叩いて笑い出した。
「これはツイてる。あれをまた食せるとはな!」
醤が鍋肌を走り、ジュウウウウウッ!! と、むせ返るような香ばしい匂いが、広間を支配する。
「きゃ~! 朔様♡」
「サク~! もう、マジかっこいい♡」
侍女やアカネが、目をハートにして歓声を上げる。
名前を呼んではもはや台無しなのだが、幸い誰も気づいていないようである。
(……サク……)
ユズリハも声を上げたいくらい、惹かれていた。
ただただ、その魅力的な男の姿を目に焼き付け続ける。
最後にごま油が回しかけられ、全てが、ぴたりと止まった。
ドン、と。
湯気を立てる漆椀が、三人の王族の前に差し出された。
「……『五色の宝飯』にございます」
朔は声色を変え、小さくそう告げた。
「なんと見事な……」
タコス王子が、目を輝かせながら、その宝飯を両手で受け取る。
この計算し尽くされたような香りからして、昨日と全く違う。
「あなたは、まさか……いや、聞くまい」
海神のタコス王子は、うつむき加減で立っている料理人に目を向けるが、あえて問わぬことにした。
タコス王子は匙を取ると、その宝飯をすくい、口へと運ぶ。
……もぐもぐ……。
「―――!?」
タコス王子は、雷に打たれたかのように呆然とした。
「……どうした、タコス」
国王が訊ねるも、タコス王子は硬直したまま。
「な……なんだ、これは……!」
タコス王子はそれを言うだけで精一杯だった。
そのまま言葉を発するのも忘れ、一心に宝飯を口に放り込み始める。
「ふん。昨日と同じものを……」
海神の国の王は、まだ、不機嫌な顔を崩していなかった。
「………」
が、そのあまりに暴力的な香りに抗えず、視線を宝飯から逸らすことができずにいた。
ホントは食べたい。
だが、散々非難してきただけに、それは国王のプライドが許さなかった。
「こ、こんな混ぜ飯をどう炒めようが、美味くなるわけがなかろう! 食べるまでもない!」
国王が立ち上がった。
そのまま離席しようとする。
「お待ちを、父上!」
立ち去ろうとする国王を、タコス王子が後ろから引き止める。
「うるさい! こんなもの、食えるか!」
国王がその手を払いのける。
「まあそう言わずに」
そこに、口の周りに米粒をつけたままの出雲の国のオオクニがやってきて、国王を後ろから羽交い締めにした。
「ぬお!?」
隆々としたオオクニに押さえ込まれては、さすがの国王も動くことができない。
「いまだ。やれ」
オオクニが海神のウミヒメ王女にウィンクする。
「はいっ!」
ウミヒメ王女は立ち上がると、匙を手に取り、宝飯を大盛りにしてすくい、じりじりと国王に近づく。
「……おい、やめろ、やめろおぉぉぉ――!」
国王がジタバタともがく。
その割に、口を開けて待っている感もある。
「お父様!」
王女は構わず、国王の開いている口に放り込んだ。
ぱくっ。
……もぐもぐ……。
次の瞬間。
国王が膝から崩れ落ちた。
「………」
国王はうつ伏せに倒れ、目をカッと見開いたまま、口だけをもぐもぐと動かしている。
ユズリハの口元に、笑みが浮かぶ。
「……父上?」
「………」
国王はごくり、と飲み込んだ。
無言のまま、むくり、と起き上がる。
「父上?」
「お父様?」
「………」
国王はふらふらと歩くと、自分の席に着席し、無言のまま、一心に宝飯を掻き込み始めた。
卑弥呼とタケヒコが笑みを浮かべ合い、ハイタッチする。
「お父様……!」
その様子に、ウミヒメ王女の目に、じわりと涙が浮かぶ。
彼女も席につき直し、恐る恐る、一口を味わった。
「……す、すごいわ……!」
そして、彼女は両手で口元を押さえた。
料理人に目を向け、もはや涙が止まらなくなる。
この料理は、二人の夢だった婚約を確約するほどに、力強く後押ししてくれていた。
「……なんということだ……」
海神の国の王が、ようやく震える声で絞り出した。
「昨日とは……昨日とは、全く違う……! 米が、米が、口の中で踊っておる……!」
国王が全て食べつくし、残っている米粒一つ一つを拾って食べている。
「おい、まだ残っているか」
国王が料理人に声を掛けると、料理人は頷き、うつむいたまま宝飯を別皿にのせて国王に恭しく献上する。
「おお! よし」
彼は、椀を両手で奪うように受け取ると、がつがつと、また夢中でその宝飯をかき込み始める。
「美味い! 美味い! 美味いぃ!」
王は王族としての威厳も忘れ、子供のように叫び続けていた。
「昨日のが泥だとしたら、これは天の恵みだ! なんだこの香ばしさとうま味は!」
アカネは侍女たちと抱き合い、きゃーきゃー言っている。
「これが……かの伝説の味か……!」
タコス王子もまた我に返ると、一口一口を大事に味わう。
広間は静まり返っていた。
誰もが、目の前で起きた王族たちのあまりの豹変ぶりに、言葉を失っていた。
海神の国の王は、米粒のついたままの口元を、豪快に袖で拭うと、顔を真っ赤にして、興奮したまま、斯馬国の王子に向き直った。
「……見事だ、斯馬国の王子ハマンよ!」
王は、その肩を、バン、と力強く叩いた。
「……昨日は、まこと失礼つかまつった! まさか、これほどの『真の力』を隠し持っていたとは! いや、お見逸れしたわい!」
「あ……いえ、その……」
斯馬国のハマン王子は事情が事情なだけに、ただ言葉に詰まってしまう。
「これだ! これほどの料理を作れる男が《《近くにいるならば》》、我が娘を安心して嫁がせることができる! ハマン王子、そなたの勝ちだ! この婚姻、我が海神の国の王の名において、正式に認めるぞ!」
国王は、全てを知った上で、優しく笑っていた。
「………!」
斯馬国のハマン王子は涙ぐみ、その場で、崩れ落ちるように平伏した。
「あ、ありがたき、幸せにございまする!」
「お父様!」
その言葉に、ウミヒメが涙をこぼしながら、父に抱きついた。
「おおぉ」
「おめでとうございます!」
広間は割れんばかりの拍手と、歓声に包まれた。
その喧騒の中で、頭巾を目深にかぶった料理人は、静かにその場を辞し、調理場の奥へと姿を消した。
宴が真の祝宴として再開される中、卑弥呼とタケヒコ、アカネ、ユズリハ、そしてサクは、顔を見合わせてハイタッチを交わし合うのであった。
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こちらで第三部終了となります。
いかがでしたでしょうか。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!
第四部もすでに執筆済みでございますので、連日投稿させていただきます。引き続きお楽しみ下さいませ。
なお、第四部は夏です。夏といえば……アレですね。
どうぞ今後とも当作品をよろしくお願い申し上げます。




