オムライス 後編
そして仕上げに、ナガサが手に入れてきてくれたトマトから作ったソースをたっぷりと注ぎ入れた。
ジュワアアアッ!という音と共に、白い米が瞬く間に、鮮やかな食欲をそそる「赤色」に染まっていく。
(なっ……!? 米を赤く染めた……!?)
アカネがその光景に一瞬、目を見張った。
そもそもあの赤い食材、何? いったい、どこで……?
だが、朔の真骨頂はもう一つの鍋だった。
彼は、器に数個の卵を次々と割り入れていく。
そして竹製の泡立て器を使い、さらに数個の卵の「白身」だけを泡立てたもの(メレンゲ)をつくる。
朔は、溶きほぐした全卵にその泡立てたメレンゲの一部を、さっくりと混ぜ合わせた。
(な、何をしているの、あの男……?)
それを初めて目にするアカネは、朔が何をしようとしているのか分からない。
泡立てたあれに、いったい、なんの意味が……。
アカネが自らの蒸籠から湯気が立ち上るのを確認した、その時。
朔も動いた。
彼は、もう一つの鉄鍋でバターを溶かす。
そしてメレンゲと合わせた卵液を、一気に流し込んだ。
ジュウウウウウッ!
卵は鉄鍋の上で、一瞬にして信じられないほどふわり、と膨れ上がった。
「う、うそ……すごい……」
アカネは、目を奪われる。
なに、その技……。
それはもはやただの薄焼き卵ではない。
空気を含んだ、まるで雲のような黄金色の塊だった。
壁際で腕を組み、ずっと黙して見ていたユズリハが、口元に笑みを浮かべる。
朔は、その半熟のとろりとした黄金色の雲を、先程完成させた赤い米の上に滑らせるように乗せた。
◇◆◇◆◇◆◇
それぞれの見事な料理が完成した。
二つの皿が、同時に卑弥呼の前へと献上される。
一つは、アカネが作った『北国の五色強飯』。
黒、赤、黄、緑(豆)。様々な穀物と具材が力強く、野趣あふれる香りと共に湯気を立てている。
もう一つは、朔が作った奇妙な料理。
皿にはただ、「黄色い雲」がのっている。
その黄色い雲の上に、朔はトマトソース(赤紅)で、その上にうねうねと線を引いた。
赤と黄色の鮮やかなハーモニーは見る者の目を引いたが、お題の米は隠れて見えない。
「……ふむ」
卑弥呼はまず、アカネの『五色強飯』を匙で一口、口に運んだ。
「……うむ。力強い。北国の大地の息吹を感じる、良い飯だ。米粒一つ一つに、木の実と干し肉の味がよく染みている。見事だ、アカネとやら」
「ふん、当然よ!」
アカネは卑弥呼の称賛に得意げに胸を張ったが、半分は強がりもあった。
相手が作ってきた料理が、あまりに未知数過ぎた。
「さて」
次に卑弥呼は、朔のあの奇妙な『黄色の雲』に、視線を移した。
「……サクよ。これは一体何なのだ。黄色い雲に赤き線……。色合いは、確かに見事だが……」
卑弥呼は戸惑いながらも、匙をその黄金色の雲に突き立てた。
プツリ、と。
柔らかい感触と共に、半熟の卵が、とろり、と割れ、その中から、赤いチキンライスが顔を覗かせた。
「おお……」
なんと。
卑弥呼はその赤と黄が、完璧に混ざり合った一口を口に運んだ。
瞬間。
彼女の目が、驚愕の色に見開かれた。
(な……、なに……!)
匙が、手からするりと抜けていく。
まず舌を包み込む、信じられないほどの、ふわふわ、とろとろの食感。
それはバターと乳のコク、そして泡立てた卵白が生み出す奇跡のような雲の味わい。
そして、その雲の下から現れた赤き米。
米なのに、米ではない。
トマトの鮮烈な酸味と甘み。
鶏肉のうま味。
ニンニクの芳醇な香り。
それら全てを、米粒の一粒一粒が完璧に吸い込んでいる。
その赤い米と黄金の雲が、口の中で一緒になった時。
酸味と甘みとコクと香りが一体となって、爆発していた。
それは彼女が知る、いかなる粥とも飯とも違う、衝撃的な「美味」だった。
匙を拾い直し、ただ二口、三口と夢中で食べ進めた。
「……サク、この肉は」
「はい。鶏のモモ肉です。初めて使いました」
「おお……なんと好ましい……」
卑弥呼は、取り憑かれたように無言になり、手だけを動かす。
一口だけ手を付けたアカネの皿は、完全に卑弥呼の頭から消えていた。
「………!」
その様子を見て、アカネが歯をぎりぎりと鳴らす。
そしてオムライスの皿が綺麗に空になった時。
彼女は静かに匙を置いた。
「……これは勝負あったな」
彼女はアカネに向かって、有無を言わせぬ響きで告げた。
「アカネよ。そなたの料理は見事であった。大地の色を力強く、皿の上に映し出した。確かにオシヒトでは敵わぬかもしれぬ。……が、私はこれに勝る料理をたくさん知っていてな」
アカネがはっとする。
卑弥呼はもはやアカネに興味なしとばかりに、朔の方へ視線を移した。
その瞳は、深い感動に潤んでいた。
「……サクは新しい、そして美味な『太陽』をこの皿の上に鮮烈に創り出した。……見事な『色鮮やかな米飯』であった。勝者、サク」
「なっ……! なによ! たしかにその卵はすごそうけど、ただそれで米を包んだだけみたいな、ふざけた料理でしょ!」
アカネは屈辱に震え、その橙の髪を逆立てた。
「――納得できないわ! 卑弥呼様が贔屓しているだけよ! そんなものが、私の北国の魂を込めた五色飯に勝てるはずがない!」
「なら、そなたも食べてみると良い」
卑弥呼が目配せすると、タケヒコが頷き、オムライスの皿(アカネ用に作ってあった)をアカネのテーブルに置いた。
「こんなもの……! どうせまずくて、食えたもんじゃないわ!」
彼女はそう吐き捨てると、そのオムライスを匙で乱暴にすくい上げ、口の中へと放り込んだ。
……もぐもぐ……。
……もぐ……。
そして。
やってきた、お口の中のハーモニー。
「……! こ……」
アカネが、目を見開いた。
アカネの手から、匙がスローモーションで落ちていく。
「……れ……は……」
そして、その匙が床を鳴らす瞬間。
突然、アカネの服が縦に破れた。
「きゃっ!?」
アカネが慌てて、両手で胸元と股間を隠す。
全てわかっていたかのように、タケヒコが駆け寄り、マントでその露わな姿を覆い隠した。
「……ど、どうして服が!?」
アカネがうろたえる。
「そなた、今、美味しく感じたのであろう?」
タケヒコが確信に満ちた顔で、アカネに訊ねる。
「……ばっ、ばっかじゃない!? そ、そんなこと、あるわけないじゃない!」
アカネが顔を真赤にして、全力で否定した。
「ほう、ならばもう一度食べてみるがよい」
タケヒコがスプーンに大盛りのオムライスをのせて、アカネの口に運ぶ。
「……い、いやっ」
一瞬イヤイヤをして拒むアカネだったが、スプーンが目の前まで来ると、反射的にぱくっと食いついていた。
……もぐもぐ……。
「………!」
直後。
タケヒコのマントが、縦に引き裂かれる。
「きゃっ!?」
アカネが慌てて、両手で胸元と股間を隠す。
全てわかっていたかのように、タケヒコが二枚目のマントでその肌色を覆い隠した。
「もうわかったであろう、アカネとやら」
卑弥呼はアカネを諭す。
「そなたはサクの料理の良さ、そして己の敗北を認めるべきだ。これ以上はマントがいくらあっても足りぬ」
「………」
アカネは卑弥呼を睨んだ。
そしてやり場のない悔しさとともに、その視線をオムライスに戻す。
(敗北を、認めるべき……)
そっともう一口、オムライスを食べてみる。
これはおいしいのだ、と一度認めると、もうマントは破れなかった。
(………)
ふわふわで、とろとろで、酸っぱいのに甘い。
塩味も、コクも、後味と香りまでもが、計算し尽くされている。
(なんておいしいの……こんなの、ありえない……)
アカネは包まれたマントを掴んだまま、ぺたりと座り込んだ。
もはや理解せざるを得ない。
自分は負けたのだ、と。
完膚なきまでに。
「……負けたわ。完敗よ……」
顔を上げた彼女の目には悔し涙が溢れていた。
だがもちろん、アカネという少女はこのままでは終わらないのだった。
「ねぇ、サク!」
彼女は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら叫んだ。
「あたしを弟子にしなさい! 私にあんたの料理を、その訳の分からない技術を全部教えなさい! このままじゃ私、悔しくて国に帰れない!」
広間が、そのあまりの変わり身の早さにあっけにとられる。
ユズリハは、「はぁ?」という冷たい表情のまま眉をぴくりと揺らし、卑弥呼はその様子を腹を抱えて笑っていた。
「はっはっは! 面白い娘よ! サク、見よ! 弟子ができたぞ!」
朔はその、座り込んだままこちらを睨み上げてくるツインテール少女を見下ろし、心底困ったようにポリポリと頬をかいた。
「いや…弟子と言われても……見ての通り、こっちはいろいろやることがあって手が回らないよ」
朔は、アカネに向かってシュタっと手をかかげる。
「……というわけで、忙しいから、また今度な」
「なっ…!『また今度』って、いつよー!」
アカネの悲痛な叫びが、広間に響き渡る。
「もう行きましょう」
珍しくユズリハも朔を引っ張る。
朔は頷き、卑弥呼に一礼すると、ユズリハと共に騒然とする広間を後にさっさと自分の工房へと戻っていった。
「あ、待ちなさいよー! この、薄情者ぉー!」
残されたアカネの叫び声が、いつまでも虚しく響いていた。




